○…福岡発売分は鯖バージョンだった(週刊TVガイド)。でもオーラの泉もゲスト光一氏だったらあんまり酷い事は云わないんじゃないかな、と別の回で酷い事をぐさぐさ言われた人の時を(笑)おぼろげに思い出して予想してみたり。さて会議の後の反省会が今日は盛り上がった(笑)しらふだが(爆)。我等の上を上とも思わぬ態度の正論はさように上つ御方に都合が悪いのか、と思う。ある種、例えば威圧的な教師に対して「覚えてろよ」と思う不良中高生が「威嚇されるということは、自分たちはそれだけ相手に脅威を与えているのかもしれない」とうすうす気づく時のような予感を、今の自分の中に冷静に発見した。ああ、これが不良になるってことか、嫌われるということか、相手に愛を期待しないということか、人生観的な意味での訣別か、と思う。自分は10代の時まだ真面目すぎて、貧乏な家の地縁血縁への迷惑の手前もあって、まだ不良し足りなかった分、今流れ者の身となってようやく不良になれるのかもしれない。四方を向いてもせちがらい何かと抑圧的制圧的世の中、体制に批判的で居続けることは、自分の子供の頃よりずっと厳しく根性の要る事のようだ。昭和10年代みたいなもんなんだろ?でも人間が一生の中で「不良となって過ごす期間」には容量があって、はしかのようなもので、子供のうちに不良しといた人は早く軽くすませてしまって案外普通にまともな就職や結婚をし、しないでおくと人生のどこかで容量を満たさねばならず、それも大きくなってからすると重かったりするのかもしれない。それにしてもとても不思議だ。もしこれが2年前の2005年の頃の自分だったら、今の自分のようにこんなに腹をくくった不遜な態度でいられたかどうかわからない。そして思い出す。2005年夏の激しい抑鬱症状と秋冬から今日までの職場での一連のハラスメント精神的被虐待事件の中で、更に音楽の聴き方が変わっていったことを。不良には不良なりの覚醒とそれを支える音楽がある。こういう音楽は半ばは偶然の巡り合わせで、半ばは人生のその時期に必要な必然に近いものだったのか。まさか大人になっていい年こいてから、そんな厨房のように短期間に新たに学習し了解し世界観が深く変質するなどとは、20代の時は全然期待していなかったというのに。案外こんな風に急激にカタストロフィーとクライシスと腹の据え方というのが一気に訪れるということもあるのだ。これじゃあ音楽とかそういうものも無けりゃ耐え切れず精神が対応できず自分の中の判断基準を失って身投げする人もあれば自殺率が上昇することもあるだろうなあと改めて思う。人生は続く間は、どうやら最後の最後まであなどれないようだ。これからだってどのような苦難と啓示が訪れるかわからない。だがそのたびに学ぶことはある。平穏だと気づかなかったものが見えて聴こえて、新たな意味がもたらされる。それを知る瞬間そのものが、非常な苦痛も時として伴いながらの、至上の快楽でもあったりする。そんな自分を支えるために音楽がある。適度に酔い、辛うじて自裁自傷せずに、相対的に物事の価値を考え、冷静な思考判断の筋力を保つための。可能ならばその音楽は自分に正直に選びたい。で帰ってFM福岡の留守録を聴く。とりあえず、冷やしむじな蕎麦ってどんなのか知りたい(笑)。今日は我等の新潟ですか。鯖寿司は鮮度に気をつけていただきたい。(20070620)
