”ゴミ出しの道すがら”
昨夜は「二十四の瞳」を見てしまった。
私は中学時代に初回の白黒映画を見ている。(学校で連れて行った)。
年と言うのか、途中から見たにもかかわらず、すぐに涙ぐんでしまう。
大きな時代背景の中でけなげに生きる子供たち。 皆があの映画に共感できた時代だったな。
今日は遅くにゴミ出しに出た。 後頭部を数分間照らされたら倒れてしまいそうな日ざしです。
”ゴミ出しの道すがら”
昨夜は「二十四の瞳」を見てしまった。
私は中学時代に初回の白黒映画を見ている。(学校で連れて行った)。
年と言うのか、途中から見たにもかかわらず、すぐに涙ぐんでしまう。
大きな時代背景の中でけなげに生きる子供たち。 皆があの映画に共感できた時代だったな。
今日は遅くにゴミ出しに出た。 後頭部を数分間照らされたら倒れてしまいそうな日ざしです。
”銀座 すずらん通り祭り”(8月4日)
自然の中に浸るも良いが、時には都内の写真も撮りたい。
そんな気持ちで、 ”おら東京さ行ぐだ” と真夏の東京のど真ん中へ。
たまたま出会った、銀座すずらん通りの夏祭り。 路上で様々なダンスが演じられています。
良し撮ろう。 横からでは説明写真で臨場感がない。 かれこれ撮っているうちに、
何時しか私は、かぶりつきに陣取ってしまっていたのでした。 ↓ いきなりこんな姿にカメラを向けるのは初めて。ドキドキ。 タヒチアンダンス。
(かぶりつきの悩み) いつしか私は、記録用のビデオ三脚の下にしゃがみ込むように入っていた。 まるで撮影責任者の様な場所だ。
レンズは35mmの単焦点。体を目いっぱいバックさせてようやくフレームに入る。
かぶりつきに座って見て、ここに座ることは責任があることが分かった。
演者の正面だから、まっすぐ見ていなければ相手からも見えるし、相手に失礼だ。
でも常時シャッターを押しているわけではない。かと言って横も向けないし、カメラを下してじっと見続けるのも気恥ずかしいものがある。
表現とは、年齢は関係ないことを思った。
フラメンコを踊る中央の女性。さっきはソロでタヒチアンダンスを踊っていた。ほかのダンスも踊るし。踊りの解説、司会進行を一人でこなす。すごい人です。
ラテンの情熱的な踊りも。 皆が良いカメラポジションを取りたがっている時。特等席に座ってしまった私は。席を立つのがもったいない気になって粘り続けたのでした。
立つに立てない。路面に尻もちついて撮る私は、 写真好きな人なのか、色香に浮かれた人なのか。 どちらに見られたことやら。