駒込・光源寺で二夜連続講座「あの戦争はなぜ止められなかったのか」(主催:予防訴訟をすすめる会、都立高校九条の会)が開催された。2日目に行われた湯浅誠さん(反貧困ネットワーク事務局長、NPO法人もやい事務局長)の講演「貧困と戦争」を聞いた。
●憲法25条(生存権)が掘り崩されるとき、憲法9条も掘り崩される
7月にサミットの関係で札幌に行ったとき、地下鉄で自衛官募集の中吊り広告が堂々と掲出されているのを見かけ驚いた。その後、仙台、さらに東京の有楽町線や大江戸線でも見かけ、地方だけでなく全国的に防衛省が積極的な広告攻勢をかけていることを知った。
この春「若い人を紹介してほしい」ともやいを訪ねてきた募集官は「対象は18~25歳、学歴不問。陸上自衛官の任期は2年で年収300万になる。海上・航空自衛官は任期3年で年収400万、自己負担ゼロで大型特殊自動車やホームヘルパーなど就職に有利な資格を取得できることがセールスポイントだ」と言っていた。たしかに中卒で年収300万という仕事はめったにない。
サンタモニカに行ったとき、イラクに2年赴任した帰還兵に志願した理由を聞いてみた。「大義のために志願した兵士は2割、経済的理由で志願した兵士は8割」と言っていた。戦争が好きでなくても、軍に志願する若者はどんどん増える。昨年、赤木智弘氏の「希望は、戦争」(論座2007年1月号)が話題を呼んだが、若者の右傾化ととらえるより、現在の状況を変えられるものが存在しないという視点でみるべきである。憲法25条(生存権)が掘り崩されれば、結果として憲法9条が掘り崩される。
日本では、憲法25条が意識の面でも仕組みの面でも弱い。一般の人は貧困というと「アフリカやアジアの問題、あるいは日本の戦争直後の時代の問題」「かわいそうな人の問題」だと思っているので表立って議論されることが少なかった。しかしいまこそ考えるべき問題である。
●貧困に至るルート
もやいには月に100件、全国から相談が来る。6月に受けた相談を2つ紹介する(講演では全文紹介されたが概略にとどめる)。「以前勤めていた派遣会社が給与を支払わないので退職した。ハローワークで、生活が厳しいため日払いの仕事を探した。しかし仕事はあまり回ってこず、遠方で交通費を出せなかったりで手元資金が尽きた。どうしたらよいかわからずうつ状態になっている。もうすぐライフラインも止められるし今月の家賃も払えそうにない。ホームレスになるか自殺するしかないのだろうか」
このメールには貧困に陥るルートが明確に表現されている。今後の選択肢はホームレスか自殺で、「公的機関への相談」が出てこない。そもそも知らないのだろう。
もうひとつは27歳のホームレスの男性のものだ。「以前は工場への派遣社員だったがうまくいかず長続きしなかった。親とは絶縁状態でいまの持ち金は20円。頼りの免許証はいつのまにか紛失しており希望を失った。自殺も考えたが未遂に終わった。悪いことをして刑務所暮らしをするしかないのかとも考える。自分の生きる意味がまったくわからない」
この相談にも公的機関への相談が登場しない。たとえ生活保護について知っていても自分が利用するとは思っていないことが多い。「急病になれば119」と同じような生活保護の申請方法をわかっていない。
日本では10年連続3万人の自殺者が出ている。衝動が「外」(他害)に向かう人はごくまれだが「内」(自傷)に向かう人は多い。秋葉原の事件の背後には自殺者がいる。その背後には将来に展望が持てないさらに多数の層がある。高望みしても望みはかなわないと自分の気持ちにふたをする人、「自分はこのままでいいんスよ」と考える人は多い。こういう人を覇気がないと非難し「どんな境遇でも夢を捨てるな」と励ますことは、ときによっては暴力となる。
●貧困か過労死か
日本では「働ければ食べていける」という神話が流通している。しかし7月3日発表の2007年就業構造基本調査(総務省統計局)によれば、年収(所得)300万円未満が2002年に比較し2.6%増え53.1%となった。パートやアルバイトの年収300万円未満は95%、200万円未満はじつに90%に及ぶ。
では正社員なら勝ち組かというと正社員でも300万円未満が31%いる。過重労働を強いられている人もいる。就業構造基本調査の週間就業時間は2002年に比べ、60時間以上が0.8%増え30時間未満も1.7%増と二極化している。
つまり貧困か過労死かという二者選択の状況になっている。
●貧困は社会の問題だ
“溜め”とはお金、同居できる親、仕事を紹介してくれる知人など、人を包むバリアーのようなものである。お金には限らず人間的つながり、精神的ゆとりを含むことが重要だ。人間は“溜め”に包まれて生きているが、貧困に陥ると“溜め”がギュッと小さくなる。
いまの日本は“溜め”のない人を大量に生み出す社会、生きづらい社会になっている。余裕がないので、テキパキ働けない同僚が許せなくなる。一番弱い人から職場をはじかれる。しかしその職場からはじかれても、結局どこかの職場、多くの場合さらに劣悪な条件の職場に戻らざるをえない。社会保障もなければ高コスト体質の社会だからだ。どんな賃金でもどんな条件でも、喜んで働かないといけない。労働者は「ノー」といえない。こうして労働条件全体を壊す結果となる。
貧困は「かわいそうな人」の問題ではなく「社会」の問題であることを認識すべきだ。日本の所得分布(タテが年収、ヨコが人数)は、かつてはドッジボール型だったが、現在はラグビーボール型や砂時計型となりアメリカ型に近づいている。このままいくと日本社会はどうなるかと問うと8-9割の人が不安だと答える、しかし自分が何かしても変わらないという「あきらめ」が広がっている。
こういう社会では福祉事務所すら追いつめられている。新人の生活保護ワーカーが、100件もケースを持たされ、パソコンの入力に追われ相談者にていねいに向き合う時間が少なくなっている。先輩のノウハウを後輩に伝達するルートもなくなっている。たまに昔と同じようにマジメにやっているケースワーカーがいても、そういう人は「変わった人だ」と評価されるだけで終わってしまう。
“溜め”は目に見えない。しかしケースワーカーや教師は一人一人を取り巻く条件、“溜め”を見るように努力してほしい。
解決方法を簡単に提案することはできない。しかし、あきらめず、外に吐き出せるよう、職場や家庭でやっていくしかない。結局それがいちばんの近道である。
☆会場は光源寺の本堂だった。光源寺は駒込大観音で江戸時代後期から有名な寺である。お寺なので部屋のなかには仏壇や位牌、仏画や「西方廣目天王」という貼り紙がありありがたい気分になった。文字通り「寺小屋」講義である。
近所はお寺がたくさんある寺町だが、せんべい屋さん、琴・三味線の店などが並ぶ商店街もある。森鴎外の観潮楼跡も近くにある地域だ。
本駒込の駅近くにあるせんへい屋
●憲法25条(生存権)が掘り崩されるとき、憲法9条も掘り崩される
7月にサミットの関係で札幌に行ったとき、地下鉄で自衛官募集の中吊り広告が堂々と掲出されているのを見かけ驚いた。その後、仙台、さらに東京の有楽町線や大江戸線でも見かけ、地方だけでなく全国的に防衛省が積極的な広告攻勢をかけていることを知った。
この春「若い人を紹介してほしい」ともやいを訪ねてきた募集官は「対象は18~25歳、学歴不問。陸上自衛官の任期は2年で年収300万になる。海上・航空自衛官は任期3年で年収400万、自己負担ゼロで大型特殊自動車やホームヘルパーなど就職に有利な資格を取得できることがセールスポイントだ」と言っていた。たしかに中卒で年収300万という仕事はめったにない。
サンタモニカに行ったとき、イラクに2年赴任した帰還兵に志願した理由を聞いてみた。「大義のために志願した兵士は2割、経済的理由で志願した兵士は8割」と言っていた。戦争が好きでなくても、軍に志願する若者はどんどん増える。昨年、赤木智弘氏の「希望は、戦争」(論座2007年1月号)が話題を呼んだが、若者の右傾化ととらえるより、現在の状況を変えられるものが存在しないという視点でみるべきである。憲法25条(生存権)が掘り崩されれば、結果として憲法9条が掘り崩される。
日本では、憲法25条が意識の面でも仕組みの面でも弱い。一般の人は貧困というと「アフリカやアジアの問題、あるいは日本の戦争直後の時代の問題」「かわいそうな人の問題」だと思っているので表立って議論されることが少なかった。しかしいまこそ考えるべき問題である。
●貧困に至るルート
もやいには月に100件、全国から相談が来る。6月に受けた相談を2つ紹介する(講演では全文紹介されたが概略にとどめる)。「以前勤めていた派遣会社が給与を支払わないので退職した。ハローワークで、生活が厳しいため日払いの仕事を探した。しかし仕事はあまり回ってこず、遠方で交通費を出せなかったりで手元資金が尽きた。どうしたらよいかわからずうつ状態になっている。もうすぐライフラインも止められるし今月の家賃も払えそうにない。ホームレスになるか自殺するしかないのだろうか」
このメールには貧困に陥るルートが明確に表現されている。今後の選択肢はホームレスか自殺で、「公的機関への相談」が出てこない。そもそも知らないのだろう。
もうひとつは27歳のホームレスの男性のものだ。「以前は工場への派遣社員だったがうまくいかず長続きしなかった。親とは絶縁状態でいまの持ち金は20円。頼りの免許証はいつのまにか紛失しており希望を失った。自殺も考えたが未遂に終わった。悪いことをして刑務所暮らしをするしかないのかとも考える。自分の生きる意味がまったくわからない」
この相談にも公的機関への相談が登場しない。たとえ生活保護について知っていても自分が利用するとは思っていないことが多い。「急病になれば119」と同じような生活保護の申請方法をわかっていない。
日本では10年連続3万人の自殺者が出ている。衝動が「外」(他害)に向かう人はごくまれだが「内」(自傷)に向かう人は多い。秋葉原の事件の背後には自殺者がいる。その背後には将来に展望が持てないさらに多数の層がある。高望みしても望みはかなわないと自分の気持ちにふたをする人、「自分はこのままでいいんスよ」と考える人は多い。こういう人を覇気がないと非難し「どんな境遇でも夢を捨てるな」と励ますことは、ときによっては暴力となる。
●貧困か過労死か
日本では「働ければ食べていける」という神話が流通している。しかし7月3日発表の2007年就業構造基本調査(総務省統計局)によれば、年収(所得)300万円未満が2002年に比較し2.6%増え53.1%となった。パートやアルバイトの年収300万円未満は95%、200万円未満はじつに90%に及ぶ。
では正社員なら勝ち組かというと正社員でも300万円未満が31%いる。過重労働を強いられている人もいる。就業構造基本調査の週間就業時間は2002年に比べ、60時間以上が0.8%増え30時間未満も1.7%増と二極化している。
つまり貧困か過労死かという二者選択の状況になっている。
●貧困は社会の問題だ
“溜め”とはお金、同居できる親、仕事を紹介してくれる知人など、人を包むバリアーのようなものである。お金には限らず人間的つながり、精神的ゆとりを含むことが重要だ。人間は“溜め”に包まれて生きているが、貧困に陥ると“溜め”がギュッと小さくなる。
いまの日本は“溜め”のない人を大量に生み出す社会、生きづらい社会になっている。余裕がないので、テキパキ働けない同僚が許せなくなる。一番弱い人から職場をはじかれる。しかしその職場からはじかれても、結局どこかの職場、多くの場合さらに劣悪な条件の職場に戻らざるをえない。社会保障もなければ高コスト体質の社会だからだ。どんな賃金でもどんな条件でも、喜んで働かないといけない。労働者は「ノー」といえない。こうして労働条件全体を壊す結果となる。
貧困は「かわいそうな人」の問題ではなく「社会」の問題であることを認識すべきだ。日本の所得分布(タテが年収、ヨコが人数)は、かつてはドッジボール型だったが、現在はラグビーボール型や砂時計型となりアメリカ型に近づいている。このままいくと日本社会はどうなるかと問うと8-9割の人が不安だと答える、しかし自分が何かしても変わらないという「あきらめ」が広がっている。
こういう社会では福祉事務所すら追いつめられている。新人の生活保護ワーカーが、100件もケースを持たされ、パソコンの入力に追われ相談者にていねいに向き合う時間が少なくなっている。先輩のノウハウを後輩に伝達するルートもなくなっている。たまに昔と同じようにマジメにやっているケースワーカーがいても、そういう人は「変わった人だ」と評価されるだけで終わってしまう。
“溜め”は目に見えない。しかしケースワーカーや教師は一人一人を取り巻く条件、“溜め”を見るように努力してほしい。
解決方法を簡単に提案することはできない。しかし、あきらめず、外に吐き出せるよう、職場や家庭でやっていくしかない。結局それがいちばんの近道である。
☆会場は光源寺の本堂だった。光源寺は駒込大観音で江戸時代後期から有名な寺である。お寺なので部屋のなかには仏壇や位牌、仏画や「西方廣目天王」という貼り紙がありありがたい気分になった。文字通り「寺小屋」講義である。
近所はお寺がたくさんある寺町だが、せんべい屋さん、琴・三味線の店などが並ぶ商店街もある。森鴎外の観潮楼跡も近くにある地域だ。
本駒込の駅近くにあるせんへい屋