今日の旅日記はちと、長いぜ!!
興味の無い方は、流し読みしてちょ!
そこにあったものが、跡形もなく無くなるのではなく、無残な姿をさらけ出して、当事者以外は忘れそうな歳月が過ぎても、存在している姿は圧巻だった。
やり場のない気持ちがこみあげ、妙にどぎまぎしていた。
写真・常磐線「山下駅」(宮城県亘理郡山元町)・・・震災津波で大破・・駅は内陸に移転し、トイレだけが名残をとどめている。
津波対策で高台を築いたわけではなく・・・そのままの土地と思われるが、立て直す・あるいはリフォームすることができた家では、そのまま新築されたようだが・・
とうじのまま、まだ新しかったに違いない家が、そのまま放置され、回りは草が茂り、塩害で枯れた樹木が、あらわな姿をさらしていた。
何年たった??
東京なら3年も行かないと、再開発で、そのエリアの姿があっという間に変わるというのに・・・・
ここはまだまだ、復興は程遠い・・・
ここにやってきたのは、女房のたっての希望であった。
震災ののち、被災したここの「山下町立山下第二小学校」の教務主任だったかたの「講演」を聞く機会があったらしい・・・
生々しい、当日の模様やら、震災への教訓「てんでんこ」の話が、深く残っていて、その現地に立ちたいということだった。
いつもは、宮城の亘理町荒浜を毎年訪ね、変わりゆく姿を定点観測のように行っていたが、今年はここになった・・・
写真は、たぶん、ここに小学校があったに違いない・・という場所。学校の標高は2.5m・海岸から400mほどの位置にあったらしい。瓦葺の屋根で、屋上避難はできず。回りに高台らしきものは皆無。
約4キロ離れた高台に位置する「役場」が唯一の高台で、実際津波はその役場手前まで到達したらしい・・・
女房が聞いた話を要約すれば・・・
*揺れが収まって、生徒を校庭に避難。マニュアルに沿って、迎えに来た保護者への引き渡しを行う。
*走ってきた男性の「早く逃げろ!津波が来るぞ!」の声かけで、校長が避難方法の切り替えを決断。
*先生の6台の車で、生徒を役場へのピストン輸送・・30名ほどの生徒は、先生に引率され歩いて役場へ避難。
*車でのピストンは70名を数回行ったらしい・・
*校長は保護者に子供は役場へ避難したことを伝える役目で残り、翌日ヘリで救助されたようである・・・
ここの生徒で亡くなった方は1名・・・すでの自宅へ帰っていて、家族ともども亡くなったらしい・・・
「津波の避難はやはりてんでんこです」という講演の言葉が、実感を持って残ったらしい・・・
写真・・・役場近くの高台に新築中の、小学校。
山元町は僕らが毎年行っていた亘理町荒浜の南隣の町だ。その山元町から南といえば、福島・・相馬市そして南相馬だ。
山元町を後にし、帰路は亘理町経由(実際このルートが最短)、いつもの店でかまぼこを購入。
さて、お決まりの宿について、女房子供は、近所に昼飯を食べに・・・・その後、露店風呂でまったりらしい・・・
じいさんは、山へ・・・・お魚とたわむれに・・・
3時間で8匹・・・・・ほどほど当たりもあって楽しめた・・・・
しかし、魚のベクレルが低い(20~検出限界以下)沢は、結構人が入っている・・・・・
ここは絶対いるだろう!みたいなポイントは居てもリリースサイズ。B/C級のポイントがお持ち帰りサイズだった・・・・
さて、4時前に、じいさんもお宿・・・・いつもの元気荘である。
まずは、露天・・・・
部屋で、持ってきたつまみなどで、したすら(ひたすら)焼酎。
夕飯は豪華であった・・・・
翌朝、皆が寝ている間に、1時間コースの沢に・・・・
イワナ・・・なぜかニジマスなど2匹であった・・・
この後、朝飯を食って、土産など買って、帰路に就く・・・この日は、渋滞情報では、10時前に国見を通過・・2時前に宇都宮を通過すれば、渋滞に巻き込まれず快適に館林のはずだった・・・
11時半・・・那須PAで事件発覚!!!!発覚・不覚であった・・・・
財布がないのに気づく・・・つらつら、思いめぐらし・・宿で車にのりこむ時はあった・・・
「たぶん、そうだ!ございんホール(蔵王町の文化会館な!)でトイレを借りた時落としたに違いない!!」。。。。。。。。
ホールに電話する・・・
「****で財布落とした気がするんですが・・・届いていませんか?」
「あっ、財布届いてますよ」
*名を名乗り、入っているものなど告げ、僕しかわからない内容物・カードなど説明する。
「そうです」
「良かった~」
*と、現在の居場所・時間的距離など説明し
「申し訳ないですが、着払いで送ってはいただけないでしょうか?」
「わかりました、上司と相談します。この電話に電話しますから」
*ところが、待てど暮らせど電話がない・・・・・30分は経過・・・しびれを切らし電話をこちらから再度する。
「***ですが、どうなりました?」
「あっ、上司と警察に相談するから待っていてください」
「あのさ、待てったって、どんだけよ?」
「2時ですかねぇ・・・(はぁ?今12時でこのPAでずっと待つわけ?」
平日の業務中である・・・上司は1人しか居ないのか?あのフロアは会館の業務のほか、教育委員会が同じフロアだんべさ?
これは、このお方と話しても無駄と判断し・・
「今から取りに行く!!」と伝え、蔵王に引き返した。
財布を届けてくれた方は名も告げず立ち去ったそうだ・・・・日本も・蔵王町の住民も(住民かわからないけど・・・)すてたもんじゃない!!!ぜ!!!
で、その担当から財布を受け取った。
「あなたが僕の立場になって群馬で失くし・見つかり片道300キロを取りに行く」・・・そんなことを想像してほしいとだけ伝えた。
人の立場に立つ、そんな職業のはずだからね・・・
「すみません!」を連呼し続けていた、その担当氏に少し腹が立った・・・
「あのさ、心の中で、本人が取りに来る以外無いと思っているんでしょう?なら、謝らないでほしい・・・それって、とにかく謝っておくに限るって姿だから」
「悪いと思っていないなら、謝るなよ」
だが・・・またすみません・・・であった・・・
賛否あろう・・・取りに行くしかないかもしれない・・・
よほど、ワンマンな上司なのかしらん♪
って、わけで、僕の間抜けで、すっかり渋滞にはまって、へとへとで帰ったのだった・・・家族のやさしいお言葉が沁みたぜ!
さて、ございんホールのお写真!
立派なホールに・・・・・なぁ・・・・
興味の無い方は、流し読みしてちょ!
そこにあったものが、跡形もなく無くなるのではなく、無残な姿をさらけ出して、当事者以外は忘れそうな歳月が過ぎても、存在している姿は圧巻だった。
やり場のない気持ちがこみあげ、妙にどぎまぎしていた。
写真・常磐線「山下駅」(宮城県亘理郡山元町)・・・震災津波で大破・・駅は内陸に移転し、トイレだけが名残をとどめている。
津波対策で高台を築いたわけではなく・・・そのままの土地と思われるが、立て直す・あるいはリフォームすることができた家では、そのまま新築されたようだが・・
とうじのまま、まだ新しかったに違いない家が、そのまま放置され、回りは草が茂り、塩害で枯れた樹木が、あらわな姿をさらしていた。
何年たった??
東京なら3年も行かないと、再開発で、そのエリアの姿があっという間に変わるというのに・・・・
ここはまだまだ、復興は程遠い・・・
ここにやってきたのは、女房のたっての希望であった。
震災ののち、被災したここの「山下町立山下第二小学校」の教務主任だったかたの「講演」を聞く機会があったらしい・・・
生々しい、当日の模様やら、震災への教訓「てんでんこ」の話が、深く残っていて、その現地に立ちたいということだった。
いつもは、宮城の亘理町荒浜を毎年訪ね、変わりゆく姿を定点観測のように行っていたが、今年はここになった・・・
写真は、たぶん、ここに小学校があったに違いない・・という場所。学校の標高は2.5m・海岸から400mほどの位置にあったらしい。瓦葺の屋根で、屋上避難はできず。回りに高台らしきものは皆無。
約4キロ離れた高台に位置する「役場」が唯一の高台で、実際津波はその役場手前まで到達したらしい・・・
女房が聞いた話を要約すれば・・・
*揺れが収まって、生徒を校庭に避難。マニュアルに沿って、迎えに来た保護者への引き渡しを行う。
*走ってきた男性の「早く逃げろ!津波が来るぞ!」の声かけで、校長が避難方法の切り替えを決断。
*先生の6台の車で、生徒を役場へのピストン輸送・・30名ほどの生徒は、先生に引率され歩いて役場へ避難。
*車でのピストンは70名を数回行ったらしい・・
*校長は保護者に子供は役場へ避難したことを伝える役目で残り、翌日ヘリで救助されたようである・・・
ここの生徒で亡くなった方は1名・・・すでの自宅へ帰っていて、家族ともども亡くなったらしい・・・
「津波の避難はやはりてんでんこです」という講演の言葉が、実感を持って残ったらしい・・・
写真・・・役場近くの高台に新築中の、小学校。
山元町は僕らが毎年行っていた亘理町荒浜の南隣の町だ。その山元町から南といえば、福島・・相馬市そして南相馬だ。
山元町を後にし、帰路は亘理町経由(実際このルートが最短)、いつもの店でかまぼこを購入。
さて、お決まりの宿について、女房子供は、近所に昼飯を食べに・・・・その後、露店風呂でまったりらしい・・・
じいさんは、山へ・・・・お魚とたわむれに・・・
3時間で8匹・・・・・ほどほど当たりもあって楽しめた・・・・
しかし、魚のベクレルが低い(20~検出限界以下)沢は、結構人が入っている・・・・・
ここは絶対いるだろう!みたいなポイントは居てもリリースサイズ。B/C級のポイントがお持ち帰りサイズだった・・・・
さて、4時前に、じいさんもお宿・・・・いつもの元気荘である。
まずは、露天・・・・
部屋で、持ってきたつまみなどで、したすら(ひたすら)焼酎。
夕飯は豪華であった・・・・
翌朝、皆が寝ている間に、1時間コースの沢に・・・・
イワナ・・・なぜかニジマスなど2匹であった・・・
この後、朝飯を食って、土産など買って、帰路に就く・・・この日は、渋滞情報では、10時前に国見を通過・・2時前に宇都宮を通過すれば、渋滞に巻き込まれず快適に館林のはずだった・・・
11時半・・・那須PAで事件発覚!!!!発覚・不覚であった・・・・
財布がないのに気づく・・・つらつら、思いめぐらし・・宿で車にのりこむ時はあった・・・
「たぶん、そうだ!ございんホール(蔵王町の文化会館な!)でトイレを借りた時落としたに違いない!!」。。。。。。。。
ホールに電話する・・・
「****で財布落とした気がするんですが・・・届いていませんか?」
「あっ、財布届いてますよ」
*名を名乗り、入っているものなど告げ、僕しかわからない内容物・カードなど説明する。
「そうです」
「良かった~」
*と、現在の居場所・時間的距離など説明し
「申し訳ないですが、着払いで送ってはいただけないでしょうか?」
「わかりました、上司と相談します。この電話に電話しますから」
*ところが、待てど暮らせど電話がない・・・・・30分は経過・・・しびれを切らし電話をこちらから再度する。
「***ですが、どうなりました?」
「あっ、上司と警察に相談するから待っていてください」
「あのさ、待てったって、どんだけよ?」
「2時ですかねぇ・・・(はぁ?今12時でこのPAでずっと待つわけ?」
平日の業務中である・・・上司は1人しか居ないのか?あのフロアは会館の業務のほか、教育委員会が同じフロアだんべさ?
これは、このお方と話しても無駄と判断し・・
「今から取りに行く!!」と伝え、蔵王に引き返した。
財布を届けてくれた方は名も告げず立ち去ったそうだ・・・・日本も・蔵王町の住民も(住民かわからないけど・・・)すてたもんじゃない!!!ぜ!!!
で、その担当から財布を受け取った。
「あなたが僕の立場になって群馬で失くし・見つかり片道300キロを取りに行く」・・・そんなことを想像してほしいとだけ伝えた。
人の立場に立つ、そんな職業のはずだからね・・・
「すみません!」を連呼し続けていた、その担当氏に少し腹が立った・・・
「あのさ、心の中で、本人が取りに来る以外無いと思っているんでしょう?なら、謝らないでほしい・・・それって、とにかく謝っておくに限るって姿だから」
「悪いと思っていないなら、謝るなよ」
だが・・・またすみません・・・であった・・・
賛否あろう・・・取りに行くしかないかもしれない・・・
よほど、ワンマンな上司なのかしらん♪
って、わけで、僕の間抜けで、すっかり渋滞にはまって、へとへとで帰ったのだった・・・家族のやさしいお言葉が沁みたぜ!
さて、ございんホールのお写真!
立派なホールに・・・・・なぁ・・・・