今日は少し蒸し暑い日です
まぁ蒸し暑いと言っても扇風機を回していれば大丈夫
ダナンの初夏ですね
先日ここの例祭の事を書きました
[気温28℃][晴れ] ダナン海洲殿の祭礼
2012年03月30日 | ダナン
少し詳しく書きましょう
まず場所はここ
この場所について以前ベトナムスケッチにも書いたので抜粋
ハイチャウ公会堂/Đình và nhà thờ chư phái tộc Hải Châu(1471年)
ダナンは15世紀後半にレ・タン・トン帝の命により南進してきた北部のタインホア州ハイチャウ村から移り住んだ軍人達が作ったとされています。
ベトナムには先人達を祀る祭壇が各地にあり、このハイチャウ公会堂にも初めてダナンに住んだNugyen Van家とKinh An Tu家を祀る祭壇があります。
広い庭の正面の建物内にはNugyen王朝でも使われていた伝統的な祈りの道具が現在も保管され、
建物の軒の作りはホイアンの福建会館等でも見られるカボチャをモチーフにした彫刻を見ることができます。
裏手にはTu Duc帝時代に立てられた石碑や寄付金を記した石碑も残されています。
内部を覗き見ると『忠義』『豪傑』などいかにも軍人らしい文字が記されています。
現在でもダナンの中心地には『ハイチャウ区』という名前が残っています。
入り口の前には池があり、当時に植えられたという木があります
本殿は修復を重ねているのと、今回の例祭のために
補修工事もしたので綺麗です
右手奥にはMieu Ba(おばあさんの祠)と呼ばれる小さい祠があり、
旧暦の14-15日と晦日から1日の間、祈りのために公開されます。
今回は例祭で公開されていたので内部の写真を
おばあさんの祠なので、祭壇には鳳凰があしらわれています
ガラスケースの中にはもちろん女性の神様が座っていました
左手奥には42先人達のお寺もあります
先人達の一覧リストもありました
面白いなと思ったのは、その先人達の廟に祭られている神様
ちょっと可愛い顔をしています
少し、このクアンナム辺りから出土しているチャム彫刻にも似ています
写真ではよく見えませんが、この額は
MInh Mang 帝時代とTu Duc 帝時代に贈られた物です
戦火の激しかったダナンにも、こんな古い物が残っているんですね
必死に守ったんだろうなぁ。。。
ハイチャウ公会堂/Đình và nhà thờ chư phái tộc Hải Châu
K42 Phan Chu Trinh St., Hai Chau Dist, DaNnag
以下は参考資料です
参考1
ハイチャウ公会堂はダナン市、ハイチャウ1地区、PhanChuTrinh通りK42にあります。ハイチャウ公会堂の手前側に大きい池があって、池の真中には、歳が百年ほどの古いいちじくの木があります。Tam Quanタムクアン門の上にHai Chau Chanh Xaハイチャウチンサと言う文字が漢字で書かれました。ここの広い庭を通したら、ハイチャウ公会堂及びTienHienテインヘインお寺が二つの種族のお寺の真中に位置して、一の文字の形がした建築コミュニティーが見られます。左側にあるお寺はNguyenVanグエンヴァン種族のお寺であり、反対側にあるお寺はKinh An Tuキンアンツというお寺で、ここに42種族からの先祖の特権が置かれています。これらの42種族はThanhHoaタインホア省、NgocSon地区、Hai Chauハイチャウ村、Hieu Hienヒェウヒエンから、1471年にLe Thanh Tonレタイントン王様と一緒に南部に来た種族たちでした。
ここで、レタイントン様よりHan Giangハンギアン村落が設立されました。現在、ダナン市の一部です。タインホア省から来た種族たちはここで生活し、タインホアにあるハイチャウ村をここの村の名前にしました。500年以上を渡って、彼らはダナン市を建設したために、最初のグラウンドを設立し、現在のダナン市になるまでダナン市を建設したのに、多くの努力をしました。
ハイチャウ公会堂の鐘楼に、銅の鐘があります。鐘の上に、漢字で鐘の詳しい情報を書かれました。内容は以下のようになります。Minh Mangミンマン5年‐1824年にお寺が回復させ、翌年1843年にミンマン王様の命令に従って、このお寺がPhuoc Haiフオックハイと命名されました。ミンマン13年-1832に、ハイチャウ村の人々がこの鐘を作りました。歴史学者はハイチャウ公会堂は元フオックハイ寺であったことを確認しました。1719年にNguyen Phuc Chuグエンフックチュ王様がクアンナムを訪れて、ここに泊まったことがありました。その後、地元の人がここにグエンフックチュ様の蔡さん台を設立しました。
2001年7月12日に文化省及び情報省によりハイチャウ公会堂は歴史遺跡として認められました。
参考2 DaNang on the world heritages’ path P.124より抜粋--
DaNang was formerly the residence of a group from the Champa clan of Amarvati Kingdom. This kingdom was once very powerful, but long years of war forced its residents to scatter and gradually immigrate to the South. An ethnic group called"Co Tu" of about 5000 people went to the high mountains of the "Truong Son" range and Central Highland. Over time, their customs underwent gradual changes but their language, costumes and artistic skills have retained their distinct characteristics.
DaNangは、以前はAmarvati王国のChampa氏族からのグループの住宅でした。
この王国は以前非常に強力でした。しかし、その居住者は、南部へ戦争の長年によってやむを得ず分散し徐々に移住させます。
「Co Tu(カトゥー)」呼ばれる少数民族、約5000人はTruong Son山脈や中央の高地へ移住しました。
時間とともに、それらの習慣は徐々に変化していきました。しかし、それらの言語、服装および芸術的な技術はそれらの別個の特性を保持しました。
The customs of the Co Tu mountainous people differ slightly from those who stayed in the delta. Ethnologists make a distinction between the highland and the lowland groups, the latter to be found in Hoa Phu and Hoa Bac communes (Hoa Vand District), west of the city. These villages have preserved the typical characteristics of the early Co Tu, consisting of houses built in a circles or semicircle shape, a high pillar at the centre used to tie buffaloes in sacrifice rituals.
Co Tu族の習慣は、少しデルタにとどまった人々と異なります。
民族学者はHoa Phuで見つかる後者およびHoa Bacコミューン(Hoa Vand地区)(都市の西)を高地と低地グループと区別しました。
これらの村は典型的特性値を保存しました、初期のCo Tu族の集落は、円または半円の形(犠牲儀式での水牛を結ぶために使用される中心にある高い柱)に建てられた家から形成されます。