先日、台風が来ることが天気予報で出ていたのに、晴れ間も見えたので、傘なしで出かけたら、案の定、大きな雨で、仕方なくコンビニで600円のビニール傘を買った。次の週、やはり台風が来ると言う予報でそのビール傘を持って出かけた。今度は強風で、あっという間に傘のビニール布がはがされ、やむを得ず、近くにあった、100円ショップに行ったら、300円だったので即購入。機能に大差ないビニール傘の値段が倍違うが、品質はどっちもどっちだったので、東南アジア製とか日本製とかの問題ではなく、単純に、流通の問題であろう。
唯、値段が安いからと言って、今ビニール傘の品質は受け入れられない。もうちょっと頑丈なものを作れないものか?
で、何時頃からビニール傘が世の中に流通されるかネットで調べたら、1950年台の初期からと意外に長い歴史があった。
ビニール傘を開発したのは、台東区にある江戸時代から続くWhiteRoseと言う傘屋さんであった。
その会社の歴史を見ると、最初からビニール傘をヒットさせていたのではなく、1950年以前は傘と言えば、綿布製で、雨の日に傘をさして室内に入ろうとすると、水がぽたぽた落ちて屋内に入るどころの騒ぎではなかった。
それで、ビニール製の傘カバーを発売したところ、これが大ヒットしたと言う。
ところが、昭和30年代、合成樹脂繊維を代表する「ナイロン」が、誕生し、その糸の均一性、高い染色堅牢度、縫製のし易さから急激に普及し特に雨傘の大量生産を望むマーケットに喝采を博したという。防水強度もアクリル樹脂コーティング加工により大幅に向上したために「ビニール傘カバー」は数年のヒットの後に必要とされなくなってしまいます。
そこでWhiteRoseは、既に完全防水素材と確認・検証・評価されたビニールフィルムを大胆にも直接傘骨に張ってしまうと発想したのです。
しかし発売当初から大ヒットしたのではなく、「ビニール素材を骨に直接張るなどもってのほか!」「ビニール傘屋ふぜい!」と蔑まれた江戸時代からの老舗の雨具屋、ほとんどの傘小売店・傘売場から見向きもされない思いもよらないスタートでした。
そのうち、「ビニール傘は完全に雨が漏らない」、その1点を信じて、いつかは日本中をビニール傘で埋め尽くしたいという社員一丸の目標は、徐々に賛同者・味方を得ながら、静かに、そして委託販売という屈辱的な取引条件にもめげず、歴史の一歩を踏み出したのです。
ビニール傘の手軽さと雨漏りしないと言う事を買われて世界中で使われるようになったが、70年たった今や、WhiteRose社製のものは無くて、ほとんどが、中国製とか東南アジア製。そうなら、金属の骨にビニール布を張るのではなく、骨も布も全て樹脂製で一体化し、より頑丈なビニール傘を考案提供して貰えればありがたい。値段がコンビニ価格より多少高くても、現状の物より、もうちょっと長持ちすれば有難い。
壊れたビニール傘、金属の骨とビニールの布をはがして不燃処理物と、可燃処理物に分離するのも面倒で、樹脂製として一体化すれば、後始末も楽になる。