詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

「アイヌ民族関連報道クリップ」からの抜粋

2008年02月21日 | 歴史
リンク集にあるサイトを覗いてみたら、オーストラリアと北米の先住民についての記事が二つ興味深かったのでコピーしておくことに。

《日本はアイヌに謝罪しないのか(「オーマイニュース」より)ー数百年にわたり虐げられてきた北方先住民族(岡井 健2008-02-16)ー

 07年に選出されたオーストラリアの若き指導者、ケビン・ラッド首相が、アボリジニに謝罪した。白人たちは、オーストラリアの先住民のアボリジニから多くのものを奪い、白人国家を建設した。

 白人は土地だけでなく、姓名や文化や自由などを奪い、強制収容所に送り込み白人の教育を行ってきた。こうした行為を行きすぎたものだと反省し「失われた世代」に対する、初めての公式謝罪であった。傍聴した多くのアボリジニは涙を流し、首相の謝罪を聞き入っていた。

 「深い苦しみ、深い悲しみと多大な損失」を与えたと述べ、何度も謝罪の言葉を連ねた、ラッド首相の言葉は重かった。一方の日本はアイヌ民族に対してどうなのだろう。

アイヌ民族を日本は「先住民族」と認めていない。東北地方に住んでいたアイヌ民族を追い詰めるための「征夷大将軍」は、侍の最高地位として位置づけられていた。征夷とはアイヌを征伐する仕事である。この称号は、その後の日本の為政者の最高位の称号ともなった。そして、今でも日暮里(にっぽり)などのアイヌの地名が、関東以北に多く残っている。

 1997年に廃止されるまで、「旧土人保護法」で縛られていたアイヌは、シャモ(日本人・倭人)からどんな仕打ちを受けてきただろうか。交易では一方的な搾取を行い、文字を奪い文化を否定し、土地を奪って追い出したのである。

 アイヌ最大の反乱「シャクシャインの戦い」を知ったのは、成人になってからである。高校までの歴史ではまったく教えてもらえなかった(最近は小さく載っているようである)。ほぼ同時期に発生した、島原の乱は教科書にあった。松前藩は戦いには大きく敗北したが、和睦(わぼく)の席でシャクシャインを惨殺したのである。

 わずか3カ月程で1万人程度だった島原の乱に比べて、シャクシャインはほぼ30年、北海道全域の部族を集め戦ったのである。乱の大きさは比較にならないものがある。また、歴史的にみても大きな意味を持つ戦であった。

 友人のアイヌの人たちは、幼いころから差別を受け生きてきた。今では日本語しか話せないし、日本名しか持たない人たちばかりである。資産もほとんどない人たちが多い。彼らは、北方領土返還運動でとなえられる「固有の領土」という言葉に、冷ややかである。

 アイヌは数百年におよび、アボリジニに比較するのもおこがましいほどの、多大な略奪と苦悩と悲しみを受けてきた。日本人は、もう悲しみさえ時間の中に消え去り、記憶さえ失い怒りを失ったことを良いことに、アイヌに謝罪すらしようとしない。
日本は、ラッド首相を見習うべきでないのか。》

《「ー原住民の悲しい歴史(2008/02/15)より」

 19世紀初頭、オーストラリア南部のタスマニア島で原住民狩りが行われた。白人が飼う羊を保護するためだった。動員されたのは刑務所に収監されていた犯罪人や一般人で、一列に並んで島を探索し、原住民を見つけるとその場で射殺した。こうして1835年までに3000人から4000人が虐殺され、生き残った135人は小さな島へと送られた。しかし彼らも新しい環境に適応できず、1876年までに全員が死亡した。

原住民抹殺政策が最も大規模に行われたのが北米大陸だった。英国の植民地時代には頭の皮1枚に40ポンド(現在のレートで8500円)の賞金が懸けられ、「最良のインディアンは死んだインディアン」とも言われた。1500年に200万人いたといわれるアメリカインディアンは、1910年には22万人にまで激減した。(pikki註:強制収容所的リザベーションに隔離)

現在は直接の弾圧や虐待はほぼ姿を消したが、原住民社会の危機は相変わらず続いている。地位や権益で差別され、土地開発などで生活の基盤が破壊されている。ボツワナ政府は2002年、カラハリ砂漠の野生動物を保護するという名目で、2万年以上もこの地で生活してきたブッシュマンを追い出した。南米アマゾン流域でも、ガス田開発のために原住民が生存の危機に直面している。

原住民社会のアイデンティティーと固有の文化を巧妙に抹殺した事例もある。日本は1871年に戸籍法を制定し、北海道の原住民だったアイヌ族を平民とした。アイヌ語の使用や狩猟、伐採などを制限あるいは禁止し、彼らを日本人として同化させた(pikki註:「十勝平野」に詳しい)。
オーストラリアも1970年まで、原住民アボリジニの子ども5万人を強制的に両親から引き離し、白人家庭で養育させた。文明化政策という名の下、野蛮な原住民に西欧文明を教え込むという恵沢を与えるというものだった。

オーストラリアのケビン・ラッド首相は、「同じオーストラリア人であるアボリジニに大きな苦痛と悲しみを抱かせた歴代政府の法と政策に対し謝罪する」と述べ、文明化政策の過ちを初めて公式に認めた。白人家庭に育てられた子どもたちは、そのほとんどが適応できないまま薬物やアルコール中毒になったり、身体的・性的虐待を受けたりした。オーストラリアの文明化政策の結果は、野蛮と文明の二分法を再び思い出させた。ラッド首相の謝罪は、文化の多様性の価値を認めなかった西欧文明の傲慢と独善に対する反省だ。 (キム・ギチョン論説委員、朝鮮日報/朝鮮日報JNS)》

ホームレス(路上生活者)への思い出

2008年02月21日 | 日記
路上生活者(ホームレス)生活を送ったことはない。でもホームレスからホームレスだと間違われて、炊き込み場所を教えてもらったことが一度ある。道を聞いたら「炊き込み場所はあそこだよ」と教えられた。

十数年間寝たきりの母を亡くして、突然首切りされて・・その首切りしたトヨタグループの会社へガソリンを積み込んだ車で突入しようか・・それとも天下り法務官僚の社長の家で自爆しようかと思いつめていた頃だった。

房総半島沖の漁船とイージス艦の衝突事件で犠牲になった漁船の長男が、上野のホームレスの人々へと、時々を魚を持って行ってやっていたんだという。

ぼくは自身は、炊き出しでお世話になった名古屋の路上生活の人々や、名古屋駅まで道を聞いた路上生活者のお爺さんへ感謝の言葉さえ言うことができなかったのに・・彼の行為には頭が下がる。彼こそは最も素晴らしい日本人だと思う。

心に沁みたテレビ番組はー「浅野川の流れとともに・金沢」だった!

2008年02月20日 | 日記
19日の深夜東海テレビで放送された番組だった。再放送があったら必見!なんだか金沢に行きたくなってしまったナー

古い金沢の街で生きてきた三人の物語だった。リヤカーを押して一日二度も街を売り歩く豆腐屋さんと、魚屋さんと料亭の大女将。

特に豆腐屋さんが秀逸だった。チリンチリンと音を鳴らしながら・・会う子供毎にジャンケン。三回負けると豆腐一丁。
ガンモドキ作りがあんな重労働だとは知らなかったナー。オデンの味の秘訣はガンモドキ次第だとか。最後にご飯に乗っけて砕きながら食べると最高だ!


はる

2008年02月20日 | 日記
春がやってくる
あんなに待ち望んでいた 春が

ネコヤナギを見上げながら
夢を語り合った
あの季節がまたやってくる

考えるのはもうやめて
春の暖かさにひたっていよう

どこまでも
歩いていこう
空は澄み渡り
海は怒涛のくりかえし
誰ももう
邪魔するもなんていない

日本人半分の抹殺計画が着々と進行中だと思う

2008年02月19日 | 政治
日本人をおおまかに分類するとー
五千万円以上を遺産相続し、相続税を納めることが可能な全人口の数パーセントを「富裕層」と定義可能ではないか思う。(土地評価額は異常に安いままだし、生前贈与を引いた残り分)

それに対して「下層・貧困層」とは、現在生活レベルを徐々に下げなければ暮らしていけないとか、大災害・事故・病気等で一家の働き手が死亡したり再起不能になった場合に、たちまち食うにも困る家庭と定義可能で、国民の半数以上ではないかと思う。それをよく表わすのが、諸物価高騰の原因の石油高に関して、ガソリン暫定税率廃止への賛成が8割以上という数字だと思う。

それ以外の「中間層」とは、ある程度以上の土地・預貯金等の資産があって、上記の緊急事態が起きても最低でも数年間は普通の生活が可能な家庭と定義可能ではないかと思う。そしてこの「中間層」は、徐々に「富裕層」と「下層・貧困層」へと両極分解しているので、現在は3割程度ではないかと思う。さらにいよいよ激しい税的負担増や物価高、地方の荒廃を見るにつけても、税的等で恩恵を受ける官僚・企業官僚・宗教組織幹部以外は下層・貧困層へと転落中に違いない。

年間3万人以上という自殺者や、千人以上という餓死者は、高齢者・障害者等の弱者への税的負担増・福祉切捨て・物価高によってますます増加するに違いない。

若者のヤングプアー化や、中高年へのリストラによって不足する労働力は、かっての無制限な日系二世の受け入れや、中国等からの奴隷的研修生、さらには四月から予定されているフィリピンからの介護職員受け入れ(半年間月3万の補助で研修)等で、その場しのぎでまかなっていこうというのが、この国の目先の利益ばかりを追い求めてきた支配層の本音に違いない。

日本人労働者の人権無視のサービス残業・偽管理職登用での精神障害・自殺・過労死(企業には団体割引保険数千万円が入る)や、ヤングプアーの派遣労働者化で、国民全体がどんどん困窮化しての不景気の進行や、弱者が死のうが自殺しようが、痛くも痒くもないという正義なき未来国家がどんどん進行中だ。

明日は厚いチョコレート色の膜の張ったカレーを作ろう!

2008年02月19日 | 日記
カレーはあっさりした甘口が好きだ。さっきテレビで観た「書道家柿沼康二の120%カレー」は、あっさりして美味しそうだった。(「食歳浪漫」2月号)
途中から観たの感じでは・・ジャガイモ、ニンジン等と普通の具材のよう。
カレールーが辛口と中辛の2種類と、インスタントコーヒー少々と枝豆と、トマトをつぶしたのを入れるのは面白そうだ。
トッピングに、温泉卵(カップ麺のカップに熱湯と3分でできる)と、梅干と定番の福神漬けが美味しそう。

日本を知るためには、沖縄を知ることだ!

2008年02月18日 | 日記
  ガム幾万吐き捨てられて沖縄よ (時実新子)

海兵隊というよりも強姦隊であり、米軍というより犯罪予備軍だと思う
もはやすべての米兵を沖縄から撤兵させるしかないと思う。沖縄での米軍の犯罪で報道されるのはほんの氷山の一角だという。
思いやり予算や数兆円というグアム島への海兵隊徹兵費用の税金での負担は、その段階的な米軍撤退の第一歩のための手付金とすべきだと思う。どれだけ税金がかかろうとも、盗人に追い銭となろうとも・・国民の生命・財産・安全を守るのが国や政府・官僚の最低限の責務であり、税金から高給を食む彼らの存在価値だと思う。

その後の余った税金ではじめて、公共事業や外交・軍事・警察等をやるべきではないのか?国民が将来の不安に怯え、貧困に苦しみ、自殺者が十年間3万人以上で餓死者が千人以上の国の悲惨ささえ解消できないのなら、高給・権力を持っている価値が全くない、ない方がかえっていい国・政府・官僚・政治家たちだと思う。

いつの時代でも、戦争や軍隊には性暴力や犯罪がつきものだ。戦争に勝つためにはどんな犯罪も許されるというより、それが軍人の義務となる。より多く疑わしい人間を、より多く殺した軍人が英雄になるというのが戦争というものなのだから。そして、戦争でいつも犠牲になるのは、女性や子供や老人という弱い立場の人々だ。

先の戦争で日本軍が犯した、アジア(特に中国・朝鮮半島・東南アジア)女性への強姦、民間人殺害や、軍隊とともに移動させた性奴隷の「従軍慰安婦」でも同様だ。

この「従軍慰安婦」起源となったのは、日露戦争での強姦であまりにも性病が陸軍内に蔓延したことに驚愕した陸軍のそれへの対策案であり、最終的には陸軍人29人に一人の従軍慰安婦をという「29(肉)いち作戦」という計画書が存在したという。

証拠が何ひとつ今日残ってないからそんな事はなかったという政治家・マスコミ等も多いが、敗戦時にすべての証拠を廃棄するようにという命令が徹底して遂行された結果にすぎない。

ほたる

2008年02月18日 | 日記
内地に初めてやってきて驚いたのは
あまりの田んぼの広さと
夕暮れ時から
さ迷いだす蛍の群れだった
天の川がどこにも見えない空の下
まるで 水上都市のほとりに
ひとり迷子になっていまって

田んぼのあちこちから
ほたるを捕まえてきては 
部屋中に放して
寝転んでは
音もなく消えてゆく輝きから
目を離せなかった

もしかしたら
すでにこの世にはいない
君の魂なのかもしれないと
橋の上に立ち尽くして
源流へと還りゆく光を見ていた

死にゆくものは美しい
死にゆくこころの輝きは忘れられない
死すべき 短いいのちは
抱きしめてゆくしかない

法治国家を無視する企業プリンスホテルへの連合の対応

2008年02月17日 | 政治
右翼団体と共謀して、日教組教研集会の全体集会会場使用を拒否し、集会の自由を蹂躙したプリンスホテルグループに対して、連合がボイコットの方針を打ち出した。是非連合700万人の力を見せて欲しいと思う。そうでなければますます集会の自由・言論の自由への公然とした蹂躙がまかり通る国になってしまうことだろう。

裁判所の判決を平然と無視し、何事もなかったようにしていられる企業とは、いったい何なのか。プリンスホテル高輪および国土グループにはもっともっとお灸をすえて欲しい。

猪瀬東京都副知事の「天皇の肖像」等に詳しいが、国土グループやプリンスホテルはその誕生もいかがわしい上に、世界でも有数の大企業グループでありながら、次々と借金による新しいホテル等の建設による赤字経営のために、税金をほとんど納めないという悪質な企業体質であるとも書かれていた。

さらには、旧皇族の跡地を戦後のドサクサに紛れて次々と違法的手段で手に入れる見返りに、現天皇と皇后との軽井沢プリンスでのテニスを用意するという代わりに「プリンス」というブランド的な名称を認められたのだとも・・


四月になったら

2008年02月17日 | 日記
四月になったら
旅にでよう
すべてを捨てて旅にでよう

綿毛舞う木々や
新緑の川に沿う東北本線を北上するたびに
懐かしいふるさとの訛

最後に一杯だけ
すべてを燃え尽くす火の酒を飲もう

まだ明け切らぬ
潮騒の町へと降り立てば
そこは
5年前のべちゃめく故郷

握り締めてきた
母の骨壷を開けて
かぐわしい風にばら撒けば
そこは
笑いかける四月のふるさと
花開きはじめた四月のふるさと

きみの跡たどれば吹雪く菜の花忌

2008年02月16日 | 日記
司馬遼太郎の「菜の花忌」のあとは、例年雪の日の連続となる。今晩は前も見えないほどの猛吹雪。どのくらい積もんだべか?

司馬氏というと連想するのが、彼が「土地公有論」の理想としたオランダという国(ほとんどの土地が国有で賃貸料がただ同然)だ。
ついさっきNHKラジオで、とてもユニークなオランダのホームレス対策をやっていた。

オランダ国民の約二割がもとホームレス経験者だという。国が彼らをあらゆる面で保護して、一ヶ月(一日だったかも?)9万円の内から住居・食費を引いた二万円を支給するという。その間、技能訓練によって将来の生活のめどを立ててもらうのだという。その代わりに、仕事についた元ホームレスたちは町の掃除等の社会奉仕の義務を負うという。

日本でも是非このような弱者・若者対策をしてもらいたいなと思う。ゴミの問題や自然環境の再生問題でも社会教育の充実でも・・将来人間がいくらでも必要だと思う。

さらにオランダは、日本の介護制度が手本としたドイツの手本となった国でもあり、NPO・NGOへの補助で福祉・介護・社会教育・国際援助等のほんとに多くの分野で協力し合っている。

さらにこの国が特別なのは、安楽死や麻薬・売春が国家公認となっている国だ。この国の基本概念は、アメリカとは正反対だ。かってアメリカでの「禁酒法」などは、現実に即さない偽善的なものであり、悪というものがいつの時代でもなくならないものである以上、闇へと追いやって犯罪組織の資金源にするよりもむしろ、国がそれをコントロールしようという現実的で大人の対応だと思う。米国よりもはるかに見習うべき大人の国ではないだろうか。

2008年02月16日 | 日記
いつかこの壁を
乗り越えてゆきたい

いつか
この壁の向こうには
素晴らしい世界があるんだと
信じてゆきたい

子供の頃夢みたように
夕焼け空の向こうには
誰もが微笑みあい
奪い合うことのない世界があるんだと
信じていたい

賢治のポランの広場のような世界は
あるんだと信じたい

かぷかぷ

2008年02月16日 | Weblog
一日の終わりの儀式に
ガブガブ飲みながら
かぷかぷ日記を書く

信号待ちで停まった
自転車の女子高生の真っ白なお尻や
すぐ後ろの男子高生の長髪を掴もうと
急降下してきたカラスの顔を思い出しながら
世の中は 相変わらず
不思議なことでいっぱいだから楽しい

明日なんか信じてもいないのに
今日もまた
見事に生き延びてしまったからがぶがぶ

なにも挟めないハサミのこんちくしょう
妻でもない人からもらった
お昼の弁当の痛さのためにかぷかぷ

明日も 絶対に
かぷかぷ
生きのびてやるんだ

理由

2008年02月16日 | 日記
別に悲しい訳ではないのに
上を向いて
歩く癖がついてしまった

後ろ歩きのせいだろか
一時期膝の具合が悪くて
暇があると後ろ向きに歩いてた
坂道を遠ざかる山々に感謝しながら

こどもが不思議な顔をして
「どうしたの?」と尋ねてきたことがある
『優しい子なんだな・・』とそっと思いながら
「なんでもないんだよ」と呟いた
精神障害施設の子供たちの
遠足に遭遇したのだった

手に持っていたお菓子まで
黙って差し出す子供もいた
『ありがとう』
涙ぐむまいと
より空の彼方へと
顔を向けることしかできなかった

オウム真理教サリン事件からもうじき13年目とか

2008年02月15日 | 日記
オウム真理教事件とは因縁が深い。脳梗塞で一人では歩行困難となった母を、温泉旅行へと連れて行った帰り道に出会ったのが、オウム真理教被害者のために働いていた弁護士一家の死体が見つかった現場でのパトカーの大渋滞だった。
この事件は明確な警察のミスだったと思う(意図的なのかどうかはよくわからないが)。誘拐された弁護士宅に、オウム真理教のバッジがあったり、その事件についての信者からの詳細な投書があったのだから・・戦後でも珍しい警察の汚点とも言うべき事件だろう。すぐさま、きちんとオウム真理教を捜査してたら、その後の松本でのサリン噴霧事件や、東京の地下鉄でのサリン事件は防げていたことだろうと思う。

犯罪事件の場合、肝心なのはWHYとHOWではないかと思う。何故防げなかったのかという点と、将来同じような犯罪を防ぐためにはどうすればいいのかという点に尽きるのではないかと思う。日本のマスコミもてんでだらしがなさすぎる。

オウム真理教事件は、ほとんど何ひとつ明らかにならないまま幕切れを迎えつつある。オウム事件の真理を追究しようとした麻原教祖の主任弁護士だった人権派安田好弘弁護士を冤罪で刑務所に放り込んだり、異常なスピードでの裁判には、”臭いものにはフタ”ということわざをついつい連想させられてしまう。