2月19日午後、新国立劇場でオペラ研修所修了公演「コジ・ファン・トゥッテ」をみた。このオペラはモーツァルトがロレンツォ・ダ・ポンテの台本で1790年に作曲した作品だ。モーツァルトは11歳でつくった3作品を手始めに20あまりのオペラを作曲したが、フィガロ、ドン・ジョヴァンニ、魔笛の3大オペラは最後の5年につくられ、この「コジ・ファン・トゥッテ」は死の1年前につくられた。
プログラムと英文あらすじ
プログラムを参照してあらすじを紹介する。
1幕
18世紀のナポリ。姉妹のフィオルディリージとドラベッラ、それぞれと婚約している若い士官グリエルモとフェルランドは、自分の婚約者の貞淑さを讃えていた。
女性の貞節に懐疑的な老哲学者ドン・アルフォンソは、二人に変装をさせ、互いの婚約者を誘惑することで姉妹の貞節を試そうと、賭けを持ち掛ける。若者たちは戦場へ出征するふりをすることになった。
打ちのめされた姉妹を小間使いのデスピーナが「この機会に浮気をしてみては」とそそのかす。ドン・アルフォンソはデスピーナを抱き込み、二人の若者に栗色と黒髪の鬘を着用させアルバニア人に変装させる。そして互いの婚約者を誘惑することで姉妹の貞節を試そうというのだ。姉妹は断固求愛を拒否したので、彼らは賭けに勝ったと大喜びする。
ドン・アルフォンソはデスピーナと第二の作戦を進める。変装した二人が絶望のあまりヒ素を飲んで死んだ振りをする。ショックを受けた姉妹の前で、医者に化けたデスピーナが磁石を使って癒すと、起き上がり姉妹に接吻を要求する。姉妹はその厚かましさに激怒するが、心は揺れ始めた。
2幕
デスピーナから作り笑い、ウソ泣き、うまい言い訳など恋の手練手管の話を聞き、姉妹は少しずつその気になりはじめる。どちらの男が好ましいか選び合い、ドラベッラは黒髪・赤服のグリエルモ、フィオルディリージは栗色・黒服のフェルランドと、実際の婚約者とは逆を選ぶ。まずグリエルモ/ドラベッラ組が打ち解け、グリエルモはハートのペンダントをプレゼントし、フェルランドの肖像が入ったロケットの場所に付け、持ち帰る。
その次第を聞いたフェルランドは激怒しグリエルモが自分の肖像入りロケットを持っているのを見て絶望する。フェルランド/フィオルディリージは難航したが、フェルランドがフィオルディリージに「剣を刺して殺してくれ」と必死に迫ると、感激して彼を受け入れ2組は結婚することになる。
怒り狂う二人の若者にドン・アルフォンソは「女は皆こうしたもの」と言って諭す。2組の婚宴が進み、今度は公証人に化けたデスピーナに、姉妹が結婚契約のサインをする。
そのとき軍隊の帰還が演出され、2人の若者が本来の銀髪姿で戻ってくる。姉妹は「生きた心地がしない」と震え上がる。
あわやというときにドン・アルフォンソが種を明かし、姉妹の謝罪を受けて、理性を讃える歌で幕となる。
馬鹿馬鹿しい喜劇といえばそのとおりだ。19世紀には不道徳だと評判が悪く、フェミニズムの現代でも、タイトルからして引っかかるだろう。ただし「女はみんな」という点で公平のためにいえば、デスピーナのセリフのなかに「男なんて、どれもこれも同じです。男のやることなんて偽りの涙と嘘の流し目と、猫なで声とごまかしの愛撫にきまってます。男なんておなぐさみにしか女を愛さないのよ」とある。
演出の粟國淳は「イルミニズム、ヒューマニズムの要素が含まれたオペラであり、そしてそこには『相手を知る』というコンセプトのもとストーリーが展開され、最後には大切な事は何かを教えてくれる作品」と評価する。
エンディングの台詞は下記のとおり。ただし手元にあるのは永竹由幸訳(音楽之友社・名作オペラブックス 1988)で、字幕でみた本谷麻子の現代的な訳とは異なる。
ドン・アルフォンソ「たしかにあなた方(姉妹)を裏切った。しかし、それが、あなたの恋人たちの目をさまさせたというわけですよ。
今は賢くなって、私の思うようにするでしょう(略)」
フィオルディリージとドラベッラ「いとしい人、もしそれが本当なら、あなたの心へ、充実と心からの愛でつぐないをし、一生お慕いしますわ」
フェルランドとグリエルモ「麗しの人、君を信じよう。でももう試すことはしたくないよ」
(略)
全員「ものごとすべて理性でかたづけ、人のよい面のみ見ている者は仕合せ者よ。
彼には笑いの種だし、人を泣かせるようなことでも、
竜巻のような世の中でも冷静に落ち着いてすごせるさ」
なかなか含蓄深い。
このオペラは、1幕が95分、2幕が100分、14時に始まり休憩25分で終わったのは17時45分、とても長いオペラだった。字幕をみると同じセリフを何度も繰り返し歌っていた。死の1年前、34歳のモーツァルトの頭のなかから次から次へとメロディが湧きあふれ出てきた結果なのかもしれない。2幕の半ばでは眠りそうになった。しかし2幕8景グリエルモ/ドラベッラ組が打ち解けたあたりから、がぜんドラマティックになる。とくに軍隊が帰還し2人の若者が登場したあたりで照明も切り替わり、展開が早くクライマックスが近づく場面は粟国の演出のメリハリが効いていた。演出の冴えを感じた。
幕を閉じると、6人の登場人物、幕開けとフィナーレで登場する仮面をつけた男性4人と女性4人、舞台裏でコーラスを歌った11人の黒尽くめ衣装のアンサンブル11人のカーテンコールが始まった。そこに指揮者・星出豊、演出・指導・粟國淳、さらに研修所長の永井和子が真ん中に登場し、拍手が鳴りやまなかった。
粟國は有名なので写真ではお顔をみたことがあったが、本人をみたのは初めてだ。この日の演出はもとより、見栄えもいい方であることがよくわかった。新国立でも何度も演出しているがイタリアものが多いようなので、わたしが演出を観るのはじめてかもしれない。
歌手では、わたしはしっとりした声質の大竹悠生(フィオルディリージ役)、演技力で見せた野口真瑚(デスピーナ役)、座長を担った大久保惇史(ドン・アルフォンソ役)が好きだった。
星出豊の指揮は、後ろからみていていかにも楽しそうな体や頭の動きだった。プロフィールをみると、1969年にニュルンベルク歌劇場副指揮者、70年代以降数々のオペラを振り、とくに日本の作曲家のオペラ初演や新国立も含め各地の劇場のガラコンサートを務めてきた歴史的な方だ。お年は81歳だが、ステージでみるとまだ10年は元気にやれそうにみえた。
オーケストラは新国立アカデミーアンサンブル、こういうオケがあることは知らなかった。わたしの席の前方が3本のコントラバスで、低音が心地よかった。その右手にトランペットとティンパニーがいた。
この曲はオーケストラだけでなく、チェンバロの伴奏も入る。わたしはオペラでチェンバロを聴くのもはじめてだ。語りの伴奏のギターや三味線のような使い方をすることがわかった。古典の上品な雰囲気を感じられた。奏者の星和代の伴奏もすばらしかった。
林悟の照明や、わたしは詳しくないのだが増田恵美による貴族たちの衣装もよかった。
永井和子研修所長もプロフィールをみると、1987年『蝶々夫人』のスズキとしてシノーポリに抜擢されヨーロッパで活躍、国内でも二期会、新国立、びわ湖ホールの舞台に立ち2006年から東京芸大教授という方だ。
そういう方々が、若い声楽家(といっても音大大学院を修了した人だが)の指導に当たる研修所制度はすばらしいと思う。今回の修了生は23期だが、10年後、20年後の日本のオペラ界がどうなっているか楽しみだ
なお新国立劇場そのものも昨年10月、25周年を迎えた。わたしが見るのは演劇がメインだが、はじめの15年ほど毎年1本だけオペラを観に来ていた。オペラ研修所は1998年開設、1期4-5人で3年制。研修所の公演をみるのは今回で2回目だが、今後も機会があればみてみたい。
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