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「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

20080915

2008-09-15 | 矮小布団圧縮袋

○日曜夕方は箱崎の放生会にも寄る。いつも神社の会館の中でやってる毎年恒例の古本市は今年はなくて、近所の商店街の中の店と、少し移動して香椎駅ビル内の古本市に行って、何冊かまとめて買って少し行った気分になったことにしておく。夜、どんなもんや増刊号が長野~東京バス移動編のつづき(こういうしゃべりの自然な感じがいい)。月曜は雨。どうも咳が慢性化しているので、小雨の止み間に薬局で薬を買ってきて、自宅療養・兼・掃除と宿題と読書。宿題が終わらないのが辛いわい。明日朝からの早番出勤に備えないと、とは思いつつ…

本日のBGM:「帰ってきた用心棒」(時代劇専門チャンネル、毎日13時~と25時~)
 用心棒シリーズを、昼間初めて見た。夏からずっとやってて、ライオン丸だけじゃなく夜なべ内職がてら深夜のを時々見てたんですが(笑)とにかく街道から村への道とか、闇の中の追跡とか、モノクロ画面なのに本当にカメラワークが美しい。音楽も旅の空という雰囲気が素朴でとてもよい(もうなんか使いたくてしょうがない。このBGMで「一発芸・後ろに突然現れた栗塚旭」いきます!「…%&$#@!…」とか←わかる人しかわかんねえって・笑)。ドラマは料理の上手な柔術家・左右田一平、若い剣士・島田順司、謎の浪人(無口)・栗塚旭、という、新撰組物で斎藤一・沖田総司・土方歳三の人だったこの3人の、とぼけた会話がなんか絶妙なのだ。毎回テレビの前で「キタワァ*・゜゜・*:.。..。.:*・゜(n'∀')η゜・*:.。. .。.:*・゜゜・* !!!」状態で静かにウケている。左右田さんはうちの父と生まれ年も月も一緒だった。生きていればうちの父もこの人ぐらいだったんだなあと思う、つことは30歳位の若い時からこの人はずっとこういう飄々たる芸風だったのか。凄い。なんか正しい日本人、みたいな感じがする。こういう感じの人々こそが本当の日本の歴史と信用を黙々とこつこつ地道に支えてきたのだ、と外国人に紹介したくなるくらい(笑)。少し前の話で、近江で年若い侍(←細川俊之さん演じる!) とその若い妻が藩士たちに追われて宿場から逃げるのを栗塚さんが助け、琵琶湖畔で釣りしてた左右田さんと島田さんがさらに舟を譲って助ける時もよかった。そんでもって例によって例のごとくチャンバラでは3人無敵で強いんだけど、舟で逃がした後「あ、しまった、舟に魚籠をつけたままだった」「どうせ空(から)だろう、でなければあんなに舟が速いはずがない」みたいなやりとりが、美しい湖岸の風景で展開しちゃう、その淡々としたテンポやムードにまた、惚れる。用心棒は金をもらって仕事をする、という言葉の意味が、21世紀の病弊・拝金主義とは全然違うのだ、ということは、ドラマが進むにつれて、わかってくる。今日び死語みたいな「ヒューマニズム」ってやつが、安っぽくない。「大人」になるのもいいな、と見る人が思うようなドラマが見られてうれしいと感じるのは、多分最近、日頃の会社や社会のニュースや何やらで派手な恥をさらし問題を起こすのがやたら「若い者よりも大人げのない愚かな行為をとることを、若さと勘違いしている」「年とってこういう醜悪な大人にはなりたくないと年少の者を失望させる」老人や中年ばかりだからだろう。なんでこんなことを考えるのか、それは多分自分も半分「老い」の立場に入りつつあって「我が身」になってきたから、自分より年少の者と自分との違いを意識しつつ省みるようになってきたからかもしれない。「自分が若者だから、敵の相手の年寄に文句を言う」という季節は既に自分の中で終わりつつあるようだ。若い人に文句ばっかり言っている、自分が若いつもりの老人が、とても老賢人の域には達していないことを、我が身の側としても恥じつつある、自分はそんなお年頃か。…総じて、老人は無知な弱い若者を消費するのではなく、有知の人間へと育てる側の人間である。己が育ててきていなかったものを無知と非難するだけの、ただの弱いもの虐めをすることなかれ(disposable teensって自覚する奴らは、自分たちを使い捨てようとする者たちを見て、そんな醜くなるまで長生きしたいような気分などまず無くすし、下手すると先に死んじまった方が楽だし地球環境のためにはいいんじゃないか?と思うかもしれないし、ましてや彼らを尊敬など、しない)。むしろ老人は責めるなら、まず、同じ時代の時空を経験してきているはずなのにも関わらず無礼な利権亡者の強者老人を対等に攻むるべし。などと、あえて思う敬老の日(笑)。(I20080915)
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