なんとかしてください、、、この湿気、、、。元気な人も体調崩すって!
世界もだけど、日本をこんな気候にしたのはだれだ!はい、私たち人間です。
この異常気象は、目先の利益ばかりを望んだ結果。
アンメット
この春スタート、先月末に最終回となった、このドラマにハマりにハマった。
DVD購入、予約しちゃったもんね。
三瓶先生を演じた若葉竜也さん。映画中心に活躍されていて、若手実力ナンバーワン俳優と言われている。
アマゾンプライムで出演しいる作品を、何本か見たことがある。
およそマイナー作品ばかりで、このTVドラマで初めて知った方もいるかも知れない。
大衆演劇一座、座長の息子たち「下町の玉三郎 ちび玉三兄弟」の末っ子だと知ったのは最近。
まだ小さな子どもだったころの彼を、一座のドキュメンタリーで見たことがある。
父親に叱られ、泣きながら稽古をしていた。
「良い芝居をしなければ飯抜き」今だったら虐待で、法的処置になるだろう。
その後、ご両親の離婚により、母側に付いた彼は一座から離れたようだ。
インタビュー記事によると「いい芝居が何か?も分からない子供の時、父親に激しく叱られ、怖くて辛くて二度と役者はやらない」と思っていたそうだ。
「だけど1歳半から舞台に立たされ、これしかご飯を食べる手段がなかった。これしかできなかった」と、、、今でも「役者は嫌い。だけど生きるために一生懸命やっている」そうだ。
私が生まれ育った街にも昔、演芸場があった。
ずいぶん前に亡くなった、母方の祖母が東京に遊びに来るたび、当時4、5歳の私の手を引き足繁く通っていた。
明治生まれ。北関東の剣道師範の家に生まれた彼女。
当時の女性としては珍しく、きちんと教育を受け達筆で、華道、茶道にも精通していた。
とても気上で、姿勢も態度も言うことも、キリッとした人だった。
そんじょそこらの男性では嫌。見合いを、すべて断り続けていたそうだ。
業を煮やした父親に、無理やり嫁がされたのが農家の次男(私の祖父)。
戦前、戦中、戦後を生き抜き、8人の子供を農業をしながら育てた。
夫と2人の息子を戦地に送り、幸い失いはしなかったが、1人の息子は大怪我を負ってしまった。その傷は一生大きく残った。
子どもたちが皆、家庭を持ち、ただ一人東京に出した末っ子(私の母)の元を訪ねるのが、老後、唯一の楽しみだったようだ。
「東京は何でもあるな〜」と口癖のように言っていた。
演芸場では落語やマジック、浪花節、講談、、、何でもやっていた。
祖母のお目当ては、大衆演劇一座の芝居や歌謡ショー。
お札や10円、100円玉がバラバラと舞台に投げ込まれていた。
祖母も投げていた。私も祖母からもらった小銭を投げた。
そのショーたるや、、、差別的で猥雑。今だったら警察が飛んで来ちゃうと思う。
祖母は大声で笑い、時には泣いていた。
幼い私はポカンと口を開け、舞台と祖母をかわるがわるに見ていた。
今でも、あの薄暗い生臭い小屋の雰囲気は覚えている。
「アンメット」とは「満たされない」と言う意味だそうだ。
私が思うに、祖母の一生は「満たされないだらけ」だったろう。
しかし、、、「そんな時代だった」と言えば、そうだろうが、、、よくあの場所に、あの年齢で、私、入れたな〜。
客席を見渡せば、同い年くらいの子供が何人もいたような記憶がある。