◎放射性物質と日本人の行方
(2011-03-31)
唐代の禅マスター趙州に対して、弟子が問うには、
「至道無難唯嫌揀択。わずかに言語あれば是れ揀択。(至道は難しいことはなく、ただ選り好みをしないだけだ。しかし言葉で表現した途端に、それは選り好みだ。)だそうですが、師匠はそれをどのように人に表現されますか。」
趙州は、
「どうして古人の言葉を、(冒頭だけでなく)全部引用しないのだ。」
弟子
「私は、ここまでしか言えません」
趙州は、
「それこそが、至道無難唯嫌揀択(至道は難しいことはなく、ただ選り好みをしないだけだ)である。」
放射性物質の入った空気を呼吸することについて、私は選り好みできない。放射性物質入りの水道水を飲むことについて、私は選り好みできない。放射性物質のちりが入った雨に濡れることについて私は選り好みできない。
長期的に見て、多くの日本人が、こうしたことをきっかけに国を出ることになっても不思議はない。最近の英語ブームは、今までのそれとは違っているように感じるし、パナソニックなどの新卒採用がグローバル採用になったことなどともシンクロしている。
日本人は海外に出て行くことを、このようにじわじわと内外から催促されているように感じるのだが、『勤勉、熱心、平均学力が高い』というだけの特長でもって世界に日本人が歓迎されるとも思えない。
日本人全体に冥想の習慣が広がり、冥想の多くのバリエーションの手ほどきができる程度に冥想に熟練するというようなことがあってはじめて、今後の混乱の海外に出て行って、そこで日本人が歓迎されるのではないだろうか。日本が海外にODAなどでばらまく金が尽きようとする今、その思いは変わっていない。