こちらは三浦一族第5代当主「三浦義澄」( みうらよしずみ ・1127~1180年)の墓所です。
ここへ参ったのは2022年5月22日のことです。歴史好きの知人が主催する「三浦一族のゆかりの地を巡る」イベントに参加して初めて行きました。
その日は朝から良いお天気(^^♪
5月らしい初夏の気持ちの良い一日を過ごせましたが、平地から山坂をいくつも越えて 相当な距離を歩きましたので とっても暑い思いもしました!
「三浦一族」の居城があった地元 衣笠( きぬがさ )に、参加者一族は集合(*^^)v
まずは某所でT先生からの講義を受けて、供された主催者さん手作りのお弁当をいただいてから、一同は元気よくウォークに出発しました!
あ、そうそう! 座学の会場をお貸しくださった某所にお住いの、これまた歴史大好きな方から、こちらの手作りの木札を記念にいただきました♡
JR横須賀線の「衣笠駅」近くのバス停から乗って、降りたところは木札と同じ「衣笠城址」バス停でございまする(*^▽^*)
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ここからあちこちに行ったのですが、今日のブログ記事では「三浦義澄」のお墓へ直行します!
三浦義澄公の墓所の手前には、当時の` 馬を繋いだ跡 ’ 「駒繋石」( こまつなぎいし )という場所も残されていました。
( T先生が解説中 )
そこから普通の住宅地の中を少し歩くと・・・
このような細い路地がありまして、奥は山肌をコンクリートで補強した壁になっていますが、そのすぐ下に墓所があります。
「三浦荒次郎義澄」墓所 全景
すでにきれいなお花が供えられていました☆
こちらは3月に観た「三浦一族 企画展」で撮ってきた 武者絵による「三浦義澄公」です。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、佐藤B作さんが演じていました。山本耕史さんが演じる「三浦平六義村」の父です。
三浦義澄は、「前九年の役」で源頼義に従った末に三浦郡を領して衣笠城を築いた桓武平氏の流れをくむ「村岡為通」( むらおかためみち )改め「三浦為通」から数えて5代目にあたります。
かの源頼朝が征夷大将軍を仰せつかった時に、任命の文書「除書」を天皇の勅使から受け取る役・そして鶴岡八幡宮で源頼朝に奉る役を命ぜられました。これはたいへん名誉なことで、『吾妻鏡』には次のように書かれているとのことです
「千万人の中に、義澄、この役に応じ面目絶妙なり」
これによって義澄は、幕府の御家人筆頭の地位を諸国に広く知らしめたということです。
資料を読み込んでみると、義澄は沈着冷静な人物だったと思われるそうです。
昭和56年( 1981年)に改修を施したようですね。
入口にこんなものもありました。
右を見たところ
左を見たところ
金ぴかに磨かれた「三浦の御紋」☆彡
お墓( 供養塔 )を囲む塀の左右に、目立ってバシッとはめられています!
実は「三浦義澄墓所」は、本来はこの場所ではなくて、 ここよりちょっとだけ南東方向に離れた場所にあった「薬王寺」という寺にあったようです。「薬王寺」は和田義盛によって創建されました。
薬王寺はすでになく、現在は横須賀市民の普通の民家が立ち並んでいます(;^ω^)
三浦一族の居城・館を示した地図です
真ん中あたりにある「衣笠城」から「大矢部城」( おおやべじょう )にかけての道を歩きました(*^▽^*)
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義澄公の墓所から歩いてすぐのところに、息子である6代当主「三浦義村」ゆかりの神社があります
「近殿神社」( ちかたじんじゃ )といいます。
次回に詳しく述べたいと思います!
( 2022年11月2日に三浦義村の墓所にふたたび行ってみましたので、それに含めて記録します )
三浦義澄の墓所 紹介WEBページ