帆走で4-5里先沖合に&船型生み出す高速大漁操業 越後改良型川崎舟釧路川河口に101111
帆走で4-5里先の沖合に&その船型生み出す高速大漁操業 越後改良型川崎舟釧路川河口に101111
●「川崎船(かわさきぶね)」といえば、釧路市立博物館で、展示されていますが。
博物館で展示されている「川崎船」は、新館がオープンしたときに展示用として建造された船です。昭和58年の新館開館を前に、一度だけ造船元の旭町の平岩造船から、釧路川河口までを往復してもらいまして、進水式と記念運行を行ったことがあります。
●いま、「川崎船(かわさきぶね)」は「釧路漁業を特色付ける展示品」というお話がありました、が。
川崎船は、釧路漁業が前浜から沖合に漁場を拡大していった時期に、活躍した漁船です。時期は明治20年代にさかのぼります。
釧路沖、4-5里というところには、釧路川の「みおすじ 澪筋」と海溝が交叉する場所があります。そこでカレイ・タラ・キチジなどの魚を漁獲する漁業がはじまりました。ここに掲げたカレイ・タラ・キチジという魚は、生涯をひとつの場所で過ごす魚です。サケやニシンのように、移動している魚とは生態のことなる魚種です。
つまり川崎船は釧路の漁業を、漁場(ぎょじょう)の点では前浜から沖合いに拡大しました。漁業種目の点で川崎船は、季節性の高い漁業から通年型の新しい魚種を採取する漁業を追加したという、特徴があります。
●いま、「川崎船(かわさきぶね)」は新潟県の漁業者の持ち込んだ船というのも、特徴ですね。
新潟県の北蒲原郡や西蒲原郡の漁業者の方が、釧路沖に出漁してくるわけですよ。
佐野孫右衛門という方が寺泊から、江戸時代に来ていました。そうしたことが契機になったのか、次第浜・藤塚浜など聖籠町(せいろうまち)の砂浜海岸、間瀬(旧岩室村)・寺泊(長岡市)などの岩石海岸から、優れた船頭や力のある船持ち漁業者が、釧路に出稼ぎします。
●ところで、「川崎船(かわさきぶね)」という船の特徴を教えてください。
これが近代において、いくぶんの動力(小型エンジン)を装備するところから、「東北・北海道地方で、小型の発動機付き漁船。蟹工船(かにこうせん)の付属船にも使用」というわけです。小林多喜二の『蟹工船』が、最近、読まれておりまして、そこにも川崎船の記載が登場するということです。
川崎船の特徴の第一は、帆走船ということで=帆ではしる船。くわえて櫓や櫂を用いて漁場への移動、漁場での操業、そして漁獲物を輸送しながら帰港するためにつかわれますから、これをエンジンで移動する動力船に対して「無動力船」と位置づけています。 (佐藤宥紹 地域コミュニティ放送FMくしろ 「釧路歴史探訪 143話」)