人形町に陰ヨガクラスを受けに来た。
最近、本当に外国からの観光客が増えたな~と思う。
3、4人の女の子が弓道の胴着を着て、長い弓を持って歩いていた。
白い上着に紺の袴、黒く長い髪を引っ詰めに結う。
美しい姿だった。
「凛とした」と言う形容詞がピッタリだ。
通りかかった西洋系の観光客が「アメイジン!」と言って、一緒に写真を撮っていた。
なかなか、微笑ましい光景だった。
写真の鯨のオブジェも人気だった。
江戸時代、人形浄瑠璃の操り糸に鯨の髭が使われた様だ。
日本の伝統的な美や技術に、改めて感動した。
最近、本当に外国からの観光客が増えたな~と思う。
3、4人の女の子が弓道の胴着を着て、長い弓を持って歩いていた。
白い上着に紺の袴、黒く長い髪を引っ詰めに結う。
美しい姿だった。
「凛とした」と言う形容詞がピッタリだ。
通りかかった西洋系の観光客が「アメイジン!」と言って、一緒に写真を撮っていた。
なかなか、微笑ましい光景だった。
写真の鯨のオブジェも人気だった。
江戸時代、人形浄瑠璃の操り糸に鯨の髭が使われた様だ。
日本の伝統的な美や技術に、改めて感動した。
久々の書き込み。
私の怠け癖ってこともあるけど、、手首に痛みが出て来た。
関節痛が顕著に表れたのは5年前の手首から。見る間に腫れて関節リウマチ!?→免疫疾患つまりSAHPO症候群。
この病気を知るきっかけだった。
どうして痛みが再発したのか?一つの原因はハタヨガレッスンをぼちぼちっと本気で再開したから。
太陽礼拝の「下を向いた犬のポーズ」をやれば手首に負担をかけるのは分かっている。
だからって止めない(笑)色々気付いて、自分なりのベストなアーサナ(ポーズ)模索中。
もちろん「ほどほどに」とか「無理しない」って事も分かっているのでご安心を。
ゴールデンweekを控え足湿疹も少しずつ再発。
素足でヨガするとマットの上に鱗のような皮膚が落ちる。
冬の間はすべすべの足裏で「もう治っちゃったんじゃないの!?」と思うけど、病気は私の体の中にいる。
同じ体を共有している同居人。仲良くやろうよね。
私の怠け癖ってこともあるけど、、手首に痛みが出て来た。
関節痛が顕著に表れたのは5年前の手首から。見る間に腫れて関節リウマチ!?→免疫疾患つまりSAHPO症候群。
この病気を知るきっかけだった。
どうして痛みが再発したのか?一つの原因はハタヨガレッスンをぼちぼちっと本気で再開したから。
太陽礼拝の「下を向いた犬のポーズ」をやれば手首に負担をかけるのは分かっている。
だからって止めない(笑)色々気付いて、自分なりのベストなアーサナ(ポーズ)模索中。
もちろん「ほどほどに」とか「無理しない」って事も分かっているのでご安心を。
ゴールデンweekを控え足湿疹も少しずつ再発。
素足でヨガするとマットの上に鱗のような皮膚が落ちる。
冬の間はすべすべの足裏で「もう治っちゃったんじゃないの!?」と思うけど、病気は私の体の中にいる。
同じ体を共有している同居人。仲良くやろうよね。
写真じゃ分かりずらいかな?
桜の花が散り、一面ピンクの絨毯が敷かれた様。
寒い。花が散った桜の木が寒そう。
昨日は膠原病内科の通院日。家を出たら霙が降っていた。ビックリ。
病院の人事移動で4月から新任の担当医。
昨日が「初めまして」で、、、真面目な医大生男子の様な若い医師で、こちらでもビックリ。
医者とは相性だと思う。
そう言う意味では、第一印象はとても良かった。
信頼関係を築いて行きたい。
4月に入り、足裏に微かに湿疹が復活。
相変わらず体は律儀。リウマトレックスを定期的に服用し、湿疹や骨関節炎がどうなって行くのか、ここからが要観察の山場。
先月は一度口内炎が出た。
これも要観察。
症状に一喜一憂するのでは無く。
それに捕らわれず、出来るだけ客観的に見て行きたい。
桜の花が散り、一面ピンクの絨毯が敷かれた様。
寒い。花が散った桜の木が寒そう。
昨日は膠原病内科の通院日。家を出たら霙が降っていた。ビックリ。
病院の人事移動で4月から新任の担当医。
昨日が「初めまして」で、、、真面目な医大生男子の様な若い医師で、こちらでもビックリ。
医者とは相性だと思う。
そう言う意味では、第一印象はとても良かった。
信頼関係を築いて行きたい。
4月に入り、足裏に微かに湿疹が復活。
相変わらず体は律儀。リウマトレックスを定期的に服用し、湿疹や骨関節炎がどうなって行くのか、ここからが要観察の山場。
先月は一度口内炎が出た。
これも要観察。
症状に一喜一憂するのでは無く。
それに捕らわれず、出来るだけ客観的に見て行きたい。
gooブログは「去年の今頃、こんな日記をupしていましたよ~」とメールで送られて来るシステムがある。
去年の今頃、股関節の激痛、頸椎の痛みなどで杖を使って歩いていた。
おまけにその痛みによるストレスで、顔面に痙攣が出ていた。
すごい状態だったんだな、、、。
どんな事でもちゃんと過去になる。そして今の自分がある。
時間が流れる。
年をとって行く事もそれほど悪い事では無い。
そんな事をふと考える。
去年の今頃、股関節の激痛、頸椎の痛みなどで杖を使って歩いていた。
おまけにその痛みによるストレスで、顔面に痙攣が出ていた。
すごい状態だったんだな、、、。
どんな事でもちゃんと過去になる。そして今の自分がある。
時間が流れる。
年をとって行く事もそれほど悪い事では無い。
そんな事をふと考える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaminari.gif)
しかし、最近区民館の予約が大変困難な状態になっています。
「日曜日午後」と言うスタンスは守って行きたいと思っていますが、お約束は出来ません。
また会場も、毎回同じ場所と言うわけには行きません。
参加にあたり必ず日時、会場の確認をして下さい。
よろしくお願いします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/arrow_r.gif)
その場合、当日9:00までに、このページ冒頭に書き込みお知らせするようにします。
ご確認の上いらして下さい。
予約、連絡は要りません。当日、直接会場にいらして下さい。
飲み物は各自でご用意下さい。
「原家族(娘だった自分)と現家族(今の自分)との関わりの中で、自分を主人公にして生きづらさを語ろう」
親にとっての「良い娘」として成長。
大人になった今でも、世間や回りの評価の中「良い娘」「良い母」「良い妻」「良い嫁」をやっている。
そんな中ふと気付く、子供の頃から抱えていた、怒り、悲しみ、孤独感、虚しさ、居場所の無さ。
他人と自分との関係。老いた実親との関係。義親との関係。
成長した子供との関係。夫婦・パートナーとの関係。
息苦しく、生きづらい。でも、人生や家族、人との関わりはこれからも続いて行く。
言いっぱなし、聞きっぱなし「私たちのミーティング」です。
言葉として、声に出して自分の「生きづらさ」を語りましょう。
人生の棚卸。今よりも少し身軽に。何を大切に、何を抱えて生きて行くのか?
自分自身に問いかけ、答えを出すのは私なのだから、、、。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0235.gif)
話したくない時は、パス、中座、途中で帰ってもかまいません。
〔日時〕2015年4月5日(日)14:00~16:00
会場が17:00まで借りられます。16:00~自由参加のフリーミティングを行います。
〔場所〕東陽区民館4F洋室
東京都江東区東陽3-1-2
東京メトロ・東西線「木場駅」下車。徒歩3分。
出口2を出たら右折。そのまま直進、沢海橋を渡る。
沢海橋東詰の信号を右折。突き当り。
(沢海橋を渡る途中、区民館が右手に見えます)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
〔参加者〕自称45歳以上の女性。
この場で見た事聞いた事、全てこの場に置いて行く、
絶対に外に持ち出さないと言う約束の守れる方。
〔費用〕¥500
おつりに困らない様お願いします。
ありがとうございました。終了しました。
今日は娘の子の入園式。
娘夫婦と一緒に出席させてもらった。
彼らに変わり、私が保育園に出動しなければならない時があるかも知れない。
彼らが保育園を決める時、自分たち以外の緊急連絡先一番に、私の携帯番号を記入させて欲しいと依頼された。
数十年ぶりに「保育園」に行った。
全園児25人ほどのアットホームな保育園。
娘家族が見知らぬ家族、保育士の人達と親しく話している姿を見て安堵した。
私とは全く関わりの無い世界で、彼らは彼らの生活をしている。
娘が自分の子を世話する姿に自分自身を重ね、過ぎ去った苦しみが蘇って来る時がある。
予測はしていた。が、時々耐え難いほどの苦しさで、彼らを意識的に避けていた。
複雑な気持ちだった。自分自身にも苛立っていた。
母、私、娘、その子供、それぞれ違う人生を生きている。
当たり前の事なのに実感出来ない。
一つの螺旋階段を、皆素足のまま登っている。
足裏の皮膚が剥がれ血を流している。
それでも登り続けなければならない。
そんな感じだった。
彼らは彼らなりのつながりの中、それぞれの生き方がある。
私の想像なんか及ばない。
娘夫婦と一緒に出席させてもらった。
彼らに変わり、私が保育園に出動しなければならない時があるかも知れない。
彼らが保育園を決める時、自分たち以外の緊急連絡先一番に、私の携帯番号を記入させて欲しいと依頼された。
数十年ぶりに「保育園」に行った。
全園児25人ほどのアットホームな保育園。
娘家族が見知らぬ家族、保育士の人達と親しく話している姿を見て安堵した。
私とは全く関わりの無い世界で、彼らは彼らの生活をしている。
娘が自分の子を世話する姿に自分自身を重ね、過ぎ去った苦しみが蘇って来る時がある。
予測はしていた。が、時々耐え難いほどの苦しさで、彼らを意識的に避けていた。
複雑な気持ちだった。自分自身にも苛立っていた。
母、私、娘、その子供、それぞれ違う人生を生きている。
当たり前の事なのに実感出来ない。
一つの螺旋階段を、皆素足のまま登っている。
足裏の皮膚が剥がれ血を流している。
それでも登り続けなければならない。
そんな感じだった。
彼らは彼らなりのつながりの中、それぞれの生き方がある。
私の想像なんか及ばない。
今日から4月。
もう、1年の3分の1が終わってしまった。
そしてまだ、3分の2が残っている。
いきなり訃報が届く。
人生に「また今度」は無い。
会いたい人には会う。やりたい事はやる。
そうやって生きられたら幸せだね。
今日はオ'ハナでヨガクラス。
今出来る事をたんたんとやる。それもまた幸せ。
もう、1年の3分の1が終わってしまった。
そしてまだ、3分の2が残っている。
いきなり訃報が届く。
人生に「また今度」は無い。
会いたい人には会う。やりたい事はやる。
そうやって生きられたら幸せだね。
今日はオ'ハナでヨガクラス。
今出来る事をたんたんとやる。それもまた幸せ。