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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

ネット右翼が跋扈する時代

2008年02月26日 | 読書
Will、正論、SAPIOなど「特定アジア」を目の敵にしている雑誌広告をよく目にする。しかし活字媒体以上に2ちゃんねるをはじめとするバーチャル世界でのアクションはすさまじいようだ。自前のブログやHPを開設しているネット右翼や、「敵」と目したサイトに数の暴力で押しかけ「チョン」「国賊」「反日」「死ね死ね死ね」などと膨大な書き込みをするネットイナゴの行動である。もちろんつくる会教科書を支持する「草の根右翼」といわれる人々のリアル世界での活動が基礎にあることはいうまでもない。
ネットを使う人は35歳以下が多いと思われるが、どうして若い世代がこういう行動に走るのか、なぜ「右翼」思想に取り付かれるのか背景がわからなかった。
ネット右翼とサブカル民主主義」(近藤瑠漫・谷崎 晃 三一書房 2007年8月)を読んだ。

この本は下記のように説明している。小泉・安倍政権のもと格差社会が進展し、社会に不満や不安をもつ「負け組」や「負けかけ組」の若者たちが大量に出現した。彼らは現実の問題からは目を背け、心の支えとして「大きな物語」や「勇ましさ」を求めた。また本能的欲望のはけ口を求めて中国・韓国・北朝鮮といった外部の敵や自分より弱い障害者や貧困者に対し、ネット上で揶揄・嘲笑・侮蔑などイジめや差別を噴出させ「祭り」や「炎上」といった行動をとるようになった。
まさにワイマール共和国下でファシズムが勃興していった状況を聞いているようだ。
その背景には、ニュースは新聞ではなくヤフーニュースでながめる時代になっており、ネットニュースは、松坂大輔のメジャーリーグ登板と国民投票法案可決を同列、等価に扱うため、政治がスペクタクル化、サブカル化していることがあると分析する。
ガンダムのキャラクターデザイナーを務めた安彦良和氏は「『なにか面白いことない?』という関心にあおられるのが、サブカルチャーの世界。そこでは行儀が悪くて、刹那的で、非日常的なものを求める。昔は「お楽しみ」にすぎなかったのに、最近は本当の政治気分を醸し出している。サブカル的政治ブームというのでしょうか」と語る。
メディアと政治」(蒲島郁夫・竹下俊郎・芹川洋一 有斐閣 2007年2月)では、1996年の小選挙区制衆議院導入を契機に、自民党の派閥の影響力が低下し国民に人気のある指導者選びへ移行した結果、小泉首相がスポーツ紙やワイドショーに露出することが多くなり小泉の「劇場政治」が始まったと解説している。
ただし「負け組」や「負けかけ組」の出現は事実だが、現実には「負け組」「負けかけ組」=ネット右翼というほどシンプルではない。同じ著者の「ネット右翼ってどんなヤツ?」(別冊宝島 2008年1月)の座談会出席者6人のうち学生3人を除く3人は、中国関係商社の営業マン、年収700万のフリーの女性で1人を除くと負けかけ組とはいえない。またわたくしの知人にネット右翼が2人いるが、(少なくとも本人の意識のうえでは)負けかけ組とはいえない。まあそういう人は「死ね死ね死ね」とまでは書き付けていないと信じたいのだが・・・。
本書のもうひとつの特色は、アニメ世代との親和性の分析である。
宇宙戦艦ヤマト(74年)機動戦士ガンダム(79年)をみて育った世代が軍事オタクとなり、ロボットがF14に変身しリン・ミンメイという美少女キャラが登場する超時空要塞マクロス(82年)により自閉の傾向を強め、新世紀エヴァンゲリオン(2005年)やガンダムの太平洋戦争版であるローレライ(2005年)「内向き」志向の軍事オタク色がきわまった。この世代が、究極の自閉ツール、インターネットを手に入れたため起こった現象という説である。
わたくしはアニメ世代ではないので、文章だけ読んでもよくわからないが、当たっているかもしれない。
著者は結論部分で、ネット右翼の跳梁跋扈に手をこまねいているだけでなく、左派の主張への共感・共鳴の輪を広げるために、2つの提案をしている。
ひとつは「同情を買うような被害者的表情を決して表にすることなく、むしろ笑いや面白ささえ感じさせる、つまりネタとして価値のある言動を工夫」することだ。例として、2007年4月30日の「自由と生存のメーデー07」、高円寺の貧乏人大反乱集団の「俺の自転車を返せデモ」や「家賃をタダにしろ一揆」を挙げる。
もうひとつは自らの論理的説得力を磨くことである。姜尚中小熊英二はネット右翼にほとんど攻撃されないそうだ。それどころか「朝まで「生」テレビ」の教科書問題の姜の発言に「生姜のやつ、頭いいなあ」と称賛の声まで飛び出したとのことだ。
本書には、左派は「ただのバカだからまともに相手をする必要もないと思いこんでいる」とあるが、むしろ接触するチャンスがないためネット右翼の存在をはっきり知らないことが大きいと思う。いまやネット右翼の存在は、とても無視できるようなものではない。別冊宝島によれば、現在こそ真正右翼に「ネットでの匿名の発言は正々堂々としていない」と相手にされていないようだが、遠くない将来、共闘することは明らかである。この点で2つの提案は大いに参考になる。
たとえば昨年の都知事選でみられた街頭パフォーマンスや「これでもか!?笑って読み解く大共謀集会」はその端緒となるものかもしれない。着ぐるみやダンスのパフォーマンスも有効だろう。ただし「デモ」を「パレード」と言い換える程度ではダメだろう。本書では、貧乏人大反乱集団にしても「連帯行動やデモ行進は『生臭さ』を拭いきれない」と批判している。

☆別冊宝島のコラムには、ネット右翼のスター、都知事選に立候補した外山恒一や右翼芸人の鳥肌実が登場する。
鳥肌実は見たことがないが、外山恒一より往年の大スター深作清次郎の華麗なる手のアクションや詩吟のほうが迫力があった。


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