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「以衆人堅城砦=<アイヌ民族がなびかぬように>」 幕府東蝦夷地直轄政策220408

2022年04月08日 13時41分58秒 | 記録
 「以衆人堅城砦=<アイヌ民族がなびかぬように>」 幕府東蝦夷地直轄政策220408

2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻が始まった。その前にはクリミヤ半島の領有と言うこともあった。
日曜日朝のワイドショー番組で、藪中三十二氏は次のように発言したように思う(録画してあるわけではないが)。
「USAは危機感を示し、『始まる、始まるぞ』とは申すも、なにもしようとしない」。

最近、ANNニュースが報じたという。2022/04/07 https://www.youtube.com/watch?v=gn-RJAi9l9A
「北海道を巡るロシア下院議員の発言 領土的野心の表れか(2022年4月7日)」 
<411,339 回視聴>。視聴記録は残されているようだ。識者は「ロシアのプロバカンダ、あおられることはない」と評してはいるが。

その前には、「アイヌ民族は『ロシアの先住民』 プーチン大統領が認定方針」と『北海道新聞』電子版 181218が伝えていた。
https://newspicks.com/news/3543642/

天明5,6年。ウルップ島に至った幕府調査隊は、同島に目にしたロシアの大艦に目をみはった。
寛政元年5月に起きた「クナシリ・メナシの戦い」が起き、日本東方のアイヌ民族社会と本州経済の軋轢と緊張状態が顕在化した。
寛政4年にはロシアの女帝、エカテリーナが派遣したラックスマンが根室に来訪。長崎に回送させて門前払いを食わせている。

いずれも江戸に出現。それは絶対にあってはならないことであった。上記3点を背景にして。
寛政11年正月16日、幕府は東蝦夷地のうち「浦河以東~知床まで」を仮直轄した。
政策の一は、「以衆人堅城砦=<アイヌ民族がなびかぬように>」。

政策の大綱を示す、羽太正養著『休明光記』。
考察するに「銭をかけずに、政策を貫徹」。財政危機に迫られた幕閣官僚の知恵がにじむ。
ウルップ島と択捉島の間に引かれた国境の線。そこには長い時間の蓄積がある。
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