多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

棘――ひとの痛みは己の痛み。武建一

2020年03月21日 | 映画
棘――ひとの痛みは己の痛み。武建一(杉浦弘子監督 2019 ニライカナイ塾 65分)を江東区総合区民センターでみた。キャッチフレーズ風にいえば、人間・武建一の半生を描いたドキュメンタリー映画ということになる。

わたくしが関西地区生コン支部の闘いをはじめて知ったのは、10年以上前に入っていたMLで、門真の戸田ひさよし市議(当時)のレポートをみたことだったと思う。2010年11月日比谷野音で開催された全国労働者総決起集会で高英男副委員長「5カ月続く長期スト」の報告を聞いた(集会後の11月17日組合勝利で妥結)。しばらく時間をおき2018年12月、関生支部が多田謡子反権力人権賞を受賞し、武谷新吾書記次長から「17年12月のゼネストに対し18年1月から大阪広域協組が元在特会メンバー、ヤメ検、警察OBを集め、関生支部つぶしを開始し、7月に刑事弾圧が始まった。道路使用許可を取らなかったり、道路を汚したりガードマンを付けなかったりすることに対するコンプライアンス(法令順守)運動をしたことが恐喝だ、と逮捕する」と驚くような報告を聞き、檄布寄せ書きの激励をした。
そして1年後の12月には、関西救援連絡センターの方からその後も逮捕・起訴が続き、4府県の裁判所で7つの裁判が同時進行しているとの報告を聞いた。さらに今年2月の都教委包囲・首都圏ネットの総決起集会で副委員長の弁護を担当している永嶋靖久弁護士から「ひとつの事件を5つに分けて起訴したり、普通は保釈される時期に別の事件で逮捕し、その結果、委員長や副委員長の身体拘束は530日以上に及ぶ。逮捕者はのべ89人(実人数57人)、検事が起訴状に『労使交渉などと称して過剰な賃上げ等を要求し』『ストと呼ばれる生コンの出荷を妨害する行為』などと平気で書き、まるで労働組合の存在を否定する情況」になっていると、関生支部潰しの現状報告を聞いた。
「棘」という映画があることを知ったのもその集会だった。考えてみると、武建一委員長という名前と肖像写真は知っていたが、一度もスピーチを聞いたことはない。何度も不当逮捕され長期拘留されていることは知っていたが、人物についてのイメージがわかなかった。それで新型コロナ騒動のなか、江東区まで映画をみに行くことにした。

映像は、波と岩礁から始まる。まるで昔の東映映画のオープニングのようだった。この風景映像は武の生まれ故郷、奄美群島・徳之島のものだった。
武建一は1942年1月生まれ、今年78歳になる。5人兄弟の2番目だが建一以外は女子だ。父は戦前に運転免許をとり、戦後はアメリカ軍政下で鹿児島や沖縄と闇商品の輸送の仕事をしていた。51年から6年沖縄に行っていたが、そのあいだ母が行商をして生活を支えた。
同じ小中学校の2年後輩の松村さんと故郷・岡前に住む従弟の叶さんから、徳之島の生活や歴史が語られる。
17世紀はじめ琉球王国や奄美群島は薩摩藩の「植民地」となり、サトウキビ栽培を強いられ「黒糖地獄」に陥り、江戸末期には、農民が鎌や鋤を手に代官所に押し掛ける犬田布騒動という百姓一揆も起こった。島人の反骨精神はその後ずっと受け継がれ、2010年4月普天間基地の徳之島移設計画が浮上したとき、1万5000人の島民大集会を開催し完全勝利した。そのときのキャッチは「徳之島の痛みは己の痛み」だった。
サトウキビの収穫が終わると、闘牛や三線伴奏の島唄、黒糖焼酎が島人のささやかな娯楽となる。2019年4月の徳之島きびまつりが映し出された。なくさみ闘牛大会、演芸ステージの歌謡ショーのほか、子どもたち向けの「ニワトリのつかみ取り」というアトラクションがあり、ちょっと驚いた。
なお2006年12月武は冬巡業大相撲徳之島場所の勧進元となり、朝青龍、白鵬、把瑠都、琴欧州など百数十人の興行を行い、2019年には(逮捕勾留中で武は見られなかったが)大月みやこショーを開催した。「生み育ててくれた故郷、徳之島に何一つ恩返しができてなかった」からがその動機だった。

武は中学を卒業し、商店で3年「丁稚奉公」をしたあと、家出同然で神戸・尼崎へ3日の船旅で旅立った。1961年19歳のときだった。尼崎にはリトル奄美といわれる地区があった。トラック助手を経てコンクリート・ミキサー車の運転手になった。残業の多いきつい仕事だった。
入って2年目に組合長が解雇された。「友だちを明日から来るなて、なんやねん」と憤った武は、解雇撤回闘争を始めた。これが武の組合運動のスタートだった。65年に弱冠23歳で委員長に選出される。69年には裁判闘争で3人の解雇撤回を勝ち取り、73年には統一要求、統一交渉、統一妥結の関生方式の闘争戦術、セメント会社と下請け会社も含めた在阪16社との集団交渉による賃上げに成功した。ここから産業別労組への道を歩み始め、賃上げからさらに政治闘争へ視野を広げる。
その後の2018年3月夢洲コンテナ車駐車場での「春闘勝利!」集会でのスピーチや8月の連合会館での「業種別職種別ユニオン運動」研究会講座連続講座での講演「55年到達点から見た今」などの動画はあったが、どうも描き方が手薄だった。その理由は、アフタートークで明らかになった。
映画には武委員長逮捕後、2019年5月の宇部三菱大阪港SS事件第2回公判のときの大阪地裁前での抗議集会とヘイトスピーチで妨害する男も映された。
なお、2018年3月、巨大な生コン車がフロントに「辺野古新基地新設反対!」「TPP反対!」「憲法九条を護れ!」「働き方改革粉砕!」「安倍政権打倒!」などの横断幕をフロントに掲げ、夢洲コンテナ車駐車場を出発し、何十台もの巨大な生コンクリート・ミキサー車がパレードする動画は壮観だった。

上映後、杉浦弘子監督のアフタートークがあった。
今後のインタビュー交渉も兼ねて、監督が連合会館で講演中の武委員長の撮影をしたのは2018年8月25日のことだった。ところがその3日後の28日早朝、武委員長は大阪で逮捕され、以降今日まで長期勾留が続き、「外」に出られず家族にも会えないままだ。
「なぜなんだろう。助けてあげたい」というのが、この作品作りにとりかかるきっかけだった。「わたしに何ができるのか、映像で真の姿を映してみんなにみてもらい、(ウェブ空間では武委員長へのヘイトで塗り固められているので)誤解を解いてもらいたい」という強い願いがあった。まず徳之島に行き、武さんのDNAを知った。
シナリオなしで作り始め、編集は専門家に任せるつもりだったが、結局自分で作業した。
2019年10月17日の公判の夜、西淀川区民ホールで初上映した。西淀川は50年前武委員長が組合をつくった場所だったので、どうしてもこの場所でという強い思いがあった。
会場から「次回作はどんな構想で、いつごろ」という質問に「関生支部はなぜ弾圧されているのか」をテーマにしたい。夏ごろ公開したい気持ちはあり、撮影も進めているが、なにしろ同時並行で裁判が進行しており、その関係で突然公開できないシーンがでてくることもある」とのことだった。

またプロデューサーの平林猛氏が映画作成と並行して「評伝 棘男――労働界のレジェンド武建一(2019年10月 展望社 320p)を執筆したが、どうしても10月の上映日に合わせて発刊したかった。平林氏は体調がすぐれず2時間パソコンで書いては3時間睡眠という生活を20日続け完成させた。出版社には1.5カ月という異例のスピードで発刊してもらった。だから誤字も多くある、とのことだった。
書籍のあとがき末尾に「この本は、映画と同時進行で書かれたもので、したがって映像媒体の特性と活字媒体の良さを加味し、お互いに補完する方法で制作した」とある。
たしかに320ページの本書には、映画に出てこないこともたくさん書かれていた。
たとえば共産党との決別である。20代前半の武は組合委員長を引き受ける前に、共産党系の西淀川労働学校で経済学、哲学、労働問題を学んだ。この学校は「労働組合幹部養成学校」(p213)であり、武はもともと共産党系の組合活動家で上部組織も共産党系だった。
ところが1982年11月に東京の横山生コンの不当労働行為に日立セメントとの闘争に勝利し、東京地区生コン支部が解決金を受け取ったところ警察は「恐喝」とし三役を逮捕した。運輸一般も共産党も最初は「弾圧反対」だったが、12月17日突然、赤旗に「運輸一般の下部組織の一部に階級的社会的道義に反する行為がある」という(運輸一般中央本部の)声明を掲載した(p264)。当時「関生支部内の執行委員会の9割が共産党員で、支部全体で党員数約500名、赤旗読者は3000名いた」(50年p96 以下「関西地区生コン支部労働運動50年――その闘いの軌跡 1965-2015(「関西地区生コン支部50年誌」編纂委員会・編 全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部発行 2015年10月 社会評論社発売 425p)も援用し「50年」と記す)が、83年10月日本共産党員グループと運輸一般中央・関連地本による関生支部破壊攻撃は、ついに支部を引き裂き分裂した(p269、50年p92)。500人の党員は数カ月のうちに10%以下に減少し、3500人いた組合員は1600人に半減した(p271 50年p97)
また武は「5回ほど殺されかけた」とインタビューで語ったが、「棘男」には、「私を暗殺しようとした事件はセメント企業4社が1000万円を出し合って山口組に依頼し、私を亡き者にする計画だった」(p236)、79年「監禁され殴る蹴る、ウイスキーをボトルごと飲まされる。猿ぐつわをされ、逆エビに縛り上げられ車のトランクに放り込まれた。そして車はそのまま走りだし、六甲の山中にいった」(p236)など、まるで映画のような生々しい体験記が入っている。

「感謝の気持ちを込めて」というポストカード 「委員長めっちゃ笑ってる!」
ひとの痛みは己の痛み」は武が組合活動を始めたときの思いだが、「50年」によれば「ひとつの分会にかけられた権利侵害に対しても支部全体の総力をあげた反撃でしか跳ね返せないことを関生支部設立初期(1965-69年)の闘いで身をもって学んだ。ここから「他人の痛みを己の痛みとする」関生闘争路線の根底を貫く作風は作り上げられた」(50年p50)とある。また、プロローグの発言で「私はその力(痛みを共有する力)を徳之島の厳しい生活が育ててくれたように思いますね」(p20)と語っている。
そしてタイトルの「棘」とは「権力者の咽喉仏に突き刺さり、抜くに抜けない「棘」」(p52)であり、「武建一は、現代日本社会の底辺に突き刺さっている、まさに「棘」」(p56)だから、国家権力がいきり立ち、「邪魔者は殺(け)せ!」(p56)ということになる、と著者の平林は書いている。
映画の話では、スタッフとして、語り(ナレーター)大久保鷹、エンディング曲の「ステファンの5つ子」をPANTA、ヴィジュアルとアートディレクターを浅葉克己、といった著名な人が務めているのも見どころの一つだ。

☆3月11日毎年恒例の「3・11を反天皇制・反原発の日に!「3・11行動」のデモが永田町から赤坂にかけて行われ、参加した。デモ隊のなかになつかしい人の顔をみかけた。かつて東京で活動していたが、いまは大阪の園良太氏だ。「棘」にも2019年5月の大阪地裁前抗議集会で人民新聞記者で映画クルーに取材され、長期勾留や国策裁判への批判をしていた。この日は午後のデモだけでなく夕方の東電本店前抗議、夜の官邸前抗議の主催者として上京したとのことだった。

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