コメント感謝です。ちょっと、ここから長文になると思いますが、お許しくださいませ。『ゆきゆきて、神軍』制作の経緯について。
監督の原一男は、「アクション・ドキュメンタリー作家」を自称しています。確かにちょっと、ほかのドキュメンタリー作家とは毛色が違って。
脳性麻痺の人々と向き合った『さようならCP』、パートナーの自力出産を見つめる『極私的エロス』、そして作家・井上光晴の虚言癖を追いながら、結果として死の記録となってしまった『全身小説家』。
井上光晴は調布市に住んでいまして。原監督がカメラを携え、井上さんの癌摘出手術を取材していたころ、自分は同市に住んでいたんです。撮影が行われていたことなど、まったく知らずに。
映画は、公開初日に観にいきました。既に『ゆきゆきて』で原監督を神と崇めていましたから。スクリーンに映し出される、見覚えのある光景。えっ、自分の住む街じゃないかと。原さんがここで映画を撮っていたのかと。
自分が調布市に住んでいたのは日活の専門学校があったからであり、学校の近くの朝日新聞専売所で奨学生として働いてもいたんです。
映画が公開されて数週間が経ったころ―井上光晴夫人が、うちの新聞の購読者であることが判明して。自分の担当区域ではなかったのですが、その区域の担当者にお願いして、今月分の集金、自分に行かせてくれと。
とても穏やかな方なのですが、「映画、観ました。素晴らしかったです」と感想をいうと、苦笑し、「そうですか・・・ごめんね、あたし、大嫌いなの、あの映画」と。
すいません、前置きが長くて。
このエピソードほど、原一男の映画を端的に表現しているものはないな、と思いまして。
距離感が、ほかのドキュメンタリー作家と異なるようで。その肉迫するスタンスを、自ら「アクション」といっているのですね。ときに無神経なほどに「寄る」カメラを「不快」と捉えるひとも多く、淀川さんも酷評していました。
さて『ゆきゆきて、神軍』ですが。
そんな原監督でも、奥崎さんには手こずったようです。企画そのものは今村昌平で、今村さんから声をかけられたとき、奥崎さんは「自分主演の劇映画を創る」つもりだったというんです。とにかく格好よく撮ってくれと。つまり撮られることを強く意識して、かつての上官の家に「アポなし」で向かっていたと。ドキュメンタリーの対象者は、カメラを向けられている時点で「ある程度」は撮られていることを意識するものだと思いますが、それが「病的なほど」だったそうです。
こんな場面があります・・・
かつての戦争犯罪を正直に告白しない元上官に腹を立てた奥崎さんが、元上官を殴る蹴る、、、しかし元上官の家族によって羽交い絞めにされる・・・と、奥崎さん「(カメラを)止めろ!止めろって! 俺がやられてるじゃないかっ!」と。つまり、そういうことだったんです。
撮るものと撮られるものとのあいだに生じていた、乖離。なんなら俺が監督をやろうかと挑発する奥崎さんと、カメラだけは渡さないと意地になる原監督。元上官の息子を銃撃したことにより、唐突な幕切れが待っているこの映画は、そのエンディングも含めて予測不可能なことばかりが起き、「最後まで(奥崎さんを)好きになれなかった」と、原監督にいわしめた苦難の撮影だったそうです・・・って、やっと質問に対する答えを記せました笑
キャラクターとして突き抜けたところがある奥崎さんですから、誰が撮っても面白いものが出来上がるだろうというひとも居ます。でもそれは、絶対に違うと思うんです。ほとんどの監督は奥崎さんに敗北し、奥崎さん主導で撮っていく形となっていたでしょう。出来上がるのはもちろん、格好いい奥崎さんばかりが捉えられた、しかし退屈なプロモーション映画になっていたはず。原監督の闘争がなければ、肉迫するカメラがなければ、『ゆきゆきて』のような映画は生まれなかったと思います。
最後に、もしお時間があれば、こちらをどうぞ。もう完全に、狂い咲いてます。
http://jp.youtube.com/watch?v=t3EALg22uMY
監督の原一男は、「アクション・ドキュメンタリー作家」を自称しています。確かにちょっと、ほかのドキュメンタリー作家とは毛色が違って。
脳性麻痺の人々と向き合った『さようならCP』、パートナーの自力出産を見つめる『極私的エロス』、そして作家・井上光晴の虚言癖を追いながら、結果として死の記録となってしまった『全身小説家』。
井上光晴は調布市に住んでいまして。原監督がカメラを携え、井上さんの癌摘出手術を取材していたころ、自分は同市に住んでいたんです。撮影が行われていたことなど、まったく知らずに。
映画は、公開初日に観にいきました。既に『ゆきゆきて』で原監督を神と崇めていましたから。スクリーンに映し出される、見覚えのある光景。えっ、自分の住む街じゃないかと。原さんがここで映画を撮っていたのかと。
自分が調布市に住んでいたのは日活の専門学校があったからであり、学校の近くの朝日新聞専売所で奨学生として働いてもいたんです。
映画が公開されて数週間が経ったころ―井上光晴夫人が、うちの新聞の購読者であることが判明して。自分の担当区域ではなかったのですが、その区域の担当者にお願いして、今月分の集金、自分に行かせてくれと。
とても穏やかな方なのですが、「映画、観ました。素晴らしかったです」と感想をいうと、苦笑し、「そうですか・・・ごめんね、あたし、大嫌いなの、あの映画」と。
すいません、前置きが長くて。
このエピソードほど、原一男の映画を端的に表現しているものはないな、と思いまして。
距離感が、ほかのドキュメンタリー作家と異なるようで。その肉迫するスタンスを、自ら「アクション」といっているのですね。ときに無神経なほどに「寄る」カメラを「不快」と捉えるひとも多く、淀川さんも酷評していました。
さて『ゆきゆきて、神軍』ですが。
そんな原監督でも、奥崎さんには手こずったようです。企画そのものは今村昌平で、今村さんから声をかけられたとき、奥崎さんは「自分主演の劇映画を創る」つもりだったというんです。とにかく格好よく撮ってくれと。つまり撮られることを強く意識して、かつての上官の家に「アポなし」で向かっていたと。ドキュメンタリーの対象者は、カメラを向けられている時点で「ある程度」は撮られていることを意識するものだと思いますが、それが「病的なほど」だったそうです。
こんな場面があります・・・
かつての戦争犯罪を正直に告白しない元上官に腹を立てた奥崎さんが、元上官を殴る蹴る、、、しかし元上官の家族によって羽交い絞めにされる・・・と、奥崎さん「(カメラを)止めろ!止めろって! 俺がやられてるじゃないかっ!」と。つまり、そういうことだったんです。
撮るものと撮られるものとのあいだに生じていた、乖離。なんなら俺が監督をやろうかと挑発する奥崎さんと、カメラだけは渡さないと意地になる原監督。元上官の息子を銃撃したことにより、唐突な幕切れが待っているこの映画は、そのエンディングも含めて予測不可能なことばかりが起き、「最後まで(奥崎さんを)好きになれなかった」と、原監督にいわしめた苦難の撮影だったそうです・・・って、やっと質問に対する答えを記せました笑
キャラクターとして突き抜けたところがある奥崎さんですから、誰が撮っても面白いものが出来上がるだろうというひとも居ます。でもそれは、絶対に違うと思うんです。ほとんどの監督は奥崎さんに敗北し、奥崎さん主導で撮っていく形となっていたでしょう。出来上がるのはもちろん、格好いい奥崎さんばかりが捉えられた、しかし退屈なプロモーション映画になっていたはず。原監督の闘争がなければ、肉迫するカメラがなければ、『ゆきゆきて』のような映画は生まれなかったと思います。
最後に、もしお時間があれば、こちらをどうぞ。もう完全に、狂い咲いてます。
http://jp.youtube.com/watch?v=t3EALg22uMY