東京大学学長選考で気になるニュースがありました。
東大総長の選考、録音を消去 学内から批判の非公開会議
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6372930
どうも世の中が不透明になっている気がします。
少しずつ霧が立ちこめ、視界が悪くなり見通しがきかない。
日本最高学府の中でさえも同様なのだろうか。
都合の悪いことは『消去』する・・・公に出来ないことを『恥』と感じない厚顔さが社会に蔓延しているとしか言い様がありません。
今まででも民間企業ではあり得たことなのでしょうが、そこには『必要悪』という後ろめたさがつきまとい、一定の抑制力が働いていました。
しかし、今の風潮には『後ろめたさ』は微塵も感じられません。
これは、ここ数年来内閣が執ってきた政策が反映しているとしか思えないのです。
日本学術会議会員候補に対する6名の除外に対す留守が総理の説明も例外ではありません。
「学問の自由とは全く関係ない」
「学術会議の総合的俯瞰的活動を確保する観点から判断した」
と述べています。そこには肝心な『保留の理由』は述べてません。
「総合的判断」というなんとも便利なことばで凌いでいるのです。
私たちがよくその場を凌ぐ時に使う「まあまあです」的なことばに思えます。
これは、もしかしたら一昔前の日本の政治なのでしょうか。
「とにかく御上に任せておきなさい!」的な。
情報の公開がより求められる現代に於いて、これは通用しないやり方ではないか。
これも、安倍政権の継承・・・なのでしょうか?
根回しに長けた菅総理、もっと国民に根回しをして頂きたいのですが。