僕の半分以下の年齢の特派員からの画像について、
我が家にも探せばお宝写真は出てくると思われますが
発掘調査の時間がなかなか取れません。
前列向かって左の T 君は30年近く消息不明ですが
残る4人は今でも顔を合わせる機会があります。
ダーツに負けると羽子板の罰則を適応しました。
眉が何倍にも太くなったり、鼻の頭や口の周りが
デン助メイクになったりと・・・放送機材にもデンスケという
名を聞いたことがありましたがメイクは浅草のデン助です。
その場の空気など全く読まなかった彼は酔い潰れると
友人達に自宅のベッドまで運んでもらうのが常でした。
ある日、彼が朝食に起こされてテーブルに着いた途端に
兄弟は爆笑、両親は激怒したそうです。
「いいから顔を洗ってコイ!!」と父親に言われ
洗面所で鏡を見ると自分じゃない顔があったそうです。
油性マジックの威力は凄まじく何度石鹸で洗っても
薄くなったような気はすれど消えずに顔はおそらく
赤くなった筈と申しておりました。
スタンド・バイ・ミーより年齢は上で、
製作:フランシス・フォード・コッポラ
監督:ジョージ・ルーカス の
アメリカン・グラフィティの登場人物と同じ年代だったと思います。
中でも T 君にとっては
まさに Graffiti (落書き、イタズラ書き)でしたね。
顔といえばもう一人、A 君にも忘れられない
思い出があります。
初めてのマージャンを彼は夏の海の民宿で体験しましたが、
ルールを憶えながら何回か練習。
モトクロス仲間は夏は川原のモトクロス同様に海も好きでした。
彼が親の時に「トイレ」。
残る3人は急いで「ツメコミ工作」。
彼には特別にイイ配牌を差し上げておきました。
戻った彼は「おお、悪かったな」などと皆に礼を言いながら
自分の前の牌を起こしてニンマリしながらも
三人に気付かれぬよう小芝居を打ってから
「リーチ!!!」なんと配牌の段階で彼はテンパッテいたのです!
ところが彼が千点棒を置いた瞬間に
三人が「ロン!!!!」
なんと残りの三人はみなマンガン。
彼の点棒はスッカラカンになりゲーム続行の為に
彼のメガネで Hちゃんから点棒を借りる始末。
「盲牌の練習になるぞ~」などと言われながら
皆で記念写真を撮ったのですが、後日A君は
「こいつ俺と同じシャツ着てやがら・・・・」
「それオマエじゃねえか!」
そう彼は自分のメガネを取った顔を裸眼で見た経験が
無かったそうです。一時はコンタクトも使用していましたが
最近はまたメガネを使用しています。
アンジェラ・アキさんの影響なんでしょうかね?
ついでながら、マージャンで心者相手に金銭を
賭けるようなアコギなマネはしていません。
彼もその時の経験を生かしてギャンブルに
溺れる事無く今日まで暮らしておりますから、
言ってみれば僕達は皆彼の恩人かも知れません。
徴兵制度の無い日本ですから T 君が音信不通に
なったのはベトナム戦争とは無関係かと思われます。
ジョーン・バエズやボブ・デュランの曲よりも
彼はキャンディーズやゴールデン・ハーフを
好んでいたような気がします。 念の為。