多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

「家族はつらいよ2」で孤独死を考える

2017年07月04日 | 映画

早朝6時過ぎに、鼻毛の手入れをし、仕上げに体にオーデコロンまで振りまき、帽子をかぶり目一杯おしゃれをしていそいそ出かける平田周造(76歳 橋爪功)、出かけた先は早朝ラジオ体操の会場だった。ところがお目当てのかよちゃん(行きつけの飲屋の女将さん 50代 風吹ジュン)が来ていないのでがっかりする。しかし「昨夜の客がなかなか帰ってくれなかったので寝坊した」と言い訳をしながら遅刻で現れた。2人で帰る道すがら長男幸之助(40代 西村雅彦)とばったり出くわし、てれくさいので「おはようございます。毎日ご苦労様です」などと声をかける。かよに「どなた?」と問われると「近所の哀れなサラリーマンだよ」と答える。驚いた幸之助は生垣にぶつかりふらつく。冒頭から、鼻の穴の大写し、場内は爆笑や笑いの連続だ。「家族はつらいよ2」は第1作より笑う場面が多い。喜劇としてレベルアップしている。

しかしそれだけで終わらないのが山田作品だ。独居老人の孤独死の問題提起だ。
この映画では、周造の高校の同期会の夜、たまたま泊めた同級生・丸田吟平(小林稔二)が就寝中に突然死する。身よりはない。
身よりがなかったり、親族に遺体引き取りを拒否された場合、自治体の福祉課扱い、すなわち居住先の自治体の予算で葬儀をするということはまったく知らなかった。
おとうと(2010)には、身よりのない人のためのホスピスが登場するが、そういう施設は本当にあるようで、この話もおそらく本当だと思う。
ネット検索すると「 行旅(こうりょ)病人及び行旅死亡人取扱法(明治32年3月28日法律第93号)という法律があるそうだ。以下はこのサイトの要約である。
警察の検死が終われば遺体安置ができる葬儀社に引き取り依頼が来る(そういう葬儀社は遺体用の冷蔵庫を所有している)。
親族が明確に遺体の引取りを拒否すれば、次に市役所の福祉課(各市町村で名称は違う)が出てきて、行旅人扱い(行旅病人及行旅死亡人取扱法)ということで処理される。いったん市の費用で火葬し集骨する
その後処理として、まずお骨については市役所で預かることはしないので、取りあえずその地域の仏教会でそういうお骨を預かる担当寺院があり、引き取り手が出てくるまで一時的に預かってもらうことになる。
費用については、生活保護を受けていれば、費用はほとんどかからない。受けていない場合、その間にまだ親族が発見されていないと、官報に掲載して相続人を探す。火葬代・遺体の保管費用・病院関係では検死費用(司法解剖分については費用はかからない)・葬儀社への支払などの費用が考えられる。最後にお骨まで手続が進んだ段階でも、相続人が遺骨の引取りすら拒否すれば、上記の担当寺院が無縁仏として合祀墓に納められ供養される。
相続人・扶養義務者の誰もいないときに、初めて市や県の負担として最終処理がされ、すべてが終わる。
 こういうルールがあるのだった。

小路幸也「家族はつらいよ2」講談社文庫
「わびしい風景ですよ。葬儀屋さんがたった一人での野辺の送りですからね」(p190 以下、ページ数は小路幸也「家族はつらいよ2」講談社文庫)。
現場確認に来た刑事・日取(劇団ひとり)が「あるんですよ、こういう悲しいことは、無縁社会というか下流老人といいますか。お気の毒としか言いようがないですね」(p190)と語る。

わたくしも昨年春68歳の先輩を亡くした。メールも携帯も連絡が取れず、自宅の都営アパートを訪ねたところ玄関ドアに「空き家補修工事」の貼り紙があり驚いた。在宅されていた2軒隣の方に聞いて、はじめて2か月も前に亡くなっていたことを知った。勤務先の人が連絡が取れないからと推定死亡日の2日後に訪ねてきて発見し、九州のお兄さんが後始末されたとのことだった。
周造の次男・庄太、憲子夫妻(妻夫木聡、蒼井優)は日取刑事に住所を教えてもらい、吟平の埼玉のアパートを訪ねる。管理人(広岡由里子)は「生活保護を貰うのは国民の権利なんだから、そんな遠慮することないわよ、と言ったんだけどね。いい人だったわ」(p193)
これと同じような話を聞いたことがある。別の九州出身の男性で、体調をこわして失業したとき、やはり大家さんに同様のことをいわれた。その人の場合、生活保護は受給したのだが、最終的には真夏に50代半ばで孤独死した。電気やガスも止められていたという。わたくしが知ったのは半年後の冬で、すでに違う人が住んでいて、不動産屋さんを訪ねて教えてもらった。このときは本当にショックだった。死んだ人もたいへんだっただろうが、残されるものも突然だとショックが大きい。
「わたしの父も一人暮らしで、ペースメーカー付けてるくせにお酒が好きで、医者が嫌いで、いつ何が起きるかわからないんです」(p200)という境遇の憲子が「あのおじさん、かわいそう」とポツリと口にする。
人間長くやっていると、知人との別れを何度も経験する。それ自体は仕方がないことなのだが・・・。
周造は「さいなら、さいならだ!さよならだけが人生だ」と叫ぶ(p209)
「いったいあいつがさ、どんな悪いことをしたっていうんだろうな」「そんなあいつを、あいつをさ。誰も、誰一人も、見送ってやらないなんてな」(p198)と絶叫する。
しかし、丸田氏は、人生最後の日においしい酒をご馳走になり、好物の銀杏をたくさん食べ、「銀杏で飲む酒はうまい、ギンナン。ああ、今夜は本当に楽しかった。ありがとう平田くん。一生忘れない、幸せな夜になった」(p152)とつぶやきそのまま死んでしまった、いわゆるピンピンコロリ、幸せな、理想的な死ともいえる。大写しになった顔の表情も穏やかだった。しかもたまたま最後の夜を過ごした同級生の家族7人に見送られたのだから幸運だったともいえる。
孤独死をテーマに据えたのは共同脚本の平松恵美子の功績だと推測される。
山田監督の映画のなかの死というと「おとうと」だけでなく「家族(1970)の笠智衆の死を思い出す。笠は、長崎市伊王島から北海道の中標津に長旅をした2日目に地元の方の歓迎の宴で「炭坑節」を踊った夜、急死する。

火葬のシーンで、棺のなかで銀杏が破裂しパンパン音がする、丸田の鼻の穴にも銀杏がはさまり、爆笑を誘う。火葬の炉の後ろから出てきた作業員の男が「銀杏でっか!」と納得する。見るとその顔は笑福亭鶴瓶だった。

ただ周造の叫びのなかに「かんかん照りの中で、汗かき汗かき、赤い棒をただ振り回さなきゃならないんだってな。死ぬまで働けっていうのかこの国は!ってな、思ったよ」(p199)とあったが、この部分は正しい。肉体労働の現場はたいてい高齢者の職場だ。またオリンピック前の好景気で人不足のせいなのか、東京では女性や外国人が目立つようになってきた。

気が付いた点をいくつか。
1年前の前作パート1との違い。
庄太(妻夫木聡)がメガネをかけたせいもあるのだろうが、ずいぶんおとなになっていた。次作ではひょっとすると子どもが生まれているのかもしれない。
謙一・信介兄弟が大きくなっていた。中村鷹之資と丸山歩夢は、実年齢で今年18歳と16歳なのだから当然といえば当然だ。寅さん映画の連想でいくと、この子たちのどちらかに彼女ができて、ドタバタになることもありうる。
初登場で、金井泰蔵、成子夫妻(林家正蔵、中嶋朋子)にピアノが好きな小学生の娘・加奈がいた。音楽の才能があるようだった。
また憲子の母は生保レディ、祖母は寝たきりで世話してくれている実の娘のこともわからないボケ老人、「夏がくれば 思い出す はるかな尾瀬 遠い空」の「夏の思い出(江間章子作詞・中田喜直作曲)をベッドで歌っていた。介護生活はもう10年にもなるらしい。
熟年離婚、独居老人の突然死と来ると、次回はいよいよ介護がテーマになるのかもしれない。
驚いたことに住んでいるのは柴又のアパートという設定になっていた 最初駅のホームの「はま」という文字しかみえなかったがやがてみえたのは「しばまた」、京成のあのなつかしいホームが映し出された。

横尾忠則のイメージポスター
前作でかよの店をみたとき「こんな店が本当にあれば、常連になりたいような店だった」と思ったので、店内のシーンが出てきたとき、壁の短冊を一生懸命書き写した。
しめ鯖800、さざえの壺焼き520、ほっけの開き1200、このわた730、ぶり大根650、タコ刺550、もずく400、銀杏、オコゼの唐揚げ お茶漬け、うなぎ・・・ 
ずいぶん魚料理が得意な女将さんのようだ。それにしても板前さんなしで、接客もしながらこんなに何種類も作れるものなのか。
最後に広島弁。丸田と周造は2人になると「のう、丸田、覚えとるじゃろ、高野節子」「覚えとります」(p142)と広島弁で会話する。「ご主人にはごっついお世話になったんですよ。勉強教えてもろたり、こんな本読んでみろと言うてサリンジャーとかいう人のアメリカの小説を貸してもろたり」(p151)と丸田はいまも広島弁が抜けないようだ。
東京物語の笠智衆も広島弁(尾道)だったが、この映画では広島県豊田郡大崎上島町という島の出身で県立大崎高校の同級生ということになっている。山田監督は大連から引き揚げ(1947年)た後、旧制宇部中学校、旧制山口高校から学制改革のため都立小山台高等学校を1950年に卒業している。山口と広島では多少方言が違うかもしれないが、おそらくなつかしい響きがあるのだろう。
冒頭にも書いたように、前作より「喜劇」としてレベルアップしていた。68歳で孤独死した先輩はじつは映画がたいへん好きな人だった。「家族はつらいよ」に対しては「母と暮せば」を60点とすれば「家族はつらいよ」は80点。」と評していた。この映画はもっと笑わせたので85点か90点だったのではないだろうか。

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