身も心も

病気の事。ヨガやアロマの事。日々の事。好きなもの。

8月「私達のミーティング」開催のお知らせ

2009-07-31 18:10:42 | 日記
「原家族と現家族との関わりの中で自分を主人公にして生きづらさを語ろう」


親にとっての「良い娘」として成長し結婚。
そのまま、世間や回りの人間の評価の中で「良い親」「良い妻」「良い嫁」を
やって来た。
人生、折り返し地点に来た今、老いた実親との関係、義親との関係、
長年連れ添ったパートナーとの関係。
そんな中で、孤独感、虚しさ、居場所の無さを感じていませんか?

言いっぱなし、聞きっぱなし「私達のミーティング」です。
言葉として、声に出して「生きづらさ」を語りましょう。

〔日時〕8月23日(日)13:30~15:30
     17:00まで場所が借りられるので
     17:00までフリーミーティングとして自由参加。
〔場所〕東京都江東区富岡1ー16-12 
    「富岡区民館2F和室」
    地下鉄東西線「門前仲町」駅下車徒歩3分。
    出口1を出たら不動尊ご利益通りを不動尊に向かって直進。
    「成田堂漢方薬局」右折。「清水眼科」の合い向かい。
  *駐車場はありません。
〔参加者〕45歳以上。女性。既婚に限らせていただきます。
〔費用〕¥500
    おつりに困らない様、細かいお金を用意して下さい。

予約、連絡は要りません。当日、直接会場にいらして下さい。
飲み物は各自で用意して下さい。



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買いたい服が無い

2009-07-16 18:57:16 | 日記
今日は定休日。

家族の中で、家事をやる比重は私が一番重い。

30年近い結婚生活、ずっとそうだった。

家の中をピカピカに磨き上げ、子供のおやつを手作りしていた時もあった。それを楽しんでいたかと言うと、まったく楽しんでいなかった。
毎日毎日「~しなければならない」と言う、義務と責任に追い立てられていた。

3年くらい前「あ~嫌だ!私は家事が嫌いなんだよ!」と叫び、週に1、2度、堂々と家事をやらない日を作った。

それでも朝食作りと、その後片付けはやる小心者。

その日どんなに天気が良くて、明日た雨の天気予報でも、洗濯はしない。

今、これを書きながら「馬鹿みたい」と思う。
でも、「分かる、分かる」って言ってくれる同世代女子も、きっといるはず。

どんなに疲れていても、熱があっても家事をする。
「私がやらなければ誰もやらない。家の中が回っていかない」

そういうあなた!一度、堂々と「今日は掃除も洗濯も夕食も作りません。皆、各自でやって下さい」と宣伝してみましょう。
最初は、凄く罪悪感に苛まれる。
私は、寝っ転がってTVを見ている。その横で、夫と娘が買って来た弁当や、冷凍庫の残りご飯をチンしてボソボソ食べる。
「きゃ~!私ってなんて酷い人間なの?!」

でもやらない。
定休日です。


まぁ、そんな訳で、今日1日、ぶらぶら街を歩いて夏物バーゲンなんかを見ていたんだけど、、とにかく買いたい服が無い。もう何年、服買っていないだろう。
流行に左右されずゴテゴテ、ビラピラ色使いや飾り付けて無い。
シンプルで、締め付けず楽に着れて、ズルズル、ブカブカしていない。家で洗濯出来て、縫製がしかっりしていて、値段が手頃。

こんな服、どこかにないかな~。
誰か、知りませか?
同世代女子の方々、みんなどこで服買うの?
7、8年前の「無○良品」は、結構好きだった。その時買ったコート今でも着ている。
でも、最近はなんだかな~って感じ。
ぼやぼやしてると、夏が終わっちゃうよ。

なんて事を、夕暮れのカフェで考えている。
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7月「私達のミーティング」開催のお知らせ

2009-07-13 00:01:26 | 日記
「原家族と現家族との関わりの中で自分を主人公にして生きづらさを語ろう」


親にとっての「良い娘」として成長し結婚。
そのまま、世間や回りの人間の評価の中で「良い親」「良い妻」「良い嫁」を
やって来た。
人生、折り返し地点に来た今、老いた実親との関係、義親との関係、
長年連れ添ったパートナーとの関係。
そんな中で、孤独感、虚しさ、居場所の無さを感じていませんか?

言いっぱなし、聞きっぱなし「私達のミーティング」です。
言葉として、声に出して「生きづらさ」を語りましょう。

〔日時〕7月26日(日)13:30~15:30
     17:00まで場所が借りられるので
     17:00までフリーミーティングとして自由参加。
〔場所〕東京都江東区富岡1ー16-12 
    「富岡区民館2F和室」
    地下鉄東西線「門前仲町」駅下車徒歩3分。
    出口1を出たら不動尊ご利益通りを不動尊に向かって直進。
    「成田堂漢方薬局」右折。「清水眼科」の合い向かい。
  *駐車場はありません。
〔参加者〕45歳以上。女性。既婚に限らせていただきます。
〔費用〕場所代¥600を頭割りします。
    おつりに困らない様、細かいお金を用意して下さい。

予約、連絡は要りません。当日、直接会場にいらして下さい。
飲み物は各自で用意して下さい。

15:30より少し「ビジネスミーティング」をします。
今後の活動を考え「参加費」として、一定の金額を決めたいと思います。
宜しくお願いします。






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真夜中の交差点

2009-07-12 16:11:13 | 日記
深夜1時、母の入居している老人ホームより電話があった。
母の状態が急変し、救急車で病院に搬送。

母は電車で1時間半近くの場所、隣県のホームに入所している。
搬送された病院をネットで調べ(便利な時代になったな~)地図を印刷。
家の近くで直ぐにタクシーに乗る事が出来た。
運転手さんがナビで検索し(ますます、便利な時代になったな~)、高速を使い40分で病院に着いた。

とても良い個人タクシー運転手さんだった。
「聞いても良いですか?こんな時間に、離れた病院に向かう。失礼ですけどご身内に何かあったんですか?」と、自然に聞いて来た。
「はい、母の容態が急変して、、。」と、私も自然に答えた。

「分かりました。早く、安全に行きましょ。」
「お願いします。ベテランとお見受け致しましたので。安心です。」

車の中で、お互いの母親の事を話した。
昔の母。今の母。もう、8年も患っている事など、、。

運転手さんは「6年前、母を見送りました。」
昭和22年、6歳、4歳、3歳(運転手さんは一番下)の子供を抱え、33歳の若さで夫に先立たれた。苦労を重ねた人生だった。
「死んだ時悲しくなかったんですよ。やっと、楽になったんだな、、と、思いました」

闇の高速道路。遠いビルの明かり。不思議な空間だった。

母の命は、施設介護士の方々、医師の方々のおかげで繋がった。

深夜の救急病院は、聞いてはいたが大変な慌しさだった。
ひっきりなしにサイレンの音が近づいて来る。
泣き続けているか、ぐったりしている小さな子供、赤ん坊を抱いた親が駆け込んで来る。
高齢者が車椅子で運ばれて来る。
血だらけの酔っ払いが、フラフラと歩いて来る。

飲み込む力が弱く、喉の奥に溜まってしまう唾液の吸引と、酸素マスクで何とか落ち着いた母が、いつまでもERのベットを占領する事はできない。
「ここにいても施設でも、今後の処置は同じです。入院の必要はありません。民間救急車で施設の方にお帰り願えますか。」
午前3時にそう伝えた若い医師の目が赤かった。

「この先生、何時間勤務なんだろうか?」

民間救急車もなかなか見つからない。絶対数が少ないのだ。

施設に着くと母は、また激しく咳き込み心拍数、呼吸が乱れ始める。
このまま病院に逆戻りか、、と思ったが落ち着いた。

兄と施設を出たのは午前4時過ぎ。
夜は白々と明け始めていた。
施設前に建っている巨大高層マンションに、チラホラ明かりが点く。

「もう、起き始めている、、。仕事かな?遊びに行くのかな?」

「久しぶりに徹夜した。」2人で顔を見合わせた。
兄は今日仕事だ。

真夜中の交差点、たくさんの人々が行きかう。
働いている人。遊んでいる人。元気な人。病気の人。怪我をした人。死んだ人。
昼とは違う湿度の時間が流れていた。


先週は気持ちの浮き沈みが激しかった。
マイケルの追悼式が行われ、世界中にその映像が流れた。
TVで彼の特番を見るたび泣いていた。
彼の存在が自分の中で、世界の中で、どれほど大きかったか思い知った。

25年振りに専門学校時代の友人と会った。
年賀状のやり取りは、ずっと続けていた。
2ヶ月前、突然電話がかかって来て「会おう!」となった。
お互いの母親が入院などし、予定が何度も変更となったが、2人の執念で会えた。
最高の時間だった。
ここからまた、何かが始まる様な予感がした。

今日は都議選。現在午後11時48分。
自民党大敗の結果。
日本にもチェンジの波が来たのだろうか。













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願い

2009-07-03 19:59:21 | 日記
11年前、40歳の時、エアロビックインストラクターの資格を取得した。
その年の2月、28年繰り返した摂食障害の症状が治まった。
何気無く開いたフィットネス雑誌の中に「エアロビックインストラクター講座」と書いてあった。
受講資格が体育の専門校卒業や、指導経験が無くても良かった。

何のためらいも無く申し込み、私にとっては高額な受講料を、へそくりから払い込んだ。
8月、9月、前期後期に分け、真夏の6日間、午前中は講義、午後は実技とエアロビックに浸った。

エアロビックに出会ったのは22,3年前TVでだった。今では信じられない様なハイレグレオタード姿で、女性達がビートに乗り足を高く上げ、飛び跳ねていた。
衝撃的だった。不自然だと言われる、、あの笑顔。
それまでスポーツは辛く苦しい物だと思っていたが、とにかく楽しそうだった。
幸せそうだった。

娘が小学校に入学した年、パートで働いていたビルの隣にスポーツジムがオープンした。
「入会金0。無料体験あり」のポスターに誘われ、初めてエアロビックを体験した。
一回でとりこになった。「私が求めていたのはこれだ!」と思った。

そのころ摂食障害の症状も華々しかった。
食べた物を吐き出した後、スポーツジムに行く。今考えれば、ずいぶんと危険な事をしていた。
それでもエアロビックをやっている時、自分が解き放たれて行く様な幸福感で一杯になった。
「自分の存在が許される場所」だった。

この幸せを多くの人と共有したい、一人でも多くの人に伝えたいと思った。

「インストラクターになりたい」と本気で思った。

当時インストラクターは、ダンスの経験者か体育の専門知識のある若い人ばかりだった。
日本では、インストラクター養成が、まだ手探り状態だった。
30歳の子持ち主婦には夢のまた夢。

そして10年が過ぎ、私でも受講出来る講座が見つかった。

同期生約40人、ほとんど若い20代の受講生の中、私を含め40代が3人いた。
エアロビックコリオ(振り付け)のグループ発表の時は、「おばさんトリオ」と名付け、3人で励まし合いながら遅くまで居残り練習した。

筆記試験も、実技試験も、若い受講生に比べると一歩も二歩も出遅れる。

そんな私達を、優しく根気強く指導してくれた先生方。

夕方6時を過ぎると、講習会場が閉鎖される。そうすると薄暗い外で、蚊に刺されながら練習した。道行く人々に奇異な目で見られた。
自画自賛だが「おばさんトリオ」は誰よりも熱気とやる気に満ちていたと思う。

「この年してやるからには、それなりの意地と覚悟がある」

外での練習に最後まで付き合ってくれた先生がいた。
「そう、大丈夫。出来るよ」と、褒め、力付けてくれる。
感謝してもしきれない。

「褒めて伸ばす」とは、こう言う事なのだなと思った。

その先生の近況を、私が所属するエアロビック団体の会報誌で知った。

6年前乳癌を発症し、術後、放射線治療、科学療法、東洋医学の治療など、様々な治療を続けてきたが、骨転移が判明。今は、仕事を辞め故郷で療養中。

絶句した。
「何で!?どうして!?」と、言ってしまった。

会報誌には本人の手記が掲載されていた。
「『一日一生』の気持ちで、一瞬一瞬を燃やして生きよう。と心底思っている。
病気になったことは運が悪かったけれど不幸ではない。本当に大切な事に気付かされ、満たされた気持ちになり、これまで以上に心は健康、元気。
いつかまた、人に喜んでもらう何か、この自分だからできる事、それができたら幸せだと心から願っている」と書いてあった。

願っている。
今度先生にお会いしたら、あの時のお礼をもう一度伝えよう。
そして、あの時、私が摂食障害と言う闇から這い上がろうと、必死でもがいていた事、でも、そんな私だから先生と出会い、先生からたくさんの光と力を頂いた事、それがどれほど大きく、重要なことであったか、今更ながら気付いた事を。



















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