詩人PIKKIのひとこと日記&詩

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腐敗天国と言論<本澤二郎の「日本の風景」(3464)

2019年10月14日 | 犯罪
腐敗天国と言論<本澤二郎の「日本の風景」(3464)
<モリカケTBS山口強姦魔事件+関電財閥疑獄>
 権力の乱用は、アメリカでも見られるが、それに対してトランプ弾劾へと野党もマスコミも熱心である。韓国では、法相の事件に検察がひるむことなく体当たり、政府は逆に検察改革に必死だ。検察は、すでに大統領を逮捕するという、見事な犯罪捜査で世界を驚かせている。

 わが日本はどうか。アベ自公内閣はモリカケTBS山口強姦魔事件という発覚した犯罪に対して、法務検察はそっぽを向いて不正義どころか、強姦魔を不起訴にするという重罪を犯している。結果、警察の犯人は皆出世している。こんな悪政を見たことは、初めてのことである。

 そこに降ってわいた関電の原発に絡んでの、まことに大掛かりな深刻重大な犯罪事件が発覚した。金沢国税局の大手柄であるが、当時の国税局長らの正義をたたえたい。
 当たり前の国税査察に検察は、それでも今もそっぽを向いている。安倍側近の稲田朋美、世耕弘茂らの闇献金も発覚、政界・官界を巻き込んだ、戦後最悪の疑獄事件を露呈している。

 監督官庁の経済産業相の菅原一秀は、過去に秘書給与上納で逮捕された坂井隆憲と同じ事件を起こしている事実も発覚した。
 腐敗天国を裏付けるアベ自公内閣であろう。

<財閥と法務検察の癒着を文春がすっぱ抜く!>
 コンビニで文春を立ち読みしてきたという友人が、早朝に電話してきた。おそらく事実に違いないが、恐ろしくも驚くべきことに、関電など関西財界と大阪地検の癒着関係の根っこに、元検事総長が控えている、というのである。

 これは大ニュースだ。この人物を国会に呼んで証人喚問すると、関西は晴れてくるだろう。

 そうしてみると、の森山は使い走りレベルということになろうか。奥は深い、実に深い。悪党を退治するために高額の報酬を得てきた検事総長が、卒業すると、闇のフィクサーとして政財官界に君臨している!

 小説家の手の届かない世界が、日本の戦後に息づいていたことになるのか。度肝を抜かれるような日本の心臓・深層である。検察は悪党の味方ということになろう。
 韓国に先んじて、日本は検察改革をしなければならない。

<甘い野党追及は散発、薄い効果>
 昔の野党には、爆弾男などというレッテルを張られた社会党議員や共産党議員がいた。閣僚も首相もおびえていたものだ。

 その点で比較すると、現在の野党は「借りてきた猫」のようにおとなしい。追及もあちらこちらと散発、一発必中で射止めるという強い議員がいない。
 いい加減な答弁に対して、審議をストップさせるという当たり前の質問者もいない。自民党国対による毒饅頭に満足しているかのようだ。これでは民意を反映することはできない。国民への裏切りであろう。

<低すぎる民度を上げるための真っ当な言論>
 根本には、やくざさえもバッジをつけてしまうような民度の低さにある。これを上げる方法を講じなければ、政府の職権乱用による不正と腐敗はなくならない。

 国民が知らなければ、何でもやるという政治屋と官僚ばかりの日本である。金沢国税局のような正義の士は、他では見られない。内部告発さえもない。

 民度を上げる方法は、真っ当な言論を打ち立てるしかない。どうするか。NHKへの料金不払い運動を、国民運動にするしかない。
 NHKの豊富すぎる資金をもってすれば、闇を明るくすることができるからだ。本来の公共放送に格上げするために。
 次いで、権力の走狗となって久しい読売の不買運動である。権力を監視する言論界のトップが、首相と肩をたたきあう会食など論外である。
 目下の新聞らしい新聞は、夕刊紙の日刊ゲンダイくらいだろう。朝日と東京は、もっともっと権力監視の報道を引き上げたらいい。

 日本にジャーナリズムを復活させることが、国民の政治力を高めることになる。健全な言論は、健全な野党を育んで、正常な民主主義を確立することができる。腐敗天国と10%消費税の強行は結びついていることに気づくべきだ。

<ジャーナリストの決起今こそ>
 新聞テレビは、権力に屈しないジャーナリストを養成する責任がある。安倍自公内閣と共に、地獄に落ちる愚を選択してはなるまい。決起しかない!
2019年10月13日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

「太田昌国のコラム」第36回(2019/10/10)

2019年10月14日 | 犯罪
千葉県の被災と、千葉産ユリを詠う一死刑囚の句

 ここ数年か、天気予報のあり方が変わった。暴風雨がもたらす可能性のある被害をかなり大仰な表現で言う。でもこれは、台風の進路が変わったり急速に衰えたりして、被害が少なかった時に事後的に思う感想でしかないのだろう。事実、9月の台風15号接近を伝える予報の中には、「今までに経験したことのない暴風雨」という表現をまともに受け止めなければ、と思わせる切迫感があった。そして、その通りになった、伊豆諸島と千葉県と横浜市の一部では。

 政府の初期対応の「欠如」は、この危機感を持たなかったがゆえだろう。首相や官房長官が、いかに弁解に努めようとも、当時の「首相動静」や対応の仕方(=組閣強行)を見れば、一目瞭然なのだ。とんでもなく無責任な内閣の隠しようもない姿が!

 こんな連中が、もう7年間も私たちの社会を支配していることに気づく機会にしたいものだ。遅きに過ぎるとはいえ。

 10月9日付け東京新聞(写真)の一面に、鋸南町の花農家が受けた台風被害についての記事が載っていた。今回の台風での、千葉県全県でのビニールハウスの被害総額は200億円ということだが、この記事で取材された農家でも、ハウス10棟が倒壊し、出荷まじかだったユリ5万株がなぎ倒され、茎が折れたという。ユリで得られるはずだった1000万円の収入が絶たれたうえに、仕入れ済みの球根代などで1000万円の負債が残ったというから、気の毒この上ない。胸が塞がるようなニュースだが、「ユリ」と聞いて、私にはもうひとつの思いも生まれる。

 1974~75年に、いわゆる連続企業爆破事件を起こした東アジア反日武装戦線“狼”のメンバーで、それゆえ確定死刑囚であった大道寺将司君(写真)は、去る2017年5月24日、多発性骨髄腫のため東京拘置所で亡くなった。享年68。私は「救援」の立場から、最低月1回の面会を続けていた。面会にも文通にも差し入れにもさまざまな制限があるのだが、花の差し入れも例外ではない。タンポポやオオイヌノフグリ、つゆ草のような、野で摘んだ可憐な花を差し入れることはできない。拘置所の中と外にある特定の購買店で売っているものでないと、許可されないのだ。いくつかの花の差し入れを試みてのち、彼はいつもユリを指定するようになった。ほかの花に比べて長持ちすること、開花した花の強烈な匂いに惹かれたのだろう。無色・無臭の場に幽閉されたひとの気持ちとして、それはそうだろう。

 私が利用していた購買店では、注文を受けてから業者に手配する。お店で現物を見ることはできない。聞くと、千葉から来る花という。だから、千葉県の花農家のユリが全滅したと聞く私の思いは、二重に哀しいのだ。俳人・大道寺君がユリを詠んだ句を句集『棺一基』(太田出版、2012年)から拾ってみる。

  鈍色(にぶいろ)の空傾きて百合開く
  ゆくりかに開きそめたる鹿子百合
  百合の香や記憶の襞のそそめけり
  百合の香やかはたれ星の消えしより  *かはたれ星=明けの明星
  手も触れで崩れ落つるや闌(た)けし百合

 百合が花開くこと、強烈な香りを放つこと――をいかに楽しみにしていたかがうかがわれる。だから、盛りを過ぎた花が、手も触れていないのに落花するのが口惜しいのだ。

 大道寺君が好んだユリを栽培していた千葉の花農家の、今回の苦境を知ったら、彼はどんな句を詠んだろう。「3・11」のあとで、彼はこんな句をつくった。

  数知らぬ人呑み込みし春の海
  流されてまた流さるる彼岸かな
  風評といふ差別負ふ胡瓜食ふ

「不自由展」攻撃と新天皇キャンペーン 2019年10月12日 | 天皇制と人権・民主主義

2019年10月14日 | 犯罪
 「あいちトリエンナーレ2019」は今日12日閉幕します。開幕から3日で閉鎖された「表現の不自由展・その後」は2カ月後の今月8日再開しました。最低限の修復はしたものの、問題の本質はなんら解決していません。

 この事件は多くの問題を含んでいます。たんなる「表現の(不)自由」の問題ではありません。何よりも、安倍政権が補助金を不交付にしたことは、国家権力による検閲以外のなにものでもなく、芸術(祭)に限らず、あらゆる分野にわたって国家に対する「萎縮効果」を狙うもので、絶対に許すことはできません。1日も早く「不交付」を撤回させる必要があります。それなくして今回の事件の解決はありえません。

 同時に、メディアの報道が「少女像などの展示内容」として「など」の中に入れ、一貫して明言を避けている問題を指摘しなければなりません。それは、今回の「不自由展」で主に攻撃されたのが、性奴隷(元慰安婦)をモチーフにした少女像とともに、天皇裕仁・天皇制をモチーフにした作品だったことです。

 「不自由展への抗議の5割は『平和の少女像』、4割は大浦信行作品『遠近を抱えてPart Ⅱ』へのもので、それは昭和天皇を描いた版画を燃やすなどの映像を含めて構成されていたという」(豊見山和美氏・アーキビスト、9月11日付琉球新報)

 「4割」の攻撃を「など」で片づけことはできません。
 そのことを攻撃者側から示しているのが、あの河村たかし名古屋市長です。河村は主催者側(実行委員長代理)でありながら今回の事件の火付け役の1人ですが、8日には再開に「抗議」して会場前で座り込むという妄動を行いました。
 その河村が手にしたプラカードにはこう書かれていました。「日本国民に問う!陛下への侮辱を許すのか!」(写真中)。ここに攻撃の本丸があると言えるでしょう。

 「少女像」と天皇(裕仁)をモチーフにした映像の2つが主な攻撃対象だったことは、けっして偶然ではなく、きわめて重要な意味を含んでいます。

 「今回起きているのは憲法にある『表現の自由』よりも、特定の思想信条に対する差別の問題だ。…脅迫者の動機の根底には差別的な意図がある。それは天皇制に批判的な人への差別であり、朝鮮半島の人への差別だ」(木村草太首都大東京教授、10月3日付中国新聞=共同)

 「『慰安婦』と『天皇』。…この二つの主題が最強の地雷となったことの意味は深い。慰安婦に群がった男たちは、皇軍の成れの果てだった。両者の並ぶ美術展が、ある種の威圧で中断に追い込まれた。それは、あの戦争の真の反省を回避し続け、74年後の現在なお新たな戦争を欲望する日本という国家の奇形が、国際芸術祭の場でも露呈したということではないか?」(豊見山和美氏、同前)

 日本のメディアは「など」によって、木村氏や豊見山氏が指摘する問題の本質から逃げているのです。それは今日における天皇タブーに他なりません

 さらに目を向ける必要があるのは、今回の「不自由展」が、徳仁天皇の「即位後朝見の儀」(写真右)からちょうど3カ月目に開幕し、閉幕の10日後には「即位礼正殿の儀」が行われるという事実・タイミングです。

 「性奴隷」と「天皇」をモチーフにした2作品に対する歴史修正(改ざん)主義者・安倍政権の攻撃が、新天皇キャンペーンのさ中に起こったことはけっして偶然ではなく、天皇制の本質問題を照射しているのではないでしょうか。