日本語は、瞬撮と瞬音が得意。
これは、私の造語で、正しくは瞬間撮影と瞬間録音である。
どうやって、瞬撮と瞬音をするのかというと、擬態語と擬音語を使う。
例えば、風が吹く様子やその時の音の様子を擬態語や擬音語で表すと、
風がヒューヒューと吹く。
風がピューピューと吹く。
風がビュービューと吹く。
この3つは、どれも風が吹く様子を表しているが、風の吹く強さが違う。
最初は弱く、次が中位、最後が台風などの強い風が吹く様子を表している。
隙間風がスースーする。
と表現すると、上の3つの最弱よりさらに弱い風を表している。
これらの擬音語(上3つ)と擬態語(下)の区別はあまり問題ではない。
何が重要かというと、その場のイメージや音の様子の違いを擬音語や擬態語で、一瞬のうちに言葉で固定することが出来ることだ。
するとどういうことが可能になるか?
これらの吹く風の様子の違いを、的確に第三者に伝えられる。
言葉を変えて言えば、イメージや音像をそのイメージ通り、音像通りに共有できるのだ。
別の例で言おう。
例えば、お腹が痛いときに、日本語で医者に伝える時、
胃がキリキリ痛む。
胃がチクチク痛む。
のでは、意味が違う。
キリキリ痛むの場合のほうが、強い痛みでなおかつ切り裂かれるような強い痛みを指す。
一方、チクチク痛むでは、刺されるような弱いが、嫌な痛みを指す。
患者が擬態語で正確に、胃の痛みの強さを表現出来ると、医師は痛みの強さを患者と共有できる。
従って、医師は、それ(擬態語や擬音語)だけで、その症状が胃炎なのか胃潰瘍なのか胃穿孔なのかを、ある程度診断可能となる。
つまり、患者は擬音語や擬態語によって、胃の痛みをまるでビデオのイメージのように、一瞬のうちに撮影ないしは録音したかのように、言葉によって医師に正確に伝えることが出来る。
まるで、普通の人間が常時ビデオを持っているのと同じなのだ。
いやビデオより正確に身体内部のことも、表現出来る!
そして、伝えることが出来る。
こんな便利な言葉が日本語以外にあるのだろうか?
日本語は、少なくとも漢字が伝わる前、もっと言えばビデオの生まれる以前から、その瞬間撮影と瞬間録音の機能を持っていたのだ。
私は、両方をまとめて日本語のビデオ機能と呼びたい。
日本語は、このビデオ機能を使って、映像や音声を難なく第三者に伝えることの出来る高度な機能を漢字伝来以前から使いこなしていた。
つまり、日本語は漢字伝来以前から、映像と音を正確に違いまで区別して、表現し、伝え、操作していた。
ちなみに、日本語が、「書き言葉」である漢字や仮名(ひらがなとカタカナ)を獲得するのは、漢字の伝来後である。
操作とは、加工することで、より高次な表現や伝え方、共感が出来ることを意味する。
こんな便利な日本語のビデオ機能を使わないなんて手はない。
日本語が使えると出来事の様子を詳細に表現し、固定して、操作できるようになる。
その神業とも言えるビデオ機能により。
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