マーチャンの写真日記(今を感じながら)

ついに退職の日が来ました。
この先どんな生活が展開していくのやら。
趣味の写真を中心に、つづってみたいと思います。

  9月11日  福島・浪江町への想い(1)-1 

2011年09月11日 | Weblog
  ”浪江、請戸川 遡上の為河口に寄せる鮭”(10年ほど前の年賀状写真)

 今日で大震災から半年が経ちました。
7月末に出した暑中見舞いに、Mさんから返事が来たのは8月末だった。
Mさんは返事が遅くなったことを詫びながら、
私が10年ほど前に出した年賀状を思い出して驚いたと書いてありました。

 Mさんは3.11の地震が起きた時、
彼はこの写真を撮った河口の対岸の公園でパークゴルフをしていたというのです。

 急いで家に帰る途中は、陥没や崩れで大変だった事、
双葉群大熊町の自宅に着いて、地震の被害は少なくて安心したものの、
次の日から原発事故による避難生活に入った事。

 体育館、旅館、仮設と移り、今は仮設住宅に居るといいます。
生活は、ニュースで報じられているとおりです、と言っています。

 この写真に写した請戸の町は津波で全戸流されたこと。
川は簗が無くなったので、鮭は上流まで遡上するのではないか。
「放射能で汚染されているのも知らないで」と結んでありました。

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  福島・浪江町への想い(1)-2

2011年09月11日 | Weblog
 私がこの地の鮭の撮影のとりこになってから、もう20年にはなるだろうか。
 今の写真クラブで撮影会に行ったのが始まりでした。

この時は、簗場や網の囲い込み漁を撮影するのがメインだった。
フリー時間に私は海岸の砂浜を歩いていて、ふと目にした打ち寄せる波の中に、
胡麻塩のような、黒い浮遊物の様な物体を発見した。

 それが川への遡上を待つ鮭の群れであると分かったとき、
 身が震えるような感動を覚えた。
 事前に人から聞いていたのではなく、
 たまたま自分の目で見つけた発見の感動はひとしおであった。

 その時カメラは白黒フィルム。オートフォーカスなんてなかった。
 連写もない。

 私の浪江詣ではこの時以来続いていました。
 でもこの写真も10年前の写真。
 カメラ機材は年々進歩しているのに、なかなか納得できる写真が撮れずにいました。

 過去二年間は水温が高くて鮭の遡上は低調だとの連絡を受けて浪江行をストップ。
今年は禁断症状が出そうで、何が何でも行くぞと誓っていた時にこの震災・事故となってしまいました。

 それでも鮭は必ず来る。でも放射能で立ち入りができない。アア!
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  福島・浪江町への想い(1)-3

2011年09月11日 | Weblog
  ”夜の請戸港”

 そんなわけで、今日と明日は、今はもう見ることができない、
 浪江町請戸の漁港の写真を、震災で亡くなられた方へのお悔みと、
 被災され、原発事故で不自由な生活を余儀なくされている方々へのお見舞いの気持ちを込めて、
 昔の写真をひも解いてみました。

 最初は夜の請戸港です。
 昔は夕方埼玉を出て、夜中に港に着いて、
 車で仮眠して翌日撮影して帰る、というスタイルでした。

 大抵は、夜の10時頃港に着くのですが、
 水銀灯の明りの中で港に係留されている船は
 白い船体が青みを帯びて輝き、撮りたくなります。
  夜中の12時過ぎまで撮りまくっていました。
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  福島・浪江町への想い(1)-4

2011年09月11日 | Weblog
  ”夜の請戸港”
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  福島・浪江町への想い(1)-5

2011年09月11日 | Weblog
 船のマストの棒が、昔の侍たちが、槍を天に向けて整列する様に見えました。
 なんでこんなことを思ったかというと、
 ある時満月が雲の切れ間から顔を出した時がありました。

 この月と、天に伸びるマストの先を撮ろうとしたとき、
 「荒城の月」の一節、
 ♪ 植る剣に 照り沿いし 昔の光 今いずこ
 が思い出され口ずさんでいたのです。

 結果はイメージ通りの写真が出来たかって?
 いいえ。どんなに静かな港とはいえ、船はゆっくり揺れています。
 月をバックにマストが首を横に振ったようにぶれて、お笑い写真になりました。

  正面は東で外海です。
 津波は正面から押し寄せ、これらの船を根こそぎ
 陸地に押しやったのでしょう。
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  福島・浪江町への想い(1)-6

2011年09月11日 | Weblog
 右奥の建物は、何度かお世話になった、またほし旅館。
グーグルアースの写真では、このあたりの建物は跡形もなくなくなっていました。
 近くの小松屋旅館のタオルはまだ我が家にあると思います。

 再びこの地へ立ちたい。
 明日は夜明けの写真です。
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