15:30
淡路文化資料館でもらった資料を元に廃線跡をたどる旅のスタート!
まずは、今はバスの、車庫になっている場所で撮影

壁が邪魔で上手く撮れなかったが、確かにこの写真のようなホーム跡と屋根は残っていた

ブラタモリだっただろうか?
よく、電柱に古い地名が残っているというが、確かに
「駅前」という地名が刻まれている

電柱に番地があるのを以前は知らなかったが、古き時代を知るには便利なのだ!

さすがに建物の中は入れないので、残念。
この入口の先にホーム跡があります

右側の中央分離帯のようになっている所が、廃線跡のようです。
路面電車の電停に近いかも。
写真を見ると一両編成だし、路面電車に近かったのかなぁ?

この道も廃線跡のようです。

電柱の住所が地図の示す住所に近いかも

この交差点辺りに駅があったようです

見つけました!
ここが駅の跡です!
この土塁の幅と平らなところと、桜!
まさに駅があったことを証明している!!

峠越えの探索経験のおかげで、すっかり峠のスイッチバックや廃線駅の見つけ方をマスターしてしまっている自分が怖い(笑)
英才教育を受けただけある
http://rail.hobidas.com/blog/natori/sp/archives/2013/10/17_11.html

本当に見るからに駅があったなぁと思うのは自分だけか?

ちょうど、ゴミだしに出てきた老夫婦に聞いたら、やはり昔、ここに駅があったそうだ。

この、トラックの辺りに転車台もあったそうだ。
昔に想いを馳せて、感慨深い

そして、そのご夫婦にもう一つの廃線名所の場所も教えてもらった。
ラッキー♪
やはり、人との出会いは大切だ。
私なんてそれだけで、生きてこれたようなもの。
ありがたや。


この先はどんな感じに線路は繋がっていたのどろうか?


これを読んでくれた人が廃線跡を見つけられるよう、道路からの風景も撮影。
桜が目印です

この傾斜が鉄道の土塁ぽい

どんな風に電車は走っていたのだろうか?

春は桜が綺麗な駅だったんだうなぁ。
廃線になって50年だから、この桜は樹齢50年以上で、ずっとこの風景を見守ってきたのだろうなぁ。

全体の風景です。
見つけられるかな?

16:25
もう一つ見つけたかった廃線跡。
橋梁の跡です!

先程の駅の跡であった老夫婦に教えていただけたおかげで、見つけられました
やはり、橋梁の土台を見つけると感動はひときわ大きい!!

角度が難しくて、なかなか両側を一緒に上手く撮れません(T∀T)

ちょうど、この橋梁の現在の持ち主?のおばさんが庭の掃除をしていて、声をかけたら庭に入って見てもいいと言ってくれたので、お言葉に甘えて撮影
超ラッキーである

橋梁の上に家が建っており、不思議な感じ
その先はこの道に続くのか?

小さな小川のような川だけど、こんな立派な橋梁で越えて行ったのだなぁ
それにしても、家を建てた時によく残したなあ

親切なおばさんは「年に何人か、マニアな方が見に来るのよ」と言っていた。
「でも、女性は初めてねぇ」とも。
それは、そうであろう。。。

こんな感じの場所です

駅の跡で老夫婦に教えてもらわなかったら!絶対に見つけられなかった。
道路からはわからいなぁ

橋梁跡の入口付近の電柱番号

この家と家の隙間を抜けていくと橋梁跡があります。
女性ならともかく、怪しいオタクだと完全に不審者と思われることでしょう…

訪ねる場合は、この風景を目印に!
16:33
橋梁を見つけられて大満足で、退却

16:45
次は、もっと大きな川に架かる橋梁跡
ここだと思うのだが、草が生い茂っていて分かりにくい。

やはり、夏より冬などの枯れた時期が廃線跡を辿るには適していると、教えられたがその通りである。

それにしても、宝探しをするような感じで楽しい時間であった!
これは、資料館でもらった廃線跡の資料
バスの車庫になっているのは旧洲本駅のようです。



二本松駅は交差点名で残っていた

桜が残っていたのは
広田駅
橋梁の橋台跡は
納~広田間

この住宅は現在も残っています

広田~長田間のこの巨大な橋台はみつけられませんでした…(T∀T)

桜のある広田駅は今も面影が残る


掃守~おのころ島間の相成川岸の橋台は、最後に撮った写真の場所のような気がするが、草が多くて、古いのか?新しいのか?見極めがつかない…







洲本から福良までの路線図

昭和12年の立体路線図

淡路鉄道の歴史と路線図

大正11年(1922年)に淡路鉄道の歴史は始まったようだ

1966年9月30日に島民に惜しまれながら、その幕をとじた

現代の地図と路線図を照らし合わせた図。
路線図は手書きの赤の部分

だいぶ幹線道路から外れている部分もある


この探索をした時は携帯が古くて覚束なかったのですが、こんな素晴らしいサイトを後から見つけました。
ご参考に
▼廃線探索 淡路鉄道
http://www.hotetu.net/haisen/Kansai/130120awajitetudou.html
▼
http://pyoco3.c.ooco.jp/kansai/awazi/awazi.html
淡路文化資料館でもらった資料を元に廃線跡をたどる旅のスタート!
まずは、今はバスの、車庫になっている場所で撮影

壁が邪魔で上手く撮れなかったが、確かにこの写真のようなホーム跡と屋根は残っていた

ブラタモリだっただろうか?
よく、電柱に古い地名が残っているというが、確かに
「駅前」という地名が刻まれている

電柱に番地があるのを以前は知らなかったが、古き時代を知るには便利なのだ!

さすがに建物の中は入れないので、残念。
この入口の先にホーム跡があります

右側の中央分離帯のようになっている所が、廃線跡のようです。
路面電車の電停に近いかも。
写真を見ると一両編成だし、路面電車に近かったのかなぁ?

この道も廃線跡のようです。

電柱の住所が地図の示す住所に近いかも

この交差点辺りに駅があったようです

見つけました!
ここが駅の跡です!
この土塁の幅と平らなところと、桜!
まさに駅があったことを証明している!!

峠越えの探索経験のおかげで、すっかり峠のスイッチバックや廃線駅の見つけ方をマスターしてしまっている自分が怖い(笑)
英才教育を受けただけある
http://rail.hobidas.com/blog/natori/sp/archives/2013/10/17_11.html

本当に見るからに駅があったなぁと思うのは自分だけか?

ちょうど、ゴミだしに出てきた老夫婦に聞いたら、やはり昔、ここに駅があったそうだ。

この、トラックの辺りに転車台もあったそうだ。
昔に想いを馳せて、感慨深い

そして、そのご夫婦にもう一つの廃線名所の場所も教えてもらった。
ラッキー♪
やはり、人との出会いは大切だ。
私なんてそれだけで、生きてこれたようなもの。
ありがたや。


この先はどんな感じに線路は繋がっていたのどろうか?


これを読んでくれた人が廃線跡を見つけられるよう、道路からの風景も撮影。
桜が目印です

この傾斜が鉄道の土塁ぽい

どんな風に電車は走っていたのだろうか?

春は桜が綺麗な駅だったんだうなぁ。
廃線になって50年だから、この桜は樹齢50年以上で、ずっとこの風景を見守ってきたのだろうなぁ。

全体の風景です。
見つけられるかな?

16:25
もう一つ見つけたかった廃線跡。
橋梁の跡です!

先程の駅の跡であった老夫婦に教えていただけたおかげで、見つけられました
やはり、橋梁の土台を見つけると感動はひときわ大きい!!

角度が難しくて、なかなか両側を一緒に上手く撮れません(T∀T)

ちょうど、この橋梁の現在の持ち主?のおばさんが庭の掃除をしていて、声をかけたら庭に入って見てもいいと言ってくれたので、お言葉に甘えて撮影
超ラッキーである

橋梁の上に家が建っており、不思議な感じ
その先はこの道に続くのか?

小さな小川のような川だけど、こんな立派な橋梁で越えて行ったのだなぁ
それにしても、家を建てた時によく残したなあ

親切なおばさんは「年に何人か、マニアな方が見に来るのよ」と言っていた。
「でも、女性は初めてねぇ」とも。
それは、そうであろう。。。

こんな感じの場所です

駅の跡で老夫婦に教えてもらわなかったら!絶対に見つけられなかった。
道路からはわからいなぁ

橋梁跡の入口付近の電柱番号

この家と家の隙間を抜けていくと橋梁跡があります。
女性ならともかく、怪しいオタクだと完全に不審者と思われることでしょう…

訪ねる場合は、この風景を目印に!
16:33
橋梁を見つけられて大満足で、退却

16:45
次は、もっと大きな川に架かる橋梁跡
ここだと思うのだが、草が生い茂っていて分かりにくい。

やはり、夏より冬などの枯れた時期が廃線跡を辿るには適していると、教えられたがその通りである。

それにしても、宝探しをするような感じで楽しい時間であった!
これは、資料館でもらった廃線跡の資料
バスの車庫になっているのは旧洲本駅のようです。



二本松駅は交差点名で残っていた

桜が残っていたのは
広田駅
橋梁の橋台跡は
納~広田間

この住宅は現在も残っています

広田~長田間のこの巨大な橋台はみつけられませんでした…(T∀T)

桜のある広田駅は今も面影が残る


掃守~おのころ島間の相成川岸の橋台は、最後に撮った写真の場所のような気がするが、草が多くて、古いのか?新しいのか?見極めがつかない…







洲本から福良までの路線図

昭和12年の立体路線図

淡路鉄道の歴史と路線図

大正11年(1922年)に淡路鉄道の歴史は始まったようだ

1966年9月30日に島民に惜しまれながら、その幕をとじた

現代の地図と路線図を照らし合わせた図。
路線図は手書きの赤の部分

だいぶ幹線道路から外れている部分もある


この探索をした時は携帯が古くて覚束なかったのですが、こんな素晴らしいサイトを後から見つけました。
ご参考に
▼廃線探索 淡路鉄道
http://www.hotetu.net/haisen/Kansai/130120awajitetudou.html
▼
http://pyoco3.c.ooco.jp/kansai/awazi/awazi.html