詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

孫崎享『日本国の正体』IWJインタ②】警察=反モラル非合法❗️「警察官僚が国のトップ」は危険❗️

2019年10月29日 | 犯罪
明治になって、
「徴兵制」は「明治憲法」の先に作られた。
《明治の本質は、専制軍事国家》である。

全体主義的な統治は徳川幕府よりも酷い。
徳川幕府には藩があり、まだ地方自治があったが、
明治になって、
「軍」と「学校」で支配した。

タゴールなどが言っているのは、
「個人主義のないところに繁栄はない」
基本的人権が尊重されないところに、
独自で物事を考える者は育たず、滅びる。
なぜソ連が崩壊したのか?
中央集権だったからである。(中央が腐敗した)

例えば、将棋の世界は、藤井聡太のような優等生が出てもくるが、
ドレッドヘアの棋士も出てくる。
大御所がモノを言い声の大きいところはダメになる。
芸事は先達の技を真似るが、将棋は勝負で答えが出る。
自分の考えがなければ勝てない。
ドレッドヘアにするのもひとつの自己表現であり勇気がいる。

YouTubeによる影響は大きい。
国境を越えてあらゆる情報が手に入り、
様々な学びが自由にできるようになった。

しかし、日本は国が、邪魔をしている。
萩生田が抑えているところは、
彼らにとって一番重要なところである。
「教育」を抑えるのである。
萩生田は、教育勅語を自分の議員室に飾っている。
文科相として、「表現の自由」に対する弾圧が問題化した
「あいちトリエンナーレ」の補助金不交付の決定をした。
橋下徹は、文楽そ潰そうとした。
芸術文化には、《生産性がないから公金を使わなくて良い》などと
政治家が発言した。

それは間違いの元。
人間というものが解らず、モノが売れるということはあり得ない。
人間というものを知らなければならない。
一般教養のない工業に特化したようなものは負ける。

日本の文化、文学は深いものがある。
「枕草子」春は曙…
なぜ春は曙か? 平安時代の通い婚。男性が夜明けに帰る。
奈良時代の万葉集の和歌… 色々な階級の人が書いた。
万葉集は位の高い者だけが書いた古今集とは
比較にならないほど素晴らしい。
山上憶良のような社会派の歌人が出た。
山上憶良は、中国へ行って初めて、
会話の中の中心に、政治や哲学、倫理、法など、
広い人間の生き方の話があることに衝撃を受けて、
知識人というのは真正面から議論するものだと悟り、
リアルな貧困や行き倒れの死人の歌を詠んだ。
奈良時代も日本は余所余所しい会話をしていたのだろう。
仏教のお経…
その内容を理解する人はほとんどいないのに、なぜ詠むのか?
仏教が求められるのは、日本は災害が多い国であるから、
災害を鎮める呪術、魔術として入って来たからだ。
一般の人は、内容が分からなくても良い。
むしろ分からない方が良かった。
倫理、思想、修行法(瞑想法)などは入らなかった。

ーーーーー

9/11 改造内閣に合わせて
国家安全保障局長に
公安トップの官邸のアイヒマンこと、北村滋が就いた。

元国家安全保障局長の谷内正太郎は、
イラン有志連合に否定的だったからパージされたと書かれたが、
孫崎曰く
「谷地というのは、そんな男じゃない。
強い者につく、そういう奴ですよ
自分の信念を貫く男ではない。」
八王子近辺にある大学、東京外語大、一橋大、中央大などから
アメリカの研究者が集まって「八王子勉強会」という合宿を
夏に行っている。
2009年の前、孫崎が防衛大の教授だった頃、
谷内正太郎が学生を前に講演をした。
「何が正しいなどという甘い事をいうべきではない。
力の強い者につく。それが日本外交のあり方であり、
生きる道だ」と言った。

北村は、秘密保護法の作成に関わり、
スノーデンファイルによると、
12年12月に開始された「日米共同通信諜報サイバー作戦」の
直前の9/10に、NSAを訪問し、諜報のやり方を学びに行った。
ケーブル上陸地で丸ごと情報を抜く(通信情報サポート)、
民間企業もバックドアを付けて流している事が暴露されている。
アメリカでは国内で市民の情報を取る事は法で禁じられているが、
外国では諜報し放題。日本も当然筒抜けである。

孫崎…
「私は警察官僚は国のトップになるべきではないと思っている」
なぜか?

まず、外交の話。
孫崎氏は、外務省で国際情報局長だった。
海外の情報部隊では、「工作」と「諜報」がある。
日本は、警察は「工作」はできるけれど、「情報をとる」ことはできない。
警察は海外情報には疎い。海外赴任もしていない。
海外の客観的情報をよむには、最低限2つの国に赴任せねばならない。
なぜなら、ひとつの国だけだと、その情報が非日本的なものであるか、
あるいは、その国独特のものなのかを判断できない。
警察にそういう人材はいない。警察がCIAと情報交換はできない。
「諜報」はできない。

孫崎氏は、国際情報局長として、
国務省とは付き合わない。
付き合うのは、CIAだ。あるいは世界の情報機関だという形にした。

大使館の中には、情報関係の人間と、外務省系の人間と両方いる。
ある国の大使館で、誰が孫崎と合うか?という話になり、
外務省の人間が会うべきだということになった。
外務省と情報機関の情報の取り方の違いは、
外務省は普通に訪問して情報をとるが、
情報機関は反モラル的非合法を犯して情報を取ってくる。

国務省系の人間が日本に接近して情報を取るとき…
例えば国務省の人間が政治家と付き合う。
これは通常のパターンでいく。
ではCIAが政治家と付き合うときにはどうするか?
そこには、反モラル、非合法的な手段で接近する。
これが、大きな違い。
どういうことかというと、
警察官僚のアプローチの仕方は基本的には、
反モラル、非合法を是とするということ。

次に、
警察には、「警備系」と「刑事系」があって、
「刑事系」はあまり力を持っていない。
刑事系のトップが言うには、
「我々の組織と暴力団とどこが違うか?
我々の方が力が強い。装備が充実している。
だから我々は暴力団に勝つ」
警察は「反モラル」「非合法」また「物理的な力」のセクション。

自治省…旧内務省系。
地方に行って自治省の幹部になる者は、
基本的には法律によって仕事をする。
例えば、知事、総務部長として、
「法」の枠内、「予算」という枠内で
県の扱いをどうするかで仕事をする。
民主的枠組みの中にいるのが自治省幹部である。

ところが、
警察というのはそうではない。
警察の場合は「法」ではなく、「力」である。
「力」があれば、相手が正しいか正しくないかなどは関係ない。

警察が日本のトップにくるというのは、そういうことだ。
日本の中心は国会にあるというのが建前になっているが、
これが崩れて来ている。

国会図書館の前に、
旧社民党のビルがあった。
社会党が潰れて、社民党になり、社民党が金が払えない。
そして、そのビルがなくなり、更地になった。
そのあと建物が建ち、『永田町分室』と書いてあった。
永田町のどこの分室かは書いてない。
見ていると、警察官僚が出入りしていた。

この土地は野党ではあったが国会関連の人が使っていた。
ところが、おそらく殆ど議論もされてないが、
国会の土地、国会議員のために使うべきものが、
警察官僚の土地になることがなんの不思議もない国になった。

こういうことに、誰もおかしいと思わない。
本来なら、野党が追及すべき話である。
しかし、国会議員でこれをおかしいと言った人はいない。
怖いからだ。

統治の仕方が、「恐れさせる」「怖い」という前提に、
日本が動き始めたのである。


しかし、
警察の北村が、国家安全保障局に入っても、機能しない。
CIAがくれる情報というのは、
「日本を操るための情報」に過ぎない。
その情報が正しいかどうかを判断できる知識を
なにも持っていない。

公安畑で国内で人を探り、締め上げ、
捕まえて来た男。
レイプを犯した山口敬之が助けを求めたのが、北村である。

日本の情報は、ますますCIAに依存するということになる。
この人事を喜んでいるのはアメリカである。
日本の安全保証は、戦略はアメリカが決め、
国内を公安が取り締まるということ。

警察は、防衛省を握っていたという歴史がある。
中国、ロシア、北朝鮮を諜報をするところに防衛庁にあったが、
これは非常に高い精度の組織だった。
そのトップは歴代警察だった。
防衛省はそれを排除できなかった。
それは防衛省の出発点が警察予備隊からだという歴史がある。
警察は権力範囲をどんどん撤退はしているけれども、
重要なところは絶対に離さなかった。

北村も「盗聴」だけは手放さないということから、
NSAと繋がってサイバー情報を握ろうということである。

公安というのは、基本的には「体制の維持」。
「体制の維持」の敵と想定されるのは、
ロシア、中国、北朝鮮だった。
それを摘発するようなグループである公安が、
アメリカと連携するというのは、極めて自然なことだ。

外務省が他の省庁と違うのは、
少なくとも、外を一時情報として知っている、ということ。

イランに対しどのような政策をとるべきかというと、
イランという国を知っている人が、外務省にはいる。
アメリカから来るイラン情報は、
アメリカに都合の良い情報に過ぎない。

外務省的なものを排除するということは、
アメリカと行動を一体化するということ。

警察が怖い時代に入ってきた。
ある政治家の政経講和会のようなところで講演をした。
一番前に、「内調」がいた。
政治家へのメッセージだ。
「あなたが呼んだ人は内調がウオッチしている人物だ」と。
昔は特高が「弁士中止」と言った。

ーーー

日本の場合、
トップは無能。そしてトップ性善説。

トップに酷い人間が出てきた時の修正能力がない。
秀吉の朝鮮出兵。誰が見ても馬鹿げている。
誰も朝鮮戦争を止められない。
東條英機が出てきて、アメリカと戦争をする。
これも止められない。

一番トップは何もしない、というシステム。
悪いことをやったときに、それをいかに止めるかという
安全ベンがどこにもない。

トップ無謬説。
天皇のすぐ下の東條には誰も逆らえない。
怖いのは、それと「暴力装置(特高)」が結びついたときである。

東条は、関東憲兵隊司令官・関東局警務部長(特高)であったが、
憲兵隊は軍内部で地位の高いものではないが、
憲兵隊+特高の合体によって、
軍内部の邪魔者を粛清したりすることができることに気づき、
コミンテルンの影響を受けたとして関東軍将校を多数検挙し、
圧力をかけるなど、軍内抗争に長け、全権を握った。
「2・26事件」の際も関東軍内部での混乱を抑え、
皇道派関係者を検挙した。

人を逮捕する特権を持つ者が、
このポストを過激に使えば、
一気に権力を拡大し、とんでもないことになる。
ドイツのゲシュタポのゲーリングや、ソ連のベリア、
イラクのフセインなどが、それである。

(2/3の30分位まで) つづく…

孫崎享『日本国の正体』IWJインタ②】警察=反モラル非合法❗️「警察官僚が国のトップ」は危険❗️

2019年10月29日 | 犯罪
明治になって、
「徴兵制」は「明治憲法」の先に作られた。
《明治の本質は、専制軍事国家》である。

全体主義的な統治は徳川幕府よりも酷い。
徳川幕府には藩があり、まだ地方自治があったが、
明治になって、
「軍」と「学校」で支配した。

タゴールなどが言っているのは、
「個人主義のないところに繁栄はない」
基本的人権が尊重されないところに、
独自で物事を考える者は育たず、滅びる。
なぜソ連が崩壊したのか?
中央集権だったからである。(中央が腐敗した)

例えば、将棋の世界は、藤井聡太のような優等生が出てもくるが、
ドレッドヘアの棋士も出てくる。
大御所がモノを言い声の大きいところはダメになる。
芸事は先達の技を真似るが、将棋は勝負で答えが出る。
自分の考えがなければ勝てない。
ドレッドヘアにするのもひとつの自己表現であり勇気がいる。

YouTubeによる影響は大きい。
国境を越えてあらゆる情報が手に入り、
様々な学びが自由にできるようになった。

しかし、日本は国が、邪魔をしている。
萩生田が抑えているところは、
彼らにとって一番重要なところである。
「教育」を抑えるのである。
萩生田は、教育勅語を自分の議員室に飾っている。
文科相として、「表現の自由」に対する弾圧が問題化した
「あいちトリエンナーレ」の補助金不交付の決定をした。
橋下徹は、文楽そ潰そうとした。
芸術文化には、《生産性がないから公金を使わなくて良い》などと
政治家が発言した。

それは間違いの元。
人間というものが解らず、モノが売れるということはあり得ない。
人間というものを知らなければならない。
一般教養のない工業に特化したようなものは負ける。

日本の文化、文学は深いものがある。
「枕草子」春は曙…
なぜ春は曙か? 平安時代の通い婚。男性が夜明けに帰る。
奈良時代の万葉集の和歌… 色々な階級の人が書いた。
万葉集は位の高い者だけが書いた古今集とは
比較にならないほど素晴らしい。
山上憶良のような社会派の歌人が出た。
山上憶良は、中国へ行って初めて、
会話の中の中心に、政治や哲学、倫理、法など、
広い人間の生き方の話があることに衝撃を受けて、
知識人というのは真正面から議論するものだと悟り、
リアルな貧困や行き倒れの死人の歌を詠んだ。
奈良時代も日本は余所余所しい会話をしていたのだろう。
仏教のお経…
その内容を理解する人はほとんどいないのに、なぜ詠むのか?
仏教が求められるのは、日本は災害が多い国であるから、
災害を鎮める呪術、魔術として入って来たからだ。
一般の人は、内容が分からなくても良い。
むしろ分からない方が良かった。
倫理、思想、修行法(瞑想法)などは入らなかった。

ーーーーー

9/11 改造内閣に合わせて
国家安全保障局長に
公安トップの官邸のアイヒマンこと、北村滋が就いた。

元国家安全保障局長の谷内正太郎は、
イラン有志連合に否定的だったからパージされたと書かれたが、
孫崎曰く
「谷地というのは、そんな男じゃない。
強い者につく、そういう奴ですよ
自分の信念を貫く男ではない。」
八王子近辺にある大学、東京外語大、一橋大、中央大などから
アメリカの研究者が集まって「八王子勉強会」という合宿を
夏に行っている。
2009年の前、孫崎が防衛大の教授だった頃、
谷内正太郎が学生を前に講演をした。
「何が正しいなどという甘い事をいうべきではない。
力の強い者につく。それが日本外交のあり方であり、
生きる道だ」と言った。

北村は、秘密保護法の作成に関わり、
スノーデンファイルによると、
12年12月に開始された「日米共同通信諜報サイバー作戦」の
直前の9/10に、NSAを訪問し、諜報のやり方を学びに行った。
ケーブル上陸地で丸ごと情報を抜く(通信情報サポート)、
民間企業もバックドアを付けて流している事が暴露されている。
アメリカでは国内で市民の情報を取る事は法で禁じられているが、
外国では諜報し放題。日本も当然筒抜けである。

孫崎…
「私は警察官僚は国のトップになるべきではないと思っている」
なぜか?

まず、外交の話。
孫崎氏は、外務省で国際情報局長だった。
海外の情報部隊では、「工作」と「諜報」がある。
日本は、警察は「工作」はできるけれど、「情報をとる」ことはできない。
警察は海外情報には疎い。海外赴任もしていない。
海外の客観的情報をよむには、最低限2つの国に赴任せねばならない。
なぜなら、ひとつの国だけだと、その情報が非日本的なものであるか、
あるいは、その国独特のものなのかを判断できない。
警察にそういう人材はいない。警察がCIAと情報交換はできない。
「諜報」はできない。

孫崎氏は、国際情報局長として、
国務省とは付き合わない。
付き合うのは、CIAだ。あるいは世界の情報機関だという形にした。

大使館の中には、情報関係の人間と、外務省系の人間と両方いる。
ある国の大使館で、誰が孫崎と合うか?という話になり、
外務省の人間が会うべきだということになった。
外務省と情報機関の情報の取り方の違いは、
外務省は普通に訪問して情報をとるが、
情報機関は反モラル的非合法を犯して情報を取ってくる。

国務省系の人間が日本に接近して情報を取るとき…
例えば国務省の人間が政治家と付き合う。
これは通常のパターンでいく。
ではCIAが政治家と付き合うときにはどうするか?
そこには、反モラル、非合法的な手段で接近する。
これが、大きな違い。
どういうことかというと、
警察官僚のアプローチの仕方は基本的には、
反モラル、非合法を是とするということ。

次に、
警察には、「警備系」と「刑事系」があって、
「刑事系」はあまり力を持っていない。
刑事系のトップが言うには、
「我々の組織と暴力団とどこが違うか?
我々の方が力が強い。装備が充実している。
だから我々は暴力団に勝つ」
警察は「反モラル」「非合法」また「物理的な力」のセクション。

自治省…旧内務省系。
地方に行って自治省の幹部になる者は、
基本的には法律によって仕事をする。
例えば、知事、総務部長として、
「法」の枠内、「予算」という枠内で
県の扱いをどうするかで仕事をする。
民主的枠組みの中にいるのが自治省幹部である。

ところが、
警察というのはそうではない。
警察の場合は「法」ではなく、「力」である。
「力」があれば、相手が正しいか正しくないかなどは関係ない。

警察が日本のトップにくるというのは、そういうことだ。
日本の中心は国会にあるというのが建前になっているが、
これが崩れて来ている。

国会図書館の前に、
旧社民党のビルがあった。
社会党が潰れて、社民党になり、社民党が金が払えない。
そして、そのビルがなくなり、更地になった。
そのあと建物が建ち、『永田町分室』と書いてあった。
永田町のどこの分室かは書いてない。
見ていると、警察官僚が出入りしていた。

この土地は野党ではあったが国会関連の人が使っていた。
ところが、おそらく殆ど議論もされてないが、
国会の土地、国会議員のために使うべきものが、
警察官僚の土地になることがなんの不思議もない国になった。

こういうことに、誰もおかしいと思わない。
本来なら、野党が追及すべき話である。
しかし、国会議員でこれをおかしいと言った人はいない。
怖いからだ。

統治の仕方が、「恐れさせる」「怖い」という前提に、
日本が動き始めたのである。


しかし、
警察の北村が、国家安全保障局に入っても、機能しない。
CIAがくれる情報というのは、
「日本を操るための情報」に過ぎない。
その情報が正しいかどうかを判断できる知識を
なにも持っていない。

公安畑で国内で人を探り、締め上げ、
捕まえて来た男。
レイプを犯した山口敬之が助けを求めたのが、北村である。

日本の情報は、ますますCIAに依存するということになる。
この人事を喜んでいるのはアメリカである。
日本の安全保証は、戦略はアメリカが決め、
国内を公安が取り締まるということ。

警察は、防衛省を握っていたという歴史がある。
中国、ロシア、北朝鮮を諜報をするところに防衛庁にあったが、
これは非常に高い精度の組織だった。
そのトップは歴代警察だった。
防衛省はそれを排除できなかった。
それは防衛省の出発点が警察予備隊からだという歴史がある。
警察は権力範囲をどんどん撤退はしているけれども、
重要なところは絶対に離さなかった。

北村も「盗聴」だけは手放さないということから、
NSAと繋がってサイバー情報を握ろうということである。

公安というのは、基本的には「体制の維持」。
「体制の維持」の敵と想定されるのは、
ロシア、中国、北朝鮮だった。
それを摘発するようなグループである公安が、
アメリカと連携するというのは、極めて自然なことだ。

外務省が他の省庁と違うのは、
少なくとも、外を一時情報として知っている、ということ。

イランに対しどのような政策をとるべきかというと、
イランという国を知っている人が、外務省にはいる。
アメリカから来るイラン情報は、
アメリカに都合の良い情報に過ぎない。

外務省的なものを排除するということは、
アメリカと行動を一体化するということ。

警察が怖い時代に入ってきた。
ある政治家の政経講和会のようなところで講演をした。
一番前に、「内調」がいた。
政治家へのメッセージだ。
「あなたが呼んだ人は内調がウオッチしている人物だ」と。
昔は特高が「弁士中止」と言った。

ーーー

日本の場合、
トップは無能。そしてトップ性善説。

トップに酷い人間が出てきた時の修正能力がない。
秀吉の朝鮮出兵。誰が見ても馬鹿げている。
誰も朝鮮戦争を止められない。
東條英機が出てきて、アメリカと戦争をする。
これも止められない。

一番トップは何もしない、というシステム。
悪いことをやったときに、それをいかに止めるかという
安全ベンがどこにもない。

トップ無謬説。
天皇のすぐ下の東條には誰も逆らえない。
怖いのは、それと「暴力装置(特高)」が結びついたときである。

東条は、関東憲兵隊司令官・関東局警務部長(特高)であったが、
憲兵隊は軍内部で地位の高いものではないが、
憲兵隊+特高の合体によって、
軍内部の邪魔者を粛清したりすることができることに気づき、
コミンテルンの影響を受けたとして関東軍将校を多数検挙し、
圧力をかけるなど、軍内抗争に長け、全権を握った。
「2・26事件」の際も関東軍内部での混乱を抑え、
皇道派関係者を検挙した。

人を逮捕する特権を持つ者が、
このポストを過激に使えば、
一気に権力を拡大し、とんでもないことになる。
ドイツのゲシュタポのゲーリングや、ソ連のベリア、
イラクのフセインなどが、それである。

(2/3の30分位まで) つづく…

防災ゼロメートル列島<本澤二郎の「日本の風景」(3480)

2019年10月29日 | 犯罪
<人命軽視NO1に躍り出た役者崩れ知事の千葉県>
 昨日、長野県と福島県の被災地を歩いてきた島根県の小松電機産業社長の小松さんと社員の小林君が、わざわざ東京湾道路を利用して、バスで袖ヶ浦に来たので、久しぶりにおしゃべりした。「五輪ができるか怪しい」と率直な感想を述べていた。ビジネスと平和運動を結び付けるという経営者の予感は鋭い。小林君は、屋根が飛ばされてブルーシートをかぶる防災ゼロメートルの街並みを、カメラに収めていた。

 15号台風の際、雲隠れした役者崩れの森田千葉県知事は、その直後の19号台風と21号台風になすすべもなく、千葉県は人命軽視NO1に躍り出てしまった。県民の会話の一番は「温暖で住みよい千葉県のはずだったのに」が枕詞になっている。

 筆者も、15号の70メートル強風に、家ごと飛ばされるかもしれないという恐怖を味わったばかりである。来年はどうなるか?それにしても、防災ゼロメートルに墜落させた、安倍・自公内閣の人命軽視の政策に、怒り狂う国民は多い。

<放射能汚染物資1万トンを水源地に投棄した森田知事>
 ことし3月故郷に戻ると、恐ろしい事態が起きていることを知らされた。東電福島の放射能汚染物資1万トン以上が、こともあろうに水源地の産廃場に投機されていた。

 房総半島の生き物すべてを殺しかねない千葉県の政治と行政に対して、怒り狂う県民は少なくない。数十年後の千葉県に人間も住めなくなる。

 放射能に耐えられる免疫力などあろうはずもないのだから、これは想定できないことだったが、すでに強行されてしまっている。原状回復させるための裁判が行われているようだ。

 森田は、警察官の息子という。人命軽視も際立っている。防災ゼロメートルも合点するほかない。東電福島の千葉県化である。観光県・農業漁業県を返上する政策の強行に、県民は誰も知らなかった。アベ独裁どころではない。

<雨にも風にも無防備の房総半島>
 9月から10月にかけての巨大台風は、地球温暖化による。北極の氷も溶けている。ヒマラヤ山脈の氷塊も溶けている。海水温は上昇している。そこに熱帯低気圧が次々と発生する。

 地震だけではない。台風の備えもゼロの日本列島だが、その先陣を走る房総半島が証明された今回である。

 大豪雨で、河川が決壊・大洪水によって、住宅も田畑も土台から破壊された千葉県である。強風で住宅の屋根が吹き飛んでしまう、瓦が飛んでしまう恐怖も、現実化した。

 武器弾薬に特化してきたこの7年の安倍・自公の暴政に対して、大自然が怒りの鉄槌を食らわせた2019年ともなった。因果応報である。悪い因は、最悪の結果を招く。

<防災指定地区最小県は地価が大事とする政治と行政>
 知らなかったが千葉県は防災指定地区が一番少ないという。これは何を意味するのか。防災指定を受けると、地価に影響する。地価を吊り上げるために防災指定を回避する。
 これが千葉県の政治と行政なのだ。

 民度の低さを露呈している。人命軽視・人権軽視の千葉県なのだ。千葉県は、一番住みにくい県ということになろうか。悲しいし、恥ずかしい。

 千葉県に政治家が一人もいない。政治屋ばかりだ。小選挙区制の欠陥をまともに受けているのである。玉石混交も、すべてが石ころばかりといえる。そして行政の低さだ。

<東大法学部任せが間違いの元凶>
 「もう役者知事が10年も続けている」と今朝も友人が電話をしてきた。この無能無責任な森田が「行政を壊している。そんな森田を担ぐ県民も悪い」と断罪、ほかの県では見られない、とも。

 他方で「日本政治にしても、主権者が1億総白痴化以上に悪化している。ヒトラーも安倍も、民主主義が誕生させたことを忘れてはならない。信濃町が暴政を押し上げていることにも気づくべきだ」「東大法学部支配の官僚が、経済など分かろうはずがない。国策会社で成功した例は、日本合成ゴムただ一つ。原発は失敗した最悪の事例だ。日本どうするという再検証が急務である」とも指摘した。

  彼は三井物産のLNG開発を評価した。液化天然ガスを米国ルイジアナで始めた。これで1万人が雇用される。これの輸送船も開発されている。「日本の造船業の大手は敗北したが、常石造船や今治造船が頑張っている。高速医療船を作ると展望が開かれるだろう」とも。

<やくざを跋扈させる千葉県警と千葉県公安委員会>
 千葉県の低い民度には、やくざが跋扈している点を無視すべきではない。やくざにいい人間などいない。悪党の塊である。彼らの前では、魅力的な女性が安心して暮らせない、生きられない残酷な風土なのだ。

 「木更津レイプ殺人事件」がそれを象徴している。その原因は、警察や公安委員会がやくざと癒着していて、まともな捜査を怠っている、というよりもかばっている。捜査当局が犯罪社会を生み出しているという、さかさまのような風土と決めつけるべきだろう。

 れっきとしたやくざ代議士は、その前は千葉県議だった。いま彼の後継者が二人も国会議員になっている。国会議員とやくざが連携する千葉県に、法治という観念が、警察や検事にないかのようだ。そうした背景で、俳優崩れの知事が誕生し、もう10年だという。

民主主義を壊している犯人は、警察と公安委員会と決めつけてもおかしくない。やくざに強姦された女性が110番通報した事例はゼロであろう。入れ墨と覚せい剤に屈服する女性ばかりの千葉県に、刑法も存在しないかのようだ。正義の警察官・公安委員を生み出せる民度に高める必要がある。

<徳洲会医療事故にもそっぽ向く捜査当局>
 徳洲会の医療事故は、どうやら日常茶飯事だ、と徳洲会の徳田虎雄の特別顧問をしていた清和会OBは指弾している。現に彼の身内は、四街道市にある徳洲会病院で事故死を強いられた。

 筆者の次男は、最初に市原の帝京で、最後は品川区大井の東芝病院で、入院直後に孤独死させられた。それでも反省も謝罪もしない。やむなく警視庁に刑事告訴したが、東京地検の松本朗という悪党検事が不起訴にした。これの衝撃で、母親で妻が重い病気にかかり、息子の後を追ってしまった。

 医療事故の無反省は、遺族の命も奪う恐ろしい犯罪である。清和会OBは、千葉県警に告訴したものの、担当した四街道署はまともな捜査もせずに「捜査打ち切り」を、遺族に電話1本で通告してきた。

 千葉県警は病院の味方をして、被害者の立場に立つことはない典型的な事例である。それに屈しない清和会OBは、千葉県警と千葉県公安委員会に本格的なメスを入れようとしている。関係方面の注目を集めている。
 千葉県政の狂いは、警察や公安委員会にまでも腐らせているらしい。

2019年10月29日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

重い首相の任命責任<本澤二郎の「日本の風景」(3478)

2019年10月29日 | 犯罪
重い首相の任命責任<本澤二郎の「日本の風景」(3478)

<政治混乱は結果責任、安倍の口先責任は主権者を冒とく!>
 首相官邸に品性などなくなって久しい。菅原のような事件発覚に対して、首相は一瞬の間だけ、殊勝な顔つきをして「任命責任は私。お詫びしたい」でやり過ごした。与野党の無力をいいことに、これまで何度も繰り返してきた。こんな腹黒い政治屋も珍しいが、政治混乱の収拾を口先だけで終わりにすることは、断じて許されない。口先責任は、主権者である国民を冒とくする、新たな犯罪的行為である。結果責任を国民に示す義務がある!

 それにしても、菅原のような悪辣な国民の代表を選んだ有権者にあきれるばかりだ。民度の低さは、房総半島や神奈川県・愛知県・福岡県などの、やくざが跋扈している地域に限らないことを知らしめている。東京都民の民度も問われている。

 そんな輩を、強引に押し出した幹事長の二階と官房長官の菅、それに応じた安倍晋三の三者の政治責任が、共に問われてもいる。官邸には、北村など捜査のプロが徘徊している。身体検査をする能力もあるのに、問題議員を入閣させたわけだ。官邸と自民党本部が腐りきっている証拠でもあろう。

 他方、自民党の右翼化と腐敗阻止に成果を出すだろうと期待されていた信濃町の公明党創価学会も、いつもながら傍観者を決め込んだ。信濃町も毒饅頭に慣れてしまったのか。恐ろしい日本の前途を暗示している。

<国政を停滞・混乱、国民に政治不信をもたらした罪は重大>
 安倍の任命責任は重い。国会審議から逃げ回っている安倍である。わずかな大事な国会審議を停滞させただけでも、政治責任は重い。

 ましてや関電疑獄を目の前にしての問題議員の起用である。東電福島の放射能汚染対策にも責任を負っている、さらには日韓貿易問題の処理にも責任のある重要ポストに菅原を起用した首相責任は、極めて重いものがある。

 一瞬の口先責任で許されるわけがない。

 主権者が納得できる責任の取り方で、国民に詫びる責任がある。財閥にのみ、甘い汁を吸わせてきた安倍内閣である。そこに弱者・庶民大衆には10%消費税の強行である。国民の怒りは天を衝く勢いである。宮中での贅を尽くした狂宴に多数国民は、胸にこみあげる怒りを抱え込んでいる。

<検察は適切な捜査で違法議員を刑に服させる責任>
 捜査当局は、憲法と法によって、国民に対して正義を貫く使命を帯びている。その代わりに国民は、税金で彼らの生活を保障している。国民のためのもので、権力者の手足ではない。

 菅原事件の捜査は、適正に行われなければならない。「韓国の検察は捜査するが、日本は放任する」と揶揄されている昨今である。日本の検察は地に落ちてしまっている。

 正義を貫けない検察は、国民による罷免の対象となる。

<一度も責任を取ったことがない田布施の心臓>
 安倍内閣を採点すると、それは国民のための内閣ではない。安倍のための私的な内閣との印象を与えている。現に安倍内閣で尊敬と信頼を集めた閣僚は一人もいない。

 したがって、いつでも総辞職に追い込まれる内閣といえる。それが7年も継続している。これの理由は明確である。

 本来、政権を厳しく監視する責任を負っている新聞テレビが、政府の宣伝機関に成り下がっているためである。最近は相当数の国民が理解してきている。

 悲しいことだが、彼らの多くは選挙で棄権している。主権者の権利を放棄している。救いがたい日本の実情ではある。

 いえることは、田布施の心臓は、この7年間、多くの問題を引き起こしてきたが、1回も責任を取ったことがない。高額報酬を国庫に返上したことがない。「もう血税である官房機密費を使っての会食を止める」ということさえも。

 この7年間、血税を60兆円も海外にばらまいてきた責任も巨大だ。拉致問題や北方領土問題では、1ミリも前進させることができなかった。むしろ大きく後退させてしまっている。

 アメリカからの武器弾薬の爆買いに対して、狂喜しているのは財閥のみである。

<国会は無責任首相を放任することは許されない>
 衆参の国会議員の責任が、いま問われている。国権の最高機関は議会にある。官邸の暴政を止める役割を担っている。裁判所も、である。三権を機能させる今である。議会は国民の信頼に応える時である。

2019年10月27日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

薩長の田布施<本澤二郎の「日本の風景」(3479)

2019年10月29日 | 犯罪
<小泉純一郎に300万円ひねりだした安倍晋三>
 徳川幕府を打倒した中核勢力は、薩摩と長州と史上語られてきている。この二つの当時の藩に「田布施」という、・集落が存在した。この話は、ネットを使うようになって、大分経ってから知った。

明治天皇は、すり替えられて長州田布施の大室寅之助。弱々しい天皇ではないので、なんとなく理解できる。この明治天皇を一番尊敬すると語った人物が、元海軍主計中尉の中曽根康弘である。確かに、大刀を握った武人そのものの、明治天皇の写真にあこがれる軍人がいても不思議ではない。京都の公家ではない。

 昨夜、自宅で兄弟妹が勢ぞろい、妹の快気祝いをしたのだが、その際、小泉進次郎の資産が話題になった。
郵政民営化を、竹中平蔵や東芝の仲間と強行した小泉を、政界では「しこたま蓄財した」と見られている。
不思議ではないが、公表された巨額資金は芸能人?の妻の資産だ。芸能界は、途方もない大金を懐に入れることができる世界なのだ。同時に、これは国税当局の見逃しを裏付けている。

 「日本は天皇中心の神の国」と豪語した森喜朗が失脚した後の自民党総裁選挙に立候補した小泉について「当初は泡沫候補なみだった。事務所さえなかった」(清和会関係者)という。そんな小泉を助けたのが安倍というのだ。

 安倍の持ち込んだ300万円で、小泉は選対事務所をつくった。これは本当だろうが、問題は300万円の出所である。茨城県の不動産王から引き出したものだった。

<丸紅の不動産買収の先兵・K資金に群がった梶山正静六ら>
 元清和会代議士秘書は、議員会館の廊下で梶山静六が、大声上げてタニマチのK不動産王に向かって「Kさん、俺の方にも回してくれないか。ただし、1000万円以上でないと駄目だよ」と叫んでいる様子を、今も鮮明に記憶している。

 このKなる人物の金庫から安倍の300万円が引き出されたものだ。のちにKが清和会関係者に打ち明けた。

 いうところのK資金は、バブル全盛期に誕生したものである。Kは丸紅の不動産買収の先兵となって、莫大な資産を溜め込んだ。梶山もKにまとわりついていたという。
資金力と政治力は比例する。梶山は自民党幹事長にまで上り詰めた。彼も安倍晋太郎も、息子に資産を相続させた。

<橋本登美三郎市議から土地買いで巨万の富>
 かつての茨城政界のボスは、朝日新聞出身の橋本登美三郎だった。彼のグループからNHK会長が誕生している。Kはこの橋本派の市議が、いわば人生のスタートとなって、丸紅と関係する。

 「丸紅の不動産買収の先兵となって巨万の富を手にした。政治屋が彼の周りに集まった。遠くは北海道の苫小牧の原野にも手を伸ばしていた」というから、バブル期の狂乱を印象付けている。

 安倍がKから金を引き出したということは、おそらく父親の晋太郎の関係といえるかもしれない。

 梶山は橋本の配下で知られる。

<事務所経費もなかった小泉総裁選挙>
 小泉と安倍を結び付けた300万円が、その後に安倍の官房副長官・官房長官・自民党幹事長と破格の出世となるのだが、一方で二人を結び付けた原動力は薩長の「田布施」だった。

 田布施こそ極右・日本会議の本拠地なのだろう。
靖国・伊勢・出雲など神社の源流を操る田布施、それゆえに小泉の靖国参拝、続く安倍の靖国参拝となる。
安倍は、伊勢で先進国首脳会議まで強行して、伊勢神宮を喜ばせているが、いずれも神社参拝は政教分離の憲法違反だ。

 神社神道には、天皇教の生長の家や韓国の統一教会も吸い付いている。
一部に創価学会も、との分析もあるようだが、それはまだ自信がない。証拠が不明である。166億円の天皇交代劇の演出は、すべて明治からの田布施で仕組まれたものではないのか、改めてそう感じる。カルト・狂信的な宗教支配の日本なのである。

 田布施の首相が、天皇の言葉を神妙に聞いて、天皇の数段下で「万歳三唱」する漫画劇も、民主主義を度外視した田布施の演出と思われる。

 田布施同士の協力関係が、明治から21世紀の今にも引き継がれている。田布施と財閥の結びつきも注目すべき点である。

 小泉の勝利は、むろん、神風が吹いたわけではない。田中真紀子の貢献が一番であろう。新聞テレビも。300万円効果でもない。

2019年10月28日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者ク
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若松プロが声明 : 表現の自由を守れ!『主戦場』上映中止に抗議して作品引き上げ

2019年10月29日 | 犯罪
 若松プロがしんゆり映画祭での『主戦場』上映中止に抗議して、上映作品2本をひきあげた。以下の声明文が公表された。
声 明 文

この度、映画『止められるか、俺たちを』の監督・白石和彌と脚本・井上淳一、同作及び『11,25自決の日〜三島由紀夫と若者たち』製作の若松プロダクションは、先日の報道により、第25回KAWASAKIしんゆり映画祭で上映が内定していた映画『主戦場』が、共催の川崎市からの「懸念」を受け上映を中止していたことを知りました。我々はこれに強く抗議し、しんゆり映画祭での上記二作品の上映を取り止めることを決めました。

今回の川崎市による「訴訟になっている作品を上映することで、市や映画祭も出演者から訴えられる可能性がある、市がかかわる映画祭で上映するのは難しいのではないか」という「懸念」は明らかに公権力による「検閲」「介入」であり、映画祭側の「出演者に訴えられている作品は上映しないことにした。電話対応に追われるなどのリスクが想定される中、来場者の安全を確保できない事態も考えた。映画祭存続のための、やむを得ない判断」という上映中止の判断もまた、過剰な忖度により、「表現の自由」を殺す行為に他なりません。

公開から半年間、一度も「来場者の安全」を脅かすことなく上映されてきた映画『主戦場』が、しんゆり映画祭での上映の際に一体どんな「安全を確保できない」事態が想定され、起こりうるというのでしょうか? 今回の問題は、「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」の中止と文化庁が決定した補助金不交付問題、さらに文化庁所管の独立行政法人「日本芸術文化振興会」が、 麻薬取締法違反で有罪判決を受けたピエール瀧氏が出演する「宮本から君へ」の助成金交付内定を「国が薬物を容認するようなメッセージを発信する恐れがある」との理由で取り消した問題など、一連の問題の延長線上にあることは疑いようがありません。このようなことが続けば、表現する側の自主規制やそれを審査や発表したりする側の事前検閲により、表現の自由がさらに奪われていくことになるでしょう。これが敷衍すれば、例えば、『主戦場』のような映画の上映会が「政治的」という理由から公民館など公共の施設で行えないということにもなりかねません。

2014年に釜山国際映画祭でセウォル号沈没事故を追ったドキュメンタリー映画の上映を巡り、上映差し止めを求めた釜山市と映画祭が対立したことがありました。映画祭側は補助金を供出している釜山市からの反対圧力を押し切り作品の上映に踏み切りましたが、結果、世界中の映画人が声を上げて映画祭をサポートし、作品を守る矜持を示した映画祭に今に至るまで大きな賛辞を送っています。
この釜山映画祭の例を見るまでもなく、たとえ国や自治体からの補助金や助成金が出ていたとしても、映画祭には自分たちが選んだ映画を守り、映画と観客を繋ぐ役割があることは明らかです。その義務を自ら放棄するしんゆり映画祭の姿勢に失望の念を禁じえません。

今回の上映取り止めに当たり、一番苦慮したことは、すでに前売り券を買い上映を楽しみにされている観客から映画鑑賞の機会を奪ってしまうということです。特に今回は「役者・井浦新の軌跡」という特集の中での上映です。我々にとって最も大切な俳優の一人であり、若松孝二監督という同じ師匠の薫陶を受けた井浦新氏の映画を見る機会を無くしてもいいものかと悩みました。ですが、井浦新氏は我々の抱く危機感に共鳴し、苦渋の決断に理解を示してくれました。
また、映画祭の運営のために寝る間を惜しんで準備をしているスタッフやボランティアなど、映画を愛する多くの方々がいることも重々承知しています。

当然、我々のこの決断については様々な意見や批判もあると思います。しかし、今ここで抗議の声を上げ、何らかの行動に移さなければ、上映の機会さえ奪われる映画がさらに増え、観客から鑑賞の機会をさらに奪うことになりはしないでしょうか。
『主戦場』のミキ・デザキ監督の「表現の自由を守る努力をしなければ、政府の意向に沿った作品しか上映できなくなる」という言葉を借りるまでもなく、今、ここで同じ映画の作り手として声を上げなければ、我々もまた「表現の自由」を殺す行為に加担したことになってしまうのです。

『止められるか、俺たちを』は、若松孝二監督の若き日を描いた映画です。
若松監督は常々、「映画を武器に世界と闘う」と言っていました。
今、この国は表現の自由を巡る分水嶺に間違いなく立っています。今、映画を武器に何をすべきなのか? ここで何もしなければ、十年後二十年後に「あの時自分たちは何をしたのか?」と後悔することになりはしないか? 今こそ、若松監督の言葉をもう一度確かめたいと思います。

我々は、『主戦場』に起きた問題もまた、いずれ自分たちにも起こる問題だと考え、しんゆり映画祭と川崎市に強く抗議し、映画祭での上映を取り止めます。

なお、仮に『主戦場』が全く同じ主題を扱いながら真逆の主張に結論づけられる映画だったとしても、我々は同じ行動を起こしていたことを念のため付言させて頂きます。

以上、『止められるか、俺たちを』『11,25自決の日〜三島由紀夫と若者たち』の第25回KAWASAKIしんゆり映画祭での上映中止に至る経緯と結論を書面を持ちまして、ご報告致します。

白石和彌
井上淳一
若松プロダクション
*若松プロ公式サイトより