のほほん自転車日記

早く走るより、回りの景色をみながらのんびりゆっくり。
自分の人生も介護ものほほんと…

リアル宝探しって?

2014-03-16 22:17:28 | モリコロパーク

3月に入ってから歯が痛くてとっても憂鬱な気分を過ごしていたのですが、さすがに歯医者に行くことは基本苦手(好きなひとはいるのだろうか?)なわたしも行かねば!!と思い、治療を受けてきました。

昔からお世話になっている歯医者さんのおかげで、かなりよくなり気分もアップ。

あらためて、歯は大事ですね。

 

さて、モリコロパークではクリスマスローズが結構咲いているということだったので、母と娘とともにほんのちょっとだけ出かけて行きました。

まぁ、ひとつ気になるイベント“リアル宝探し”にちょっと挑戦してみたかったこともあるんですけどね。 

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管理事務所で受付(地図?をもらって)をして、いざ出発です。

宝探し関係なく久しぶりに愛・地球博記念館に寄りたくなり行ってみたら、懐かしい展示品はもちろんのこと、個人所有の大阪万博時のグッズが展示してあったのでついついじっーと見てしまいました。

ちょうど所有者の方がみえ、かなり貴重なものが展示されている(わたしにとっては全部そうみえるんですが)ということで、話をいろいろしてもらいました。

いつか機会を見つけて、当時大阪万博が開催された大阪の吹田へ訪れてみたいものです。

 

そうそう、忘れてはならない宝探し…。

片手に地図を持ち、年齢関係なく宝探しをしているファミリーやカップル、年配者が土日祝日になると目立つこともあり、方向的には比較的早くありかを見つけやすい状況になっているかなという気はしました。っが、ちょっと頭をひねらないと子どもさんだけではやはり難しいかな

どこにあるかということはルール上ブログには書くことはできませんが、とにかく頭と体の運動になってよかったです。

すべて解答を見つけ、最後にまた受付の管理事務所へ行き報告をするとタカラッシュ!カードというものをもらえました

タカラッシュ!カードに書かれている宝物IDを、ネットでハンター登録してからID入力すると、見事宝物をゲットできるというわけなんですが、これって、最初ただのゲームかなと、いや、ゲームなんですが、遊ぶだけで終わりかなと思ったら違ったんです。

宝物を見つけるとポイントがつくみたいで、その貯まったポイントに応じて、たとえば先回わたしが明治村に行ったときに使った“明治村ほっこりきっぷ”なんかと引き換えることができるみたいなんですよね。

ただ単にネットの中で宝探しするだけというものではなく、屋外で実際に地図を見て謎を解きながら宝を探し当てるという、それなりに体力も使うので確かにリアル宝探しといえるかもしれませんよね。

今回モリコロパークでのこのイベントは初めてのことだと思いますが、案外面白かったので次回もまたあれば参加してみたいものです。

 

そういえば、イベントで思い出しましたが、春まつりが22、23日に開催されます。瀬戸の愛パークは22日のみ。

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他にはパンマルシェが、4月5日に開催されるみたいですね(管理事務所前に掲示してありました)。かなり人気があるようなので、お目当てのパンはチェックして購入した方がいいかも。

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これから桜やハナモモ(少し開花しはじめている木が数本ありました)の季節がやってくるので、モリコロパークに行くのも楽しくなってきます。

ちなみに、肝心のクリスマスローズはもちろん見ましたが、それよりも満開のミツマタを見てつい嬉しくなったわたしです。

見たとき、実はミツマタの名前が全然出てこなくて家に帰って画像をみて思い出しました。なんだかこういうことが最近多くなってきて、困ったものです

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あともう少しで満開

2014-03-10 18:38:13 | おでかけ(豊田市外)

9日(日)に、名古屋市農業センターへしだれ梅を見るために電車で出掛けて行きました。

平針駅から歩くと140kcal消費するとか…

母と共に外出するときは、最近ほとんど娘と一緒に行ってもらうことが多くなっています。

なんといってもいざというときにひとりよりふたりの方が助かるので…。

 

さて、赤池駅で降りて歩いて農業センターに向かいましたが、車でみえる方もやはり多いようで警備のひとが1時間待ちという案内板を持って立っていました。

でも、昨年のころよりはまだそれほど渋滞している感じはないかも…と思ったら、入口に行くと多くのひと・ひと・ひとでにぎわっていました。車イス移動を考えるとちょっと大変でしたが。

そして、しだれ梅はというと「7分咲き」とありました。

このしだれ梅を見ながら、ちょうどこのイベントに出店していた石窯ピザ屋台ぼっけーのさんで購入した“鰆と菜の花のピザ”を食べました

実は、この日歯が結構痛くて憂鬱な気分だったので娘だけで食べてもらおうと思ったんですが、誘惑に負けて食べたらすごく美味しかった!本当は一切れだけにしようと思っていたんですが、思わず二切れも食べちゃいました

 

農業センターは1時間ほどの滞在でしたが、今年も無事母とともにしだれ梅を見ることができて本当に良かったです。

でも、今度は自転車で来てゆっくり見て回りたいかも

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戦時の父のことを想う

2014-03-07 14:33:20 | 雑感

朝の連続テレビ小説“ごちそうさん”を見て、最近は涙涙の日々を送っています。

主人公と一緒に時を過ごしているような気になりながら、また両親が過ごしてきた時代を考えながら…。

 

2月のことですが、NHKで「戦時徴用船~知られざる民間商用船の悲劇~」について特集番組をがあったためそれを録画していたものの、なかなか落ち着いてみることができず、やっと昨日見ることができました。もっと早くみておけばよかったんですけどね…。

実は、わたしはの父はまさしくその時代に民間商用船に乗っていたため、様々な想いでその特番を見ていました。

 

わたしの父について、直接父から聞いたこと、また母から聞いたことを思い出しながら書き留めておきたいと思いますが、残念ながら船員だったころの話をすることはほとんどなく、わたし自身も関心もなかったため聞こうともしていませんでした。今になって思えばもっと聞いておけばよかったなと後悔しています。

 

父は大正12年(1923年)生まれ。生きていれば91歳でしょうか。

幼いころ、海のある場所に家族旅行に出かけたとき、父が船(小型船舶)の免許を持っているからといってとても嬉しそうにモーターボートを運転していたのを覚えています。

お酒を飲んで気分が良いときのことだったか、「俺は船に乗って海外に行ったことがある、あいさつはこういうんだ」と言っていたことがあり、どんな内容だったか忘れてしまいましたが船での生活というか寄港した先での楽しい思い出話をしていこたことがありました。今にしてみればあいさつは南米系だったと思われますが、そのときは父が船乗りだったということはあまり信じておらず、気が大きくなってホラでも吹いているのだろうと思っていたんです。

 

のちに、父が本当に船に乗っていたことを実感としてあったのは、父が亡くなり年金手続きをしたときのことです。年金事務所の方からここの地域で船員保険に入っていた人はとても珍しいと言われたことからです。

 

父がまだ10代のころ、山に囲まれているこの地から船乗りに憧れをもち家族に商船学校に行きたいという話をしたようですが、貧しい家庭だっため学校に行くことは叶わなかったと聞いています。ですが、兄弟(特に長男)の後押しもあり大阪商船へたぶん甲板員として働くことができたのではと思われます。

船員年金記録(自宅に郵送されてきた)をみると…4年間の間、船に乗っている期間の方が多い!というのがわかりました。

昭和15年6月1日~昭和15年12月5日

昭和16年1月9日~昭和16年8月24日

昭和17年3月11日~昭和18年1月4日

昭和18年1月16日~昭和18年11月24日

※昭和20年4月1日前までは船員保険法(昭和15年3月1日)によって、船に乗船している期間のみでしか適用されないとのこと。だからこそ乗船時期がよくわかってよいのですが。

船での仕事はかなりきつかった様ですが、自ら希望してついた仕事でしょうからたぶん弱音はあまりはかなかったのではないでしょうか。

船ではお相撲さんを乗せたりしたこともあったのだと自慢げに話していたこともありましたが、戦況も厳しくなってくると多くの兵隊さんを満州へ運ぶこともしていたといっていました。

ですが、民間商船。NHKの特番で放映されたように多くの商船が狙われ、海に沈んでいきました。

特番では、そのときの記録を克明に絵にしたものがいくつか紹介されていました。救命ボートに乗り助かった船員たちが海の鮫たちと戦う様子や、敵味方国籍関係なく助けたりする様子、また救命ボートに乗っていた若い船員が母子を助けるために代わって海に飛び込む様子など勇姿と悲壮感がそこには描かれていました。

父もやはり同じように乗っていた船が沈没したようですが、特番で描かれていたような勇姿ではありませんでした。

海に投げ出された父は生きるため必死で救命ボートにつかまろうとしましたが、つかまるんじゃないっ!と何度も殴られ無理矢理救命ボートに乗ったという話をしていました。むしろ人間の生への執着心を感じさせるものでした。よく英雄伝的な感じで語られることが多いでしょうが、そうではないこともあるのだということをこころにとめておく必要があるのではないかと思います。

といっても、あれはかわいそうだった…と話していたことがひとつあります。

船がゆっくり沈んでいくとき、救命ボートに子どもだけ預け、まだ船内にご主人が残されているからということで戻っていったお母さんがいたそうです。

あのあと子どもたちはどうなったんだろう?民間船を狙うなんて…と怒りを表していた父でした。その場にいたからこそのやりきれない気持ちだったのでしょう。

きっとまだまだいろいろなことがあったのだと思いますが、わたしが直接聞いたのはこれくらいでした。

その後、父は陸軍に入隊したようですが、徴用船となった民間商船への攻撃は昭和19年になるとさらに激しくなり多くの犠牲者を出したようです。

もしそのまま船員として船に乗り続けていたら亡くなっていたのかもしれません。

きょうの“ごちそうさん”でも徴兵されていく泰助が出征前日の夜、お母さんに自分のやりたいことを奪ったこの時代を許すことができない、と話していましたが、多くのひとは青春時代を奪われていった時代であり、親も自分の子どもを死ぬ(かもしれない)というのをわかっていて国のために送り出さなければいけないというのは悲惨であり残酷なことだとあらためて思いました。そして、国のために死ぬために生まれてきたなんてことにはしたくないものだとも。

 

戦争も終わり無事父は家に戻ってきて母と結婚ということなりました。本当かどうかはわかりませんが、海上保安庁から働かないかという声がかかったものの、母のことがあり(特におばあさんの都合)お断りしたということでした。ですが、父にとって船での経験は多くを語らなかった分、辛いことの方がもしかしたら多かったのかもしれません。だから、2度と船上での仕事はやりたくなかったのかもと。もう父は亡くなってしまったためどうだったのか二度と聞くことはできませんが、少なくともそんな時代を過ごしていたのだということを心にしっかり留め、同じような想いを後世のひとたちがしないようにしなければと強く思います。

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少しでも楽に。

2014-03-06 06:00:00 | 作ってみました

先日火曜日、診察後に平芝梅林公園へ母を連れて娘とともに行ってきました。

もともと駐車場がないため困る場所ではありますが、梅まつり期間中はお寺さんの駐車場を臨時駐車場としてお借りすることができるようになっているということ、また平日ということもあって混雑もなく余裕を持って停めることができ、梅をしっかり見て回ることができました。

 

ところで、梅を見た後家に帰り、母が経管栄養をしている間に薬とラコールを受け取りに薬局へ行きました。

1ヶ月分のラコール。今は1日800cc(400cc×2)のため以前1200c(400cc×3)分をもらいに行っていたころよりは数箱で済むのでずいぶん楽にはなったものの、それでもやっぱり重い薬局の方がいつもわたしの車に載せるのを手伝ってくれるので本当に助かってます。

家に帰るとラコールを母の部屋に運ばなければならないのですが、今までは車から母の部屋の掃出し窓にいったんすべて運んだあと、また奥の方に運び直していたんですが、それが思ったより手間というか大変だっためちょっとひと工夫してこんなものを作りました↓

すのこにキャスターをつけて

ラコールを載せて

母の部屋の掃出し窓にキャスター付すのこを置いて、そこの上にどんどんラコールを積み上げて移動すれば、はい終わり

おかげで移動が楽になりました

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梅めぐり~おまけ~

2014-03-05 06:00:00 | 自転車で豊田市外へ(岡崎方面)

風のおかげでヘロヘロになっていたものの、あとひとつわたしが住む小学校区にある北の梅園がどうなっているか気になってちょっと寄っていくことにしました。

浅田真央選手が通う中京大が見えてきました。梅園はこのすぐ近く。

ここまで来るとなんだかホッとしますね。

小さな鳥居から小さなお社(北野天満宮)に向かう参道の周りに梅の木が植えられています。『北の梅園』と名づけれたこの場所。なんだか可愛らしい感じでこれはこれでいい感じです

 

梅めぐりはこれで終了。

さすがにお腹が空いたので、帰りに愛知環状鉄道保見駅近くの高架下にある「たこ焼きハッピー」に寄って豚キムチお好み焼きを買って持ち帰りました。

火・水曜日が定休日 営業時間はAM11時~PM7時

ここのおばさん、本当に気さくで元気がよくてニコニコしていて感じがいいです。

家に帰って早速キャベツたっぷり入ってマスタードマヨネーズがかかった豚キムお好み焼き食べましたが本当に美味しかったぁ今度は洋風お好み焼き(チーズ入り)か、もちフランクも食べてみよっと。

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梅めぐり~2/2~

2014-03-04 20:15:00 | 自転車で豊田市外へ(岡崎方面)

平芝梅林公園からは、枝下緑道(豊田安城自転車道)をしばらく通っていくことにしました。

次なる目的地は岩津天満宮です。

実はいつもいろいろ参考にさせていただいている方のブログを拝見していたら岩津天満宮の梅の記事があり、そういえばわたし自身一度もまだ行ったことがなかったなということで今回行くことに決めたんです。

行きは枝下緑道(豊田安城自転車道)で…と思っていたんですが、途中から気が変わり久しぶりに名鉄挙母線跡地緑道を通ることにしました。

岡崎に入ってからはなるべく車があまり通らなさそうでまだ走ったことのない道を走りましたが、迷うこともなく無事岩津天満宮に着きました。

岩津天神の大きな看板(高速からもみえるらしいです)

ちゃんと駐輪場もあったので、そこに自転車を停めて…。

 

この鳥居の中に神様が渡られるという橋がかけられていたのでご利益というよりは感謝の気持ちを持って渡らせていただきました。

 

わが町の射穂神社のことを思えば拝殿までそれほど大したことのない坂道というか階段のはずなんですが、さすがに自転車で走ってきた後ということもあり足が重くて途中で休みながら上がっていきました。ですが、この階段を上りきると…。

なんだかわからないけど、きらびやかな感じ。百度石、初めて見たといっていいかも…。

いろいろある岩津天満宮。詳しいことはHPへ。

 

説明を読まないと何がなんだかわからないですが、なかなか興味深いものばかりでした。

そういえば、“なおらい”には驚きました。結局中には入っていませんが、外に出ていた看板メニューを見ていたら手作りプリン、美味しそうでしたねぇ。

そして、梅もこうやってみると“日本”という感じがしてとてもいいです。

 

これで、梅の花も見て終わり、、、というわけではなく、ちゃんと梅苑が隣にあったのでそちらに行ってみました。

平芝梅林公園は、まさしく公園という感じでしたが、こちらは山の斜面を利用した梅苑。すべて階段です。

梅を植える場所でずいぶん雰囲気も変わるものだなとあらためて感心してしまいました。いい場所です

岩津天満宮というと今まで学業の神様のイメージだけしかなかったんですが、今回のことでいろいろな発見ができ、梅の花も見られたし、思切って出かけてよかったなと思いました。

 

さて、行きはよいよい帰りは怖い♪ということで、帰りは本当に辛かったです

こうやって写真で見ると、とっても快適な道で走りやすそうな感じがしますが、何もなければいいんです、何もなければ…。でも、ひとたび風が吹くと周りに何もない分向かい風がまともにあたり、幅広のわたしの体にもろ直撃。空気抵抗をまともに受ける感じになるので、自転車のペダルも半端ない重さに。もしペダルから足をはずしたら押し戻されるんじゃないかってことも別に鍛えられなくてもいいのに、風よって鍛えられたような気がしました

 

今回のルートはこちら。44.3kmでした。

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梅めぐり~1/2~

2014-03-03 20:32:05 | 自転車で豊田市外へ(岡崎方面)

そろそろ梅の花の開花も進んでいるだろうからということで、天気も良いし…と思って出かけることにしたものの、窓から外を見ているとどうも風が強そう

風がある日のサイクリングは平坦の道でもまるで上り坂を行くような感覚になるだけに気分的には下降気味

といっても、花の開花は待ってくれないので行けそうなときに行かないと見そびれてしまうので意を決して出発です!

風があるとはいえ、向かい風でないせいか寒さもあまり感じることなく、ちょっと気分的にアップしてきました

さて、最初に向かうのは平芝梅林公園。母を送り出してからだったので10時過ぎに出発しましたが、市内なので30分程度で到着しました。

2日(日)から梅まつりを開催している梅林公園。

この梅林公園は35種類約550本の梅の木が植えられているとのことです。

早咲きの梅はハラハラと花弁を散らしていましたが、陽がよく当たるところとそうでないところでは開花状況もかなり違うのでしばらくは楽しめそうです。

実は、自転車でこの公園を目指して走っているときに、全体が白とピンクで染められてきれいだなと思える場所があったので、停めて撮ろうとしたんですが、お隣が墓地のためどうしても一緒に写り込んでしまうためあきらめました。

結局自分の目の中に記憶を留めておくだけになってしまいましたが、全体をみるんだったら“あの”場所がやっぱりいいかなと思いました。

 

あまりここでゆっくりしていると、次の場所に行くのが遅くなってしまうため、再び自転車に乗って移動することにしました。

どの道通ろうかなと迷いながらも…。

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地名とひとの名前

2014-03-02 20:14:29 | 雑感

息子が大学で音声の勉強というか研究をしていたときに、パソコンに録音した音声をいれるとイントネーションがグラフとして視覚化されて表示されるのをみせてもらったことがあるのですが、そのときにそういえばっ!とちょっと思い出したことがあったんです。

水戸黄門をちょうど見ていた時のこと、たぶん水戸黄門だと思うんですが、とにかく岡崎(おかざき)という地名が出てきたんです。

わたしは地名の岡崎(おかざき)というときは…簡単な表示ですが

<A:地名>

お か ざ き

_ - - -

と言います。

ですが、ひとの名まえを呼ぶときは

<B:名まえ>

お か ざ き

_ - _ _

と言います。

要するに第3音の「ざ」はまた下げるんです。

ですが、水戸黄門は地名も確か<B>のイントネーションだったんですよねぇ。

幼いころから普通に違和感なく地名と名まえを呼ぶときのイントネーションを変えてましたが、でもどうしてこうなったんだろうか?とか他のひとはどうなんだろうか?とか気になりますよね。ん~謎です

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