関西では今日しか上映されないというので無理やり時間を作り、「石井のおとうさんありがとう」という映画を観てきました。石井十次というキリスト者で宮崎出身の一民間人が、まだ「福祉」の言葉もない明治20年、22歳で孤児を預かり、それがきっかけで医学生だったのが孤児の教育に生涯を捧げる決意をし、岡山孤児院(後に十次の故郷である宮崎に移転)を作って3000人もの孤児を育てあげたという、まあ、いわゆる感動ものの福祉を扱った映画です。
上映会を開いたのはNPO法人、会場は伊丹市内の公共ホールにて。私は勝手ながら福祉に特別な関心はなく、ただ主演が松平健をはじめ、竹下景子、辰巳琢郎、永作博美と結構豪華キャストなので興味がわいたというのが本音でした。特に松平健は最近、結構重みのある映画に(体も「暴れん坊将軍」の頃に比べてグッと重みが増したようですが)出演しており、彼が主役なら安心だろうと思ったのもあります。
ところがところが…。大手映画会社に配給すると、観客動員数によってはあっという間に上映が打ち切られるので、それを避けて長寿映画にしたいがために、敢えて大手映画会社に売らなかったと聞きました。が、やはり映画は観る環境、ハード面も非常に大事だということを実感。座席は前列と段差のないパイプ椅子、しかも真ん中から後方の席は後ろの映写機の音が結構やかましいため、画像や音声が4割ぐらい見えず、また聞こえません。当日券は1600円もするので、「いくら福祉でも、NPOでも、それはないやろ!?」と思ってしまいました。
あと、実在した石井氏には頭が下がりますが、映画はちょっと(長編の原作をはしょらざるを得ない厳しい条件下ではあっても)くさい。どうも全体が学芸会のようなノリです。ほとんどの子ども役がセリフを棒読みし、松平と永作もかなりウソっぽいしぐさが多いのが気になりました。心理的な葛藤や感謝、感激などの場面があっという間に次のシーンに変わるため、役者たちの上っ面の演技のみを観ることになり、観客が感動を共有できないのです。これは監督の責任です。
そして家計は火の車ということになっているのに、ぶよぶよとまではいきませんが、たっぷり贅肉をつけてしまった体を見せながら、松平が着物を脱いで「これを質屋に入れて、お金を工面してきてくれ!」と叫ぶシーンはとても気になりました。「そんなに丸々太ってて、生活苦や質屋やと言っても実感わかんで!」というところでしょうか(^^;)。
あかん。どうにもこうにも゛裏読み゛をする職業病が抜けません。あとはいちいち書くのも面倒になってきたので、この辺でおしまい。
上映会を開いたのはNPO法人、会場は伊丹市内の公共ホールにて。私は勝手ながら福祉に特別な関心はなく、ただ主演が松平健をはじめ、竹下景子、辰巳琢郎、永作博美と結構豪華キャストなので興味がわいたというのが本音でした。特に松平健は最近、結構重みのある映画に(体も「暴れん坊将軍」の頃に比べてグッと重みが増したようですが)出演しており、彼が主役なら安心だろうと思ったのもあります。
ところがところが…。大手映画会社に配給すると、観客動員数によってはあっという間に上映が打ち切られるので、それを避けて長寿映画にしたいがために、敢えて大手映画会社に売らなかったと聞きました。が、やはり映画は観る環境、ハード面も非常に大事だということを実感。座席は前列と段差のないパイプ椅子、しかも真ん中から後方の席は後ろの映写機の音が結構やかましいため、画像や音声が4割ぐらい見えず、また聞こえません。当日券は1600円もするので、「いくら福祉でも、NPOでも、それはないやろ!?」と思ってしまいました。
あと、実在した石井氏には頭が下がりますが、映画はちょっと(長編の原作をはしょらざるを得ない厳しい条件下ではあっても)くさい。どうも全体が学芸会のようなノリです。ほとんどの子ども役がセリフを棒読みし、松平と永作もかなりウソっぽいしぐさが多いのが気になりました。心理的な葛藤や感謝、感激などの場面があっという間に次のシーンに変わるため、役者たちの上っ面の演技のみを観ることになり、観客が感動を共有できないのです。これは監督の責任です。
そして家計は火の車ということになっているのに、ぶよぶよとまではいきませんが、たっぷり贅肉をつけてしまった体を見せながら、松平が着物を脱いで「これを質屋に入れて、お金を工面してきてくれ!」と叫ぶシーンはとても気になりました。「そんなに丸々太ってて、生活苦や質屋やと言っても実感わかんで!」というところでしょうか(^^;)。
あかん。どうにもこうにも゛裏読み゛をする職業病が抜けません。あとはいちいち書くのも面倒になってきたので、この辺でおしまい。