〇東北の大震災から4年10か月目。そして青森で震度5弱。
一方、世間では成人式らしい。
そして夕方、引越の片づけの作業から、帰ってきてネットを見る。David Bowie先生の訃報の衝撃。
この季節はミック・カーン先生(Ashes to Ashesのカバーもある)の命日もある。
先日(誕生日らしい)出てた「Blackstar」(88875173862 Columbia,US盤)は新譜なのに、前作以上に尖ってて毒もあってびびった。改めて聴く。
結果的にラストナンバーになってしまった?I Can't Give Everything Awayは、じわじわきて、QueenのイニュエンドウのフレディのShow Must Go Onのように心に強く響く。
ジャケットには星がちりばめられている。そんな雰囲気の曲を最後に届けてくれたのだ。まるで月に帰る前のかぐや姫のように。
やるな。The Next Dayの時も箝口令がすごかったとか聞いて、さすがだと思ったが、このセルフ・プロデュ―スの徹底。
そして先生は美しく宇宙に還っていったのであろう(やはり宇宙人だったに違いない)。行ってらっしゃいませ、といいたい。またいつか地球に墜ちてくるかもしれない。
そしてBelne(べるね)先生もさぞ悼んでいるだろうなと思う。
マンガ・蒼の男シリーズのような言葉を借りれば「そんな日が、いつかは来るとは思っていた」
BlackstarにはLazarusというナンバーもあり、Belne先生の作品にも「ラザロよ出なさい」の喩えのシーンがあったのを思い出す。この漫画にはかなり深く影響を受けた。
でも難破船に立ち向かうサルベージ船のように不可能を可能にし、「何でも手に入れることは可能だ、望めば」的に、良い意味で「あきらめの悪い、悪あがきは承知の」ガーディ(数々の名言がある)のような挑戦者のイメージも相まって、生涯現役で走り続けていつまでもしぶとく生きてるような感じのする人がデヴィッド・ボウイ先生である。
それにしても、何と表現していいのかわからない。まだ実感していないのかもしれない。高倉健もそうだったが、まだ生きているような気がする。この変てこで妙に耳に残るコードの動きの、こういう節回しの歌を作る人って他にあんまりいないからなあ。Michael Jacksonの時もそうだったように、やはり子供の頃からなんとなく巷で流れていて聴いてて、まぎれもない独特の声で、スタイルもいろいろ多大な影響を与え、ネタに限らず有名なナンバーも知ってるような、歴史的文化的存在のようなものだから、きっと「一時代の終焉」的に、多分これからだんだんとショックに感じられてくるんだろう。
BS1とかCNNとかにチャンネルを回してみる。(20160111)