広報邂逅記

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ブログ241108 母と娘の上高地旅~三日目(上高地2日目)河童橋に到着!

2025-02-13 20:56:25 | 食べ物
午後は、FIVE SENSEの明神池ツアーに参加。
河童橋前の五千尺ホテルからの出発です。



12:03
母との遅い夏休み?な三泊四日の安曇野・上高地旅行。上高地2日目にして、憧れの河童橋が見えてきました!



宿泊している上高地温泉ホテルからは、写真を撮ったりしながらのんびり歩いたので、30分くらいでした。



12:05
河童橋の真ん中でご満悦の母




土曜日なので混雑しているかと思いましたが、意外に人は少なかったです。






橋の入口はこんな感じです



思ったより人が少なかったので、橋の上でも写真が撮れました!


橋の上からの穂高連峰です。
空が青すぎます!!!



実はまさにこの景色、会社のLunchROOMに飾られている絵画と全く同じで、東京に戻って気付きました。
現地に行ったからこそ分かる景色ですね!
ビックリです。
誰が描いた絵なんだろうか?



一昨日、穂高連峰に雪が降ってくれたおかげで、上高地らしい景色がおがめました!





河童橋の上で記念撮影
空いてて良かった



河童橋を五千尺ホテル側から上高地ホテル白樺荘を撮った写真です



五代目の河童橋は、カラ松製だそうです。
袂は階段になっています。
川底が土砂で上がってしまっため(河床上昇)、高さを上げているとの話しでした。




母が嬉しそうに河童橋から手を振っていますw







河童橋は人工物でありながら、その姿は大自然と融合し上高地に欠かせない風格のある存在となっています。
最初の橋はいつ頃架けられたのか定かではありません。河童橋はかつて梓川の両岸から木材をせり出すように架けられた跳ね橋でしたが、明治43年(1910)に吊り橋となりました。老朽化に伴いその後、昭和5年(1930)、昭和32年(1957)、昭和50年(1975)と架け替えられています。現在の橋は平成9年(1997)に架け替えられた5代目の吊り橋だそうです。

https://www.kamikochi.or.jp/learn/spots/1319/



母子で記念撮影です
母の念願が叶って良かったです。



焼岳をバックバックにした写真も撮ってもらいました。





河童橋と穂高連峰、旅番組とかでよく見かける景色ですね。



五千尺ホテルです。
此処の1階右手にFIVE SENSEがあります。



河童橋の案内看板。
上高地のシンボルとなっているのが、河童橋です。
明治43(1910)年に、それまでのはね橋からつり橋に架け替えられました。
当時のつり橋には欄干がなく、基礎は丸太で固定しただけのものでした。
現在の河童橋は、平成9(1997)年に架け替えられた五代目です。
日本を代表する文豪の一人である芥川龍之介は、昭和2(1927)年に上高地と河童橋を舞台とした小説「河童」を発表し、河童橋の名が広く知られるようになりました。

















河童橋と梓川の河床上昇
https://gaun-yoshinao.com/%E4%B8%8A%E9%AB%98%E5%9C%B0%E3%81%AE%E5%9C%9F%E7%A0%82%E6%B5%81%E5%87%BA%E3%81%A8%E6%B2%B3%E5%BA%8A%E4%B8%8A%E6%98%87%E3%81%AE%E7%8F%BE%E5%A0%B4%E3%82%92%E8%A6%96%E5%AF%9F/
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