○多事多忙。7日朝、ズームインFBSとアサデスKBCでKinKi「千葉J」イベントを見た。西スポ7日記事は見たけれど、個人的には目黒区の住民でもないのでイベントよりも、曲の中身が紹介されりゃいいのにと思ったが、そこは音楽番組でなくWSだから一押し所じゃなさそうだ。発売前が数年かけたプロモみたいで未発売名曲だと予感できたA-albumの頃と違い、試聴から発売までが短い。さわりでも聴いてみないとアルバムがいいかどうかわからないが、短いラジオ放送時間までにこちらが帰宅できない勢いだし。タイアップでもなさそうで、歌手の知名度はあってもオリジナルアルバムが2年ぶりなどという事態であれば中身の曲を、長年支持する層だけでなく知らない一般層にも披露して浸透させて知らせればよいのだが。数曲はどんなもんやで聴いた。配信数で競うのでもなく、やはり権利問題にうるさく、初聴きはCDで買え、ということなのだろうか。初心に帰ればAやBの時はそんなこと言わなくて気楽に洒落で済んだし、その拘りばかり言っていてもだな、と、最近はyoutubeで日本未発売の曲まで配信し購買層を地球の裏まで拡げているを見るのにも慣れているし、CDじゃなくて「一曲ずつ買う」という者も多いし、それが「いい曲」か判断するのはもはやスタッフが決めるものでもなかろうから、どの曲があたるか、ともかく一曲一部分30秒程度でも、多く聴く機会があればこそ、というのが最近の不特定多数の門外漢への契機なのだが。時々感じる「長年御贔屓優先、いちげんさんお断り」の老舗か祇園の舞妓はんのような敷居の高さなのか有閑マダムのステイタスシンボルなのか。そのへんは若干古い感。ちなみに今の小中学生から見たら先生や親と同世代であるKinKiは。歳上の自分はもっと老いている。現実を見ないのには欺瞞が感じられ、逆に物事が見え透いて夢を堪能できない。それが現実なら、それを吹き飛ばすくらい良く出来た虚構として徹底してなりきっているのか。自分が惹かれるかどうかの基準は、そのくらいなりきっているかどうかであり、そういうものであれば好みはジャンルを問わない、プロだから。逆に自信なく腰が引けてるのに自意識過剰なのは半端でいやなのだ。
本日のBGM:Juicy Jungle / Disco Twins feat.吉川晃司
なおアサデスのゲストの杉内選手はKinKiより歳が若いが、吉川晃司が好きでよく聴くと言った。(もしかして、スタジオの年長の記者たちは音楽専門ではなさそうで意味をよく知らなくてわかってなかったかもしれないが)確かに吉川晃司は現役でなりきっている。人間歳くってくれば、それが本当の自分かどうかとか、自分探しなんぞとぐずぐず言ってる暇などなく、なりきらざるをえない。そして生存するしかない。自分一人だけでこの社会に生きているのではないのだから、そうして生き延びる自分が、自分である、としかいえない。日々の労働でかみしめる思いとして、自分もそういう歳である。年長の人々が年若の人々に好まれ次代に影響を与えていくとすれば、そうしたpositive role modelの意味するところだろう。いい声だよね。(20091207)