身も心も

病気の事。ヨガやアロマの事。日々の事。好きなもの。

暑い

2024-07-29 15:55:14 | 日記

ブログを書こうとしても、「暑い!」しか出てこない。

ついに、群馬、埼玉は40度を超えるところが出たよ〜。

東京は37度だけど、

コンクリートからの照り返しは40度以上だと思う。

どうも、エアコンが苦手。関節が痛くなる。

でも、つけてますよ死ぬので。

暑さに文句行っても仕方がない。家事は午前中に済ます。

朝方人間にはこなせる。

早朝ウオーキングは、4時30分くらいからスタート。

帰ってきたら、シャワー浴びるついでに風呂掃除。

最後に浴びる、水シャワーが気持ち良い。

そんな毎日。

 

 

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Gospel in Akasaka

2024-07-18 19:41:15 | ゴスペル

昨日書いた、ゴスペルライブの映像をみつけた。

最後にみんなで歌ったEvery Praise

これも感動的だったけど、、、この後の出演者、関係者での打ち上げ。

100人以の大宴会。

あ〜本当にコロナ騒動が終わったんだな〜良かった〜。

こっちの方に感動した。

クアイヤのリーダーたちも

「コロナの時は、だれも来なかった😢」と泣きそうになっていた。

それなのに、、、また感染者数が増えてきたらしいよ!?

第11波だって、勘弁してくださいよ。

自分でできる感染対策をしよう。

 

 

 

 

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ゆったりと

2024-07-17 18:23:00 | 日記

今月始めにゴスペルライブ出たり、14,15日と娘ファミリーが泊りがけで、近所の盆踊りに来たり、、、。

色々忙しくしています。

あまりがんばらず、娘たちには「朝食、昼食は勝手に冷蔵庫にあるもの食べてね」

お婿さんには、雨ばかりで大量に溜まった洗濯物を、コインランドリーに持っていって乾かすの手伝ってもらったりした。

ばあちゃ役もゆったり、ごろごろ〜。だいぶ肩の力が抜けてきたな、、、。

 

 

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マイケル・ジャクソンの映画

2024-07-16 10:53:41 | 日記

マイケルの映画が公開されるんだって!

日本ではいつ公開されるんだろう?見たいよ〜。

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アンメット「満たされない」

2024-07-02 11:04:48 | 日記

なんとかしてください、、、この湿気、、、。元気な人も体調崩すって!

世界もだけど、日本をこんな気候にしたのはだれだ!はい、私たち人間です。

この異常気象は、目先の利益ばかりを望んだ結果。

 

アンメット

この春スタート、先月末に最終回となった、このドラマにハマりにハマった。

DVD購入、予約しちゃったもんね。

三瓶先生を演じた若葉竜也さん。映画中心に活躍されていて、若手実力ナンバーワン俳優と言われている。

アマゾンプライムで出演しいる作品を、何本か見たことがある。

およそマイナー作品ばかりで、このTVドラマで初めて知った方もいるかも知れない。

大衆演劇一座、座長の息子たち「下町の玉三郎 ちび玉三兄弟」の末っ子だと知ったのは最近。

まだ小さな子どもだったころの彼を、一座のドキュメンタリーで見たことがある。

父親に叱られ、泣きながら稽古をしていた。

「良い芝居をしなければ飯抜き」今だったら虐待で、法的処置になるだろう。

その後、ご両親の離婚により、母側に付いた彼は一座から離れたようだ。

インタビュー記事によると「いい芝居が何か?も分からない子供の時、父親に激しく叱られ、怖くて辛くて二度と役者はやらない」と思っていたそうだ。

「だけど1歳半から舞台に立たされ、これしかご飯を食べる手段がなかった。これしかできなかった」と、、、今でも「役者は嫌い。だけど生きるために一生懸命やっている」そうだ。

 

私が生まれ育った街にも昔、演芸場があった。

ずいぶん前に亡くなった、母方の祖母が東京に遊びに来るたび、当時4、5歳の私の手を引き足繁く通っていた。

明治生まれ。北関東の剣道師範の家に生まれた彼女。

当時の女性としては珍しく、きちんと教育を受け達筆で、華道、茶道にも精通していた。

とても気上で、姿勢も態度も言うことも、キリッとした人だった。

そんじょそこらの男性では嫌。見合いを、すべて断り続けていたそうだ。

業を煮やした父親に、無理やり嫁がされたのが農家の次男(私の祖父)。

戦前、戦中、戦後を生き抜き、8人の子供を農業をしながら育てた。

夫と2人の息子を戦地に送り、幸い失いはしなかったが、1人の息子は大怪我を負ってしまった。その傷は一生大きく残った。

子どもたちが皆、家庭を持ち、ただ一人東京に出した末っ子(私の母)の元を訪ねるのが、老後、唯一の楽しみだったようだ。

「東京は何でもあるな〜」と口癖のように言っていた。

 

演芸場では落語やマジック、浪花節、講談、、、何でもやっていた。

祖母のお目当ては、大衆演劇一座の芝居や歌謡ショー。

お札や10円、100円玉がバラバラと舞台に投げ込まれていた。

祖母も投げていた。私も祖母からもらった小銭を投げた。

そのショーたるや、、、差別的で猥雑。今だったら警察が飛んで来ちゃうと思う。

祖母は大声で笑い、時には泣いていた。

幼い私はポカンと口を開け、舞台と祖母をかわるがわるに見ていた。

今でも、あの薄暗い生臭い小屋の雰囲気は覚えている。

 

「アンメット」とは「満たされない」と言う意味だそうだ。

私が思うに、祖母の一生は「満たされないだらけ」だったろう。

 

しかし、、、「そんな時代だった」と言えば、そうだろうが、、、よくあの場所に、あの年齢で、私、入れたな〜。

客席を見渡せば、同い年くらいの子供が何人もいたような記憶がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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