詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

後藤新平と「隅田川の橋」

2008年02月11日 | 日記
関東大震災以後の後藤新平の業績は驚くべきもので、彼の辞世の言葉もまた素晴らしい。とりわけバブル後に、我々の税金から数十兆円という援助を受けながら現在税金を一円も納めないほとんど大銀行や大企業。
現在史上最高の役員報酬を濡れ手で粟で手にし、数百兆円という企業内内部留保等でこの世の春を謳歌しながら、社会貢献意識が皆無の銀行や大企業や官僚組織や政治屋たち・・税的恩恵や社会的特権を享受しながら、私利私欲しか眼中にない政治家・官僚・企業官僚・宗教団体・大富裕層という国民の数パーセントがこの国を亡国に導きつつある。
「増税」などは、彼らの飼い主のアメリカによる日本絶滅計画の最終章の始まりに過ぎない。

後藤新平の辞世の言葉はー
《よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ》(後藤新平)

後藤の場合は、初代の責任者だった台湾でも満州でも、社会の基礎の公的インフラ・サービスとして「流通」「教育文化」「医療福祉」という三分野を重視してその充実に努めるのだが・・現在では更に付け加えて「資源有効利用」と「文化・生活の基礎としての自然環境再生」が急務ではないかと思う。
残念ながら現在の日本では、そのいずれもが予算を大幅に削除されたり、政官財の談合・税金横領等で世界最悪の惨状をもたらし、国民の貧困化をもたらしつつある。

後藤新平と関東大震災後に作られた「隅田川の橋」についてはー
情報後進国日本の現状と後藤新平の先見性とを比較すると実に対象的だ。彼が構想して作った東京からの放射状の道路と環状道路が存在しなければ、そこに沿った地下鉄建設も困難で、今以上の大渋滞都市だったろうと思う。

「隅田川についてー」というサイトが、あらゆる関連サイトを網羅しようという試みが新鮮だったのでリンク集にリンクした。

日本政府・政治家・官僚・企業官僚たちも、税金横領や政官財の談合ばかりに智恵を使い、湯水のごとく税金を浪費し、国民の管理・思想統制・犯罪探しに血眼になるよりも・・上記のサイトのようなような情報充実への試みへともっと税金援助すべきではないかと思う。

情報と人材育成にしか日本の未来はないし、これ以上の自然破壊・資源浪費の公共事業や、アメリカの侵略戦争のためだけで、国民生活には何の役にも立たない軍事費増大は遇の骨頂で亡国的・売国的愚行だと思う。

ころさん、ゆいさん皆さんご無沙汰お許しを!

2008年02月10日 | 日記
求職活動が忙しくて、こっちのブログはほとんど放置状態で、返事が遅くなって申し訳ありませんでした。

おかしなコメントは削除して、新しい掲示板をこっちのブックマークトップと、「PIKKIPIKKI WEBSITE」のプロフィールのトップにリンクしておきます

未来

2008年02月09日 | 日記
未来なんかは 
もうありはしないと
そう思ったのは
いつ頃からだったのか

「永遠の落伍者になるのだ」という
坂口安吾を読んで
以来だったのだろうか

明るい未来なんて
ありえないと思ったのは
いつからだったろう

生きてるだけで奇跡なのに
生きてるすべてのものが
奇跡だったというのに

その奇跡が
できるだけ長く
この地上で続いて欲しいと思う

2008年02月08日 | 日記
東京は まるで
橋の博物館みたいだった

関東大震災のあとに
真っ先に作られた
数多くの風変わりな東京の橋たち
いつも どこからか
トランペットの音が聴こえていた
君とまた再び出会った
多摩川の橋の下

君のアパートへと行く途中
橋のたもとで毎晩
呑んでは歌ってた望郷の歌
いつも 
そのオデン屋の赤提灯の向こうには
燃えるようだった東京湾

ふるさとでの夕暮れ時
君との逢引のたびに
丸太の一本の橋を渡ってゆく
ぼくの足許を濡らしていた
漆黒の花びらたち

渡っていった人たちは
誰ひとり
戻ってこなかった
故郷の丸太の一本橋の向こうはいつも
ぼくの心みたいな夕焼けだった

あした

2008年02月08日 | 日記
あした まだ
世界が無事に生き延びてるなら
遠い世界からの
ありふれた歌を口ずさみ
去ってゆく君の
「さよなら」という微笑みを思いだそう
風や 樹のそよぎや
残雪の山々に励まされ
生きてゆこう

明日がどんな日であれ
生きているだけで幸せだと思いながら
鳥たちのさえずりを聞いていよう

懸命に生きようとする人間を
抹殺しようとするすべての試みに
反対の声をあげながら
決して絶望することなく
生きてゆこう

風の中で

2008年02月07日 | 日記
長いようで
短すぎるのが人生
やりたいことを
いざやろうとすると
それを いつの間にか
見失ってるのも人生

あてのない旅に出てみよう
誰からも忘れられた場所へと
染み渡る風の音のままに
じぶんを尋ねるための旅

ぼくはいつの日にか
いつの間にか
植え付けられてしまった強制を逃れて
一編の詩を書きたい
風よ
もっともっと強く吹け
すべてを吹き払ってくれという詩を

生きている限り
風が吹いている限り
ぼくらは
この地上をさすらう生きものだからだ
風にそよぐ美しい樹々や
微笑みあう生き物たちの同族だからだ

ふるさと

2008年02月07日 | Weblog
二月になると いつも
山へと分け入って
兎やカケスの罠を仕掛けたもんだった

そして三月は
ぼくがいちばん好きだった凍雪の季節
昼の太陽の熱で溶けた雪面が夜凍りついて
どこまでも真っ直ぐ歩いていける
今年は どこの源流や
誰も知らない山奥の湖を探険しようかと
夢想していた三月

「まるでここいらはイタリアのポンペイみたいだね。日本一縄文遺跡が密集してるし」と言うと
「沖縄でしか採れないイモガイの腕輪も発掘されているよ」と微笑む君だった

四月になると
雪解けの森のあちこちで
花開きはじめる
福寿草の黄金や
カタクリの薄紫や
エゾエンゴサクのほんとうの青

ふっと
あの頃の君の微笑みが
風の中に見える時がある
涙ぐむぼくの視界の片隅で
ゆらゆらと
まるで死に絶えゆく
ジュゴンみたいに

弱者を切り捨て、国民を虐めるだけの厚労省なんか無い方がいい!

2008年02月07日 | 政治
以下はーネット市民新聞「JAN JAN」から抜粋したものです。より詳しくはリンク集下参照を。現場で奮闘してるお医者さんの記事なのでとてもわかりやすい。すべての高齢者や、医療・介護・福祉に関心がある人々に読んでもらいたい!

《「後期高齢者医療制度は「団塊うば捨て山」 (5)医療が介護保険に吸収される」

 後期高齢者医療制度は2006年6月に与党が法案を強行採決して決まり、この4月からスタートすることになっている。

 記者は青森市の整形外科診療所で地域医療を担っているが、最近は高齢者から医療や介護に対する不安や負担増への不満の声を聞くことが多くなった。青森県の平均寿命は毎回全国最下位で医師不足もますます深刻になり、小児科、産婦人科だけでなく高齢者の医療も崩壊の危機に瀕している。高齢者の医療を崩壊させる「うば捨て山」制度に警鐘を鳴らしたい。
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 高齢者の医療、とくに終末期医療内容を左右するもう一つの因子として介護保険がある。2006年4月に「リハビリ日数制限」が導入されたが、後期高齢者の医療を介護保険に吸収するための伏線であった(図1)。

 厚労省は「改善するものは医療、改善しないものは介護」という前代未聞の原則を持ち出し、医療保険で提供すべき治療を介護保険に移し、患者からリハビリを奪い取った。

 これに対し、「リハビリ中止は死の宣告」と訴えた多田富雄東大名誉教授は、全国から48万人もの署名を短期間で集め、「リハビリ日数制限の撤廃」を厚生労働省に迫った。

 その結果、厚生労働省は2007年4月には日数制限を見直さざるを得なくなったにもかかわらず、「給付調整」という通知をひそかに出してきた(図2)。それまで医療と介護保険の両方からサービスが受けられていたのだが、この通知により介護保険が優先となり、一度介護保険のサービスに移ると、よほどのことがない限り医療には戻れなくなった。

国保中央会が推進役
 2006年12月に国保中央会は「高齢社会における医療報酬体系のあり方に関する研究会報告書」資料1を発表した。それによると、「かかりつけ医体制」を強化し、主治医の今までの役割のほかに新たにリハビリテーションの指導、ターミナルケアの対応と看取りなどを追加して提言している。

 さらに、医師法で定められた義務ではない「介護保険業務」については、「登録された後期高齢者が介護保険の給付対象となっても、そのサービス提供機関・施設と協力しながら、引き続きかかりつけ医としての役割を果たす」ことで「診察から入退院、リハビリテーション、介護サービスとの連携まで含めて継続的な医療が推進される」と期待している。

介護保険へ吸収される
 介護保険は保険料を40歳以上が負担し、65歳以上の人がサービスを利用できることになっている。それに対して後期高齢者医療制度は75歳以上の高齢者と65歳以上の障害を持った人で構成され、いわば「ハイリスクグループ」で保険制度が運営される。

 その結果、制度が継続できず早晩介護保険との統合が目指されることは間違いがない。介護保険と自立支援法の統合も話題になっているが、医療保険を介護保険に丸ごと吸収させようという声も大きくなってきている。

 厚生労働省が強調する「医療と介護の一体的なサービス提供」とは、「改善しない医療はある時期で中止し、その後は介護保険で対応する」ことであり、高齢者や障害を持った人から必要な終末期医療を奪う「医療差別」に他ならない。

(大竹進)
◇ ◇ ◇  》

僕が十数年間菜食主義だった四つの理由ー

2008年02月07日 | 日記
最初はとても利己的な理由だった。
認知症で、ほとんど寝たきりの母のオムツを替えなければならなかったので、肉を食べた後の臭いウンチが嫌だったのが第一の理由だった。
それに、子供時代は肉なんて学校給食で食べるくらいで、家ではもっぱら魚が多かったし。

第二の理由は、宮沢賢治の「ビジタリアン大祭」を読んで以来、できるだけ同じ動物を殺して食べることは止めるべきだとおもったのだ。
まだしも、自分で殺して食べる分には良いと思う。でも、殺すのだけを他人任せにするのは間違ってると思う。

第三の理由は、肉は地上の餓死寸前の数十億人から食料を奪う行為だと思う。家畜の餌になる穀物だとその数倍の人々の食料になるし、家畜が大きくなるまでにはまた膨大な時間がかかる。

それと第四に、安全性の問題がますます深刻だ。今回の農薬入り餃子問題や、少し前に韓国で腐った野菜や泥水を入れた社長が自殺した問題も同様だ。
彼は「日本やアメリカへの輸出用だから大丈夫」。そして家族や社員には自分の会社で作った食品を食べないようにと口うるさく言っていたらしい。
野菜とか魚等の単品ならまだ安全だが、加工食品は全く検査されていないし、検査人員も世界一少ないので、輸入を止めるべきだと思う。

忌野清志郎最高!

2008年02月07日 | 日記
「スローバラード」を聞いてたとこ、NHKで。そのあまりにも過激な企業批判のために、日本でもっとも発売禁止曲の多いロック歌手だった忌野清志郎。

「ぼくの好きな先生」と並ぶ、
RCサクセッション時代の名曲。

《僕ら夢を見たののさ
 とてもよく似た夢を》

《Oh くたばっちまう前に旅に出よう
 Oh 君にまた会えるかもね》

大好きな詩をー

2008年02月04日 | 日記
「おならうた」  谷川俊太郎

いも食って ぶ
くり食って ぼ
すかして へ
ごめんよ ば
お風呂で ぽ
こっそり す
あわてて ぷ
ふたりで ぴょ

 ー歌も小説も詩も書も、芸術や生活も・・
 自分が生きたという証なのかもしれない。
 できればそれが、誰にも理解可能な
 微笑みあえるものであればなと思う。 

先週日記に書いた社民党福島党首の国会質問の内容

2008年02月04日 | 日記
先週うろ覚えで書いて以来、すっかりリンクするのを忘れてた社民党福島党首の国会質問の内容。より詳しくはリンク集一番下を。

《長崎県佐世保市へ社民党「高速道路インターチェンジ・米軍住宅建設問題」国会調査団として、行く。衆議院議員の保坂展人さんと一緒である。地元の社民党長崎県連の人たちが受け入れてやってくれる。

 この佐世保道路は、路線の長さが、8.3キロメートルで、事業費は1629億円、用地補償費は404億円、キロメートル単価は200億円、つまり10メートルで2億円かかる予定である。8.3キロのうち一部できて、一部建設中である。

 現地に行ったが、なぜ他の高速道路の4倍から7倍ものコスト高になっているかはわからなかった。4車線の計画だが、節約も含め、2車線にしているという部分がある。2車線は暫定ということだが、はて?国土交通省のデータでは1629億円は変わっていないのである。見積もりや変更はどうなっているのだろうか。
 佐世保駅の真ん前を建設中の高架が走っているのも、市民の広場を大事にしているとは思えない。
 道路特定財源で、作られた米軍住宅を見に行った。高速道路の建設で立ち退かざるを得なかったために、道路特定財源から、作ったのである。わたしは、地元の記者からも、道路特定財源で作ることができるんですか?聞かれたほどだ。要塞のように固めた上に立っている。異様というか、威容というか。
 28億円かかっているが、11戸いうが、2戸はいっているところがあるので、8棟である。計算するとなんと3億5000万円となる。 土地代は国のものでただである。なんと1棟3億5000万円!

 国土交通大臣は、1月31日の予算委員会で、1戸5000万円の建設費であると答弁。造成の費用がかかっていると。しかし、うーん。建物の建築費が、5000万円もかかっているとは、おもえないのである。現地では2000万円以下でできるのではという声も挙がった。とすると、28億円の計算はどうなるのか。
 牧野所長が、資料、契約書なども出してくれると言ったので、きちんと精査をしたい。コストを下げることができれば、暫定税率だって、廃止をしても十分やれると言えるのではないかと考えている。がんばってやっていく。》(「福島みずほのどきどき日記」より)

もっとも好きな杜甫の詩ふたつ

2008年02月03日 | 日記
節分なので「鬼」という言葉の多い、もっとも好きな杜甫の詩をー「兵車行(戦車の歌)」 約千三百年前の詩とは思えない恐るべきリアリズムと社会批判の詩だと思う。長い詩なので最後のみアップを。

君不見青海頭
古来白骨無人収
新鬼煩冤旧鬼哭
天陰雨湿声秋秋

君見ずや 青海の頭(ほとり)
古来 白骨 人の収むる無く
新鬼は煩冤し旧鬼は哭(こく)し
天陰(くも)り雨湿るとき声の秋秋たるを

《諸君は見ないか、あの青海(青海省ココノール湖)のあたりでは、昔から白骨を取り片付ける者もなく、新しい亡霊どもはもだえ恨み、古い亡霊どもは泣き叫び、天の曇り雨の湿る時、しくしくと泣き声をたてているのを。》
    註:「鬼」とは死者のこと。

ついでにもっとも美しい雨の歌を。

  「春夜喜雨」(杜甫)

好雨 時節を知り
春に当たりてすなわち発生
風にしたがいて潜かに夜に入り
物を潤して細やかにして声無し
野径に雲はともに黒く
江船に日は独り明らかなり
暁に紅の湿れる処を看れば
花は錦官城(きんかんじょう)に重からん

日本の詩人の中でも、特に、杜甫の詩に基づいた作品の多いのが芭蕉と子規だ。
例えばー

  芭蕉野分して盥(たらい)に雨を聞く夜かな

  己が火を木々の蛍や花の宿

中国ギョーザ騒動の裏で隠されているもっと重要な事とは?

2008年02月03日 | Weblog
色々読んだり考えたりしたけど、権力の常套手段というべきなのかもしれない。自分たちが不利になった時に、その批判の矢を交わす為の。
スコミによる世論操作の極意というべきなのかもしれない。

《「中国ギョーザ騒動の裏で隠されているもっと重要な事」

 容易に想定された事とはいえ、メディアは中国ギョーザ問題一色だ。中国ギョーザ問題は国民の生命にかかわる事であるから大騒ぎとなるのは当然だ。しかしこの問題は日中政府の冷静な対応で早急に問題を解決すべき「危機管理」の問題である。政治的に悪用されてはいけない。
 なぜ私が危惧をこめてそう主張するか。一つは、この問題が日中両国の関係に悪影響を及ぼすおそれがあるからだ。それはお互いの政府、国民にとって何のためにもならない。日中両政府はこの認識に立って、一日もはやく原因を突き止め、対応策をとる、そして国民を安心させ、日中経済関係に与える悪影響を取り除くべきである。原因が中国側の衛生問題にあるのなら、いたずらに中国の非をあげつらうのではなく、その改善策を両国で協力して講じればいい。もし今度の事件が単なる事故によるものであればそれは自己防止策の問題である。そして、もし今度の事件が犯罪的行為であれば、犯罪者を突き止める。犯罪の責任が日中いずれにあるかによって、問題の様相はまったく異なってくる。要するに、今急がれるのは真相究明を早急に行って問題を解決する、国民の不安を取り除き、日中経済関係に悪影響を与えないように危機管理をする、これである。その責任はもちろん両国政府にある。

 中国ギョーザ問題の大騒ぎを危惧するもう一つの理由は、この報道に隠れて、もっと重要な問題から我々の関心が遠ざけられる事だ。だからと言って今度の事件が陰謀であると言うつもりはない。しかしそこまで疑うぐらいに、我々はメディアの影響力、情報操作力を知らねばならない。そして権力がメディアを利用する事実を思い起こさねばならない。
  ガソリン税問題があっという間にうやむやに終わってしまった。私はこのブログで何度もガソリン問題がすべてだと書いてきた。それはもちろん極論である。他にも重要な問題は多々ある。賛成・反対の二者択一ではなく、様々な議論を重ねて結論を出すべきだと言うのは建前としてはそうである。
  しかし昨年7月の参院選挙以降の政治の現実を見たときに何が一番重要であるか。それは小泉改革で破壊された日本を、政権交代という最もドラスティックな形で立て直す事ができるか、どうか、という問題であった。自民党永久政権と官僚癒着がここまで弱者の国民の生活を犠牲にしてきた、その事実が明らかになった中で、昨年の参院選挙によってまがりなりにも参院で野党が優勢になった。「ねじれ国会」のおかげで小泉・安倍政権の一方的な強硬姿勢に歯止めがかけられそうになった、だからはやく総選挙を経て、自公政権の継続でいいのか、政権交代を望むのか、国民が決めるところまで日本の政治はたどり着いた。そして自公政権は世論からの支持を今度こそ失いかけていた。ここで解散に追い込めれば歴史が変わっていたのだ。自公政権は必死だった。なりふり構わず政権を維持しようとした。
 ガソリン減税問題の熱が醒め、すべて吹っ飛んでしまった。本来はこの日本政治史上の大問題がメディアで大報道されなければならないのに、もはや幕引きムードだ。おまけに政治は政界再編に走り出した。かくして日本の政治は何も変わらないまま国民だけが取り残されていく。

 その一方で異常な事がおきつつある。日教組が集会を拒否された。別に日教組の肩を持つつもりは無いが、右翼の街宣が怖いからと言って裁判所の判断を無視して反権力組織の集会を拒否するなどということは憲法無視が大手を通っているということだ。しかし誰も騒がない。護憲政党はやられっぱなしだ。
 メディアでつくられた大阪府知事が地方住民は国政に関与するなと、岩国市の基地受け入れ反対を批判する発言をした。それが当たり前のごとく報道されている。この国は間違った方向へ大きく歩き始めつつある。
 猛烈な勢いで政府の圧力が井原岩国市長にかかっている。岩国住民の包囲網が敷かれている。メディアはその事に警鐘を鳴らそうとはしない。あと数時間後、私は岩国市民にこの危機を訴える。》(「天木直人のブログ」より)


郵便公社の社長がトヨタ出身とか!? (1)

2008年02月02日 | 日記
昨日の日記でも書いたように、日本をこれほど腐りきった国にしてしまった元凶は、与党政治家・官僚とともにトヨタグループだったのではないかと思う。

僕が入社したばかりの頃は、「トヨタはもっと政治に口を出した方がいい」と言われるほどのんびりとしたいい会社だった。でも、社員が死んだら、本人の了解なしに掛けられた数千万円の保険金が会社の懐に入る団体割引生命保険は、掛けていたのではないかと思う。
よく突然死で同僚・上司が亡くなった後に、その未亡人が会社で働き始めるという事がしょっちゅうあったからだ。口封じだな・・と感じたもんだった。自殺や過労死が多かった。

それが一変したのは、総会屋対策の「暴力団取締り」新法ができて、法務・警察官僚との太いパイプができてからではないかと思う。警察に無料でコンピュータシステムを寄贈して、そこで社員情報をやり取りするというのが始まったのもこの頃だった。

法務官僚からトヨタに天下りしてきた重役たちが、今回郵便公社へと首切り・人権弾圧の密命を帯びて天下りしてきた企業官僚のように・・管理職上層以外のあらゆる社員の「リストラ」を開始し始めたったのだった。母の介護中だった僕以外のほとんどに女性・中高年社員は、会社を辞めるまで、一列に並ばされてゴミ拾いとか、3K(危険、汚い、)職場へと追い出されて、ひどい時は「あいつはアカだからは話すな。話したらお前がアカと見なされるぞ」と退職まで村八分状態の社員が、玄関のあちこちや、トイレの出入り口で仕事を与えられずぼんやりとしていた。

従来も警察幹部への着任時には、お土産持参で挨拶にという慣行だったのだが・・
長いので続きはまた今度。すべて僕の体験談なので、以前わんさかとやって来た掲示板荒らしみたく「証拠を出せ」とか言わないで欲しい。