◎神的原人間という響き
カバラ本を手に取ると16世紀のカバリスト、ルーリアに言及しない本はまずない。ユダヤ教の冥想と言えばハシディズムだが、ルーリアは、ハシディズムに大きな影響を与え、ゾーハルの読み方にも大きな影響を与えた。ルーリアの方法は、神の側からスタートして個人間に至る古代秘教タイプ。よって原人アダムカドモンは最後の方に登場するのだが、「アダムカドモンの両眼から光線が出て云々」などと非常に誤解を招きそうなところもある。だが、箱崎総一氏の以下の説明では、アダムカドモンとは「セフィロトよりエン・ソフ (Ein-Sof 無窮なるもの)へと移行する媒介体」という仏教の三身に近い考え方をとっているように思う。
『カバラ思想家ルーリアによってアダム・カドモンはカバラ思想における中軸概念となった。ルーリアによればアダム・カドモンは単なるセフィロト(Sefirot 原質)の凝縮によって顕示された存在ではなく、セフィロトよりエン・ソフ (Ein-Sof 無窮なるもの)へと移行する媒介体としての意味をもつことになる。ルーリアによれば、エン・ソフがセフィロトの内に顕示されるという概念は廃棄すべきものとされた。』
(カバラ ユダヤ神秘思想の系譜 箱崎 総一/著 青土社P 391-398から引用)
※ルーリア:(1534年 - 1572年)イスラエルのユダヤ教神秘主義者。著作はないが後世のカバラ解釈に大きな影響を与えた。言行録の端々に本物らしい香気はある。
またルーリアは、おおまかに言えば、世界全体であるセフィロトと無窮なるエン・ソフの関係を、無窮なるエン・ソフが縮小して世界を作り始めたというように書いている。
ところが、インドでは、世界全体なるアートマンと無窮なるブラフマンの関係については、何も書かず併記するのが作法みたいになっている。そのことからすると、ルーリアはやや頑張りすぎかもしれないなどと感じるところがある。
『ルーリアが壊れた世界を神的身体の内部に描く自らの見解に達したのは、ようやく最晩年になってのことである。傷ついた身体としての壊れた世界の描写は、彼がメシアとして期待した自らの息子の死(彼はルーリア自身の突然の死に先立って死んだ)のあとに生まれた。
神的身体はアーダーム・カドモーン、原人間(アントロポス)である。原人間はアツィールートすなわち流出した世界の最高点に立つ。アーダーム・カドモーンはセフィーロートとパルツーフィームを含んでいる。すでに『ゾーハル』において、アーダーム・カドモーンは神、宇宙、トーラーの比喩となっていた。さらにそこには神殿とその犠牲祭儀の連想もあった。『ゾーハル』の後期の層は、この原人間の教説を、人類の現在のジレンマに対する応答と捉えていた。神的原人間を人間的モデルに投影することによって、神的存在との相互作用が可能になる。特定の儀礼を行うことで、宇宙の傷ついた身体の変容と修復が開始される。』
(カバラー/ピンカス・ギラー/講談社選書メチエP124から引用)
※パルツーフィーム:「顔」。そのおのおのが神の様相の一つを表すと同時に、修復作業におけるひとつの瞬間を表す。(カバラ 文庫クセジュ ロラン・ゲッチェル/著 白水社P154)
次の引用文では、無限がエンソフを指す。
『「無限」から注がれる新たな直線の光は、混沌に秩序を与えることができる。ゆえに「残滓」が散らばる神の隙間には光が降り注ぎ、そこにはさまざまな構造体が出現する。創造のために
用意された「清浄空間」には、まず「原初の人間」 (Adam Qadmonアダム・カドモーン)が現れる。これはエデンの園で最初に創造された人間そのものではなく、カバラーの創造論で語られる神の似姿、あるいは神と人間の中間的存在である。ゆえにそれは一方で神の不完全な模写であり、他方ですべての被造物の霊魂を包摂する人間の巨大な原像である。』
(総説カバラー 山本伸一/著 原書房P223から引用)
テクニカル・タームが多くて読みにくいかもしれないが、カバリスト達は、神的原人間を世界の創造以前に遡って存在していたと見た。冥想修行の結果それを確認する段階があるのである。
彼らはそれを神の発出の側から見ていったわけだ。