館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

長崎の日に・・今年もシングアウト。

2018-08-12 05:19:41 | 時事言いたい放題



何十年も続いているというのは、それだけですごいことなのだ。



11時2分・・・動員などという行為が無い、市井の人たちが、黙とうをする。



お寺さんが用意してくれた焼香をし、鐘を撞く。

何を祈るか?

広島・長崎・福竜丸・福島・・・放射能で無くなった方々に手を合わせ、この日悲しい、悲しい知らせのあった翁長知事に僕は手を合わせた。



この集まりを始めた方のとりとめのない挨拶。



広島の世界大会に行った方の報告。



昭和63年に制定された「館林非核都市宣言」が朗読され・・・



この取り組みをずっと地元で世話をしているロストのゆっこが、沖縄慰霊の日に中学生が読んだ宣言の全文を朗読した。





最後に僕はフォークソングを歌った。

戦後20年(21年?)に出来た歌。「戦争は知らない」を選んだ。

70年に入って「戦争を知らない子どもたち」・・・この前後に60年安保闘争・70年安保闘争がある。

戦争があったからこそ「安全保障条約」という大人たちに、中学生・高校生・大学生・・若者が反戦を叫び、新しい時代を望み、行動を起こした時代があった。
そして、その行動に、大人たちは「戦争をしらないくせに」と言葉を発した。

やがて歌が生まれた。

お父さんという戦争に真正面から向き合い

♪ 戦で死んだ哀しい父さん 私はあなたの娘です ・・・・二十年後のこのふるさとで 明日お嫁に お嫁に行くの」♪

と歌い。

♪ 戦争が終わって僕らは生まれた 戦争を知らずに僕らは育った 大人になって歩き始める 平和の歌を口ずさみながら♪


と、ある意味、知らないが学んで、僕らはその戦争に向き合ってると宣言しているのだ。

今の政治はその「戦争を知らない子どもたち」である、2世3世が中心にいる。彼らは、あの戦争から何も学ぶことが無かった人たちに違いない。まさに「戦争が出来る国」が最後の目標で、数を背景にやりたい放題だ。

角栄だろうが、後藤田だろうが、野中だろうが、保守の権化のような自民党の政治家だが、彼らは「戦争は2度と起こしてはならない」とその体験から語る人たちだった。まさに、2世3世になって、保守の政治家の劣化が激しい。

語り部がもうすぐいなくなるのだ。

沖縄のひめゆりたちも数年前から講話が出来なくなって、若い世代がひく継ごうと必死になっている。

「戦争を知らない子どもたち」が、あの戦争を学び、今の沖縄を学び(いまだ、戦争が終わっていないこの国の場所だから)語り継ぐことが問われている。

そんな、長い話をして、僕は歌った。
みな、歌ってくれた。

この集まりも、語り継ぐ行為の1つだよなぁ・・・

又、ここで歌えてよかったぜ!
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする