豆本三昧我褸芥(がるぁくた)ノート & 美人画あれこれ

日本の名作文芸と東西の名画の自作豆本の内容紹介のほか、その資料として集めている東西の美人画をいろいろ紹介しています。 

十五夜 補遺 月見と月待ち

2014年09月10日 | 今日の美女
 江戸時代の月と絡んだ年中行事として、「月見」以外に「月待ち」というのがあった。
 「月待ち」は「二十六夜待ち」ともいい、一月と七月の二十六日夜の月の出を拝むと月光の中に「阿弥陀三尊」が出現するという信仰から始まったものである。月見と違って「初日の出」同様「月の出」そのものに意味があるのだから東に向かって海が広がり水平線が見渡せるような場所として、江戸では高輪(高縄)が最適とされた。当然十五夜の月見の場所としても「江戸の観光スポット」であり、「高縄の月」は浮世絵の恰好な題材であった。そして秋七月の「廿六夜待ち」八月の「十五夜」九月の「十三夜」と月の行事が続いたのである。

 さて、以下大中小三点の広重作品を見てもらいたい。
 右手料亭の欄干から海を眺める女の似た構図だが、右小には月(と雁)が描いてない。

  江戸名所四季の眺め・高輪月の景


  江戸名所・高輪秋の景                                                東都名所年中行事・七月高輪廿六夜
  

別作品の廿六夜待ちにも月は描かれていない。上述のように「月待ち」は月の出の瞬間が大切で僅かな時間で終わってしまい中天にかかった逆三日月のごとき細い月そのものは見る意味がない。まん丸の月をその夜の間中愛でる「月見」とはそこが違うのである。だから絵でも月そのものは題材にならず描く必要もないのだろう。
  江戸名所年中行事・高輪廿六夜                                      江戸自慢三十六興 高輪廿六夜
  

 数多くの娯楽や休日のある現代と違うから、信仰は表向きで実はそれをだしにした遊興の形は沢山見られる。「月待ち」はその最たる一つで、僅かな瞬間のしかも夜中遅くに出る月を見るために、人々は退屈しのぎに飲み食いをして楽しい時間を過ごそうとするのは考えるまでもない。そんな花火まで上げるぎやかな光景こそが遊興目的の「月待ち」なので、下の作品がその様を如実に描いている。さらに、信仰を離れた遊興が主体となればまた寒い一月の夜中の「月待ち」より納涼も兼ねた七月の方が大賑わいなのはムべなるかなであろう。
 したがって冒頭の大中二作品は、明らかに十五夜満月を目的とした「秋の景」「月の景」なのである。
  東都名所高輪廿六夜待遊興の図


◎ ところで下の作品はどういうことになるのだろうか。
  タイトルに「廿六夜待」とあるのに左手海上に満月が出ている。
  現代なら「三十日」に満月が出ても「十五日」が三日月だろうが構わないが、陰暦の中で生活している作者が「何日」ということで月の大きさを間違えることはないはずなのだが・・・。

  歌川豊国(国貞) 十二月の内 文月 廿六夜待


◎ 海外、特に西洋ではなぜか「満月」は「狂気」と結びついている故か、日本の様な作品は見当たらない。
 Henri Rousseau                                        フランス作者不詳       Raja Ravi Varma インド
    


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