冬は月や星などが見える時間に千住から日光街道を麻布に向かって
走り出すと南千住、三ノ輪辺りから徐々に二台三台とバイクが
同じ方向を目指し団子集団になっていったんです。
特に先頭集団にはホンダ、ヤマハ、スズキの三台が毎日のように
揃って集団から抜け出すパターンでした。
スタート直後は決まってスズキが先頭、二番手はヤマハと
2スト勢でちょっと遅れてホンダのCBが続き青信号が
続くとCBが高回転の伸びるエンジンで2スト勢に迫り追い付いた
もんです。勝負の決着は昭和通りのトンネル出口までです。
トンネル上がって左は築地、右は新橋で三台は別れました。
右に曲がって銀座からの通りを左に曲がって赤羽橋を右に曲り
直進すれば麻布十番に入ります。
お店に着く頃には冬の指先は寒さが痛さになり感覚も無くなり
スキー手袋の中の伸びない指を店のオーブンに付けて解凍?
したような気がします。
当時のスクーターなんて話にならないほど遅かったんです。
左の築地方向に曲がった二人は今でもバイクに乗ってるか
なんて思います。なにしろ当時は毎日がメーカーの威信を
勝手に賭けてのバトルだったんです。
三人で話したことなんて一度もありませんでしたが
誰かの姿が見えないと気になったりしたんです。
ドコで誰がどんなラインを取るかなんて皆が知っていましたから
気を使いながらのブロックラインを走ったり自動車を
周回遅れと思いブロックに使ったりして特性は違っても
エンジン性能なんて大差ありませんでしたし
誰も自分達が事故るなんて考えていませんでしたから
そりゃあ毎朝が両手両足視覚聴覚全開で緊張と興奮の
ラジオ体操みたいなもんでした。
多分僕以外の二人もそうだったと確信してます。
失くす物も怖い物も何も無かった頃でした。
昭和通りから赤羽橋に曲がる角にヤマハの
ボートショップが在ってボート、エンジンからヨットや装備の他に
海図までも販売していたんです。
そのヤマハで入手した
東京湾の海図は貼られてから20年近くが経過しました。
上辺の高さは僕の身長より上になりますから2m以上です。
それより僅かに上まで伸びるシーバスロッドが一本・・・
あと50センチ長ければヘチ竿の代用が出来たかも知れません。
ワンピースのロッドじゃバイクは無理でスクーターならとも
思いますがミドリちゃんでも当然無理です。
キャべラスの通販カタログにはワゴン車の天上に付ける
ロッド用アダプターが載っていたこと思い出しました。
このロッドには Abu のベイトリールを着けて
使っていたような気がします。
思えば もう随分と昔の話です。
本当の怖さの類いを知った頃です。
でもその頃は誰より一番怖いのは自分だなんて思ってもみません
でしたから若かったんですね。
どんな自分かを今になって知ったとしても逃げる訳にはいきませんね。