○故・恩師の愛した「ラミー」とともに恩師をしのぶ真冬の季節となった。最近、新しく明治の「Melty Kiss」の“くちどけラム&レーズン”という製品が出ているので、食べ比べてみる。ラミーの方はラムレーズンの粒がハードなチョコの中に直接入ってる感じであるのに対し、Melty Kissの方は中のガナッシュが柔らかいながらラムレーズンの味はちょっとドライ(辛)めな感じがする。値段は同じ位なのだが。もちろん晩に家に帰ってからいただくもので、昼間は食べられない。
むすび丸ピンク子「うーい♪」
キイロイトリ「タベスギジャナイノ?」
たれぱんだ「………(※もうちょっと食べたいと思っている)」
本日のBGM:『徳川慶喜』 #48「恭順謹慎」(時代劇専門チャンネル、2/1 23:00~)
「上に立つということは、理不尽を生きるということじゃ」
確かに。この台詞と同じようなことを、この1~2年の最近、うちの社長が来て5年目位になって、見ていてしみじみなんとなく感じるようになった気がしている。前はそんなこと考えなくて、とにかく酷い石頭だと喧嘩する方だったんだけどね。自分もきっと、こうして、中年の境地に熟していくのだろう。
いまいち話が盛り上がらず全然面白くない感のしていた『徳川慶喜』を、実はリアルタイムで全然見ていなかったが、ここ最近、平日に残業帰りで帰宅する頃にテレビをつけるとちょうどやっている時間(もう、影の軍団Ⅲの時間にも間に合わない・涙)なので、なんとなく風呂上りの髪をドライヤーで乾かしながら、ながら見で時々見てたりする。無理なトレンディドラマ的脇のサイドストーリーがつまんなかった(トイレタイムか、ニュースか天気予報へチャンネル移動タイム)だけで、篤姫なんかよりも圧倒的にやるせなく重苦しく救いようのない感じもするとしても、わりと史実的なところの要所要所のシーンで耐えるもっくん(本木雅弘)は、なかなか渋い存在感を持っていることがわかった。昨日の「朝敵」だかで、来日した西洋人からしごかれてついに日本女性が初めて?演奏技術を習得したピアノソナタ?の旋律が、大政奉還して京から船で江戸に逃げ帰る時、ふと流れてくる場面の、茫然とした慶喜公が、不思議に幻想的だったのである(確かに湯浅譲二っぽいムードではある)。
翻って思うのだが、だからといって大河ドラマってそう毎度「楽観的ぱんぱかぱんな爽快感」ばかり求められていいのだろうか。朝の連続テレビ小説じゃないからなあ。幕末→明治は要するにクーデターだし、たった150年位しかたってなくって、まだまだ「つい最近」だし、立場によって全然人物像が違うから、信用できないよね♪それでもって、なぞなぞ。Q「篤姫ではいい人、龍馬伝では微妙な人、で、徳川慶喜ではすっごい悪役の人、ってだーれだ?」…答:西郷隆盛(←※渡辺徹である!)
ちなみに、今の日本において、本当に貴重で必要なのは、もっくんの慶喜が云おうとしてるところの「聡明で、先が見えて、見えすぎるくらいで苦しいのに、逃げない」人なんじゃないのかなあ。でも、自分が頭がいいとか聡明だとか自分で思いこんでる人ほど実は無責任で厚顔で、卑怯にも「先に逃げる」。そして、みんな、やたら「龍馬には、なりたがる」。そういうのがかっこいいと思ってる。そういう風潮が、軽薄で、嫌だ。(ま、自分は左幕派とは限らんが、どうしても東日本人だからね。)(20110201)