「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

20181126

2018-11-26 | 矮小布団圧縮袋

〇(先日の佐伯市内の汲心亭の紅葉と、キイロイトリ)
 週明けからやはり次の仕事に入る。来年はどうなるのかを懸念しながら計画を立てる季節になりつつある。
 国会の入管法改正案も技能実習生の実態検証情報もなしで水道民営化案も強権的な横暴な風が目立つ。
 審議しろよと思う。国家的な末期状態なのだろう。白井聡と佐藤健志と矢部宏冶は似ているようでそれぞれ違う。
 でもやはり読んでしまう。考えないといけない。
 搾取されている人たちは本当に存在し、人口が減少するとか人手が要るとか言いながら、実際は外国人だろうが日本人だろうが人の命が毎日あまりにも軽々しく失われていて、人権も無視されて、とても尊重されているとは思われない。要るのは人ではなく奴隷なのか。機械ですむなら人はいらないのか。だから今の日本は本当は内戦状態なんじゃないかといわれるのだ。ひどいもんだ。そういう中で、自分も毎日の日常業務に追われている。
 自分たちは何を維持しているのだろうか。
 1990年代の平成初年代のような日本がずっと30年近く、あるいは昭和末期からずっと…続いているという感覚自体が、本当は大規模な集団的幻覚なのかもしれない。大いなる幻覚の中にみんなが生きている。知らないまま、世界中から後ろ指をさされているだけのことで。小説やアニメや漫画や美術や舞台を見ながら考えていると、変に忖度して情報統制されたニュースを見るよりも、フィクションを相手にしながら逆にそういう生理的感覚の方が戻ってくる感じがする。
 今は何をどうしたらいいんだろう、と思う時、多分もう昭和40年代と同じことではだめだろう。その頃を子どもの頃として知っている自分や、自分より年上の人たちは、(たぶん自分が思っているよりも)ずっと少ない。もう生き残っていなかったりする。そして「きっと50年後100年後に、当時の(今の2018年頃の)日本は本当に愚かな時代にあった、とかいわれるんだろうな」と思ったりもする。

 BGM:君のせい / the peggies
 (「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」#8(大雨の夜にすべてを流して)、BS11 11/24 23:30~)
 決して好きなタイプの話でもキャラでもない。しかし先週今週と、見ているうちに、ついつい見入ってしまった。そうきたか。
 原作は未読で今回アニメを見てこの話を知ったのだが、ドラマ脚本で言えば坂元裕二脚本のような会話(というより独白と独白)の応酬という感じの、朗読劇のような。30分の時間の流れの中の文学的な味わいの感覚というか。
 「自分は決して好きにはなれない、けど、よくできていて面白い」という点では、太宰治を思い出す。
 さて、今日も鉄血のオルフェンズとラジオのsession 22を流しつつ、どんなもんヤまで待機しながら、溜まっているHDDをダビングで移して整理しながら寝る支度をする。(20181126)
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