アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

空と不空

2023-01-11 20:20:54 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎あらゆる生死と涅槃

 

達磨の二入四行論から

『心は物ではないけれども、物でないということは、空であることではない。

心は物と心の立場を超えるが、虚空と同じでもない。ボサツははっきりと空と不空を認めるが、小乗は空を認めても不空を認めず、声聞は空に達しても不空に達しない』

(達磨の語録/柳田聖山/筑摩書房P254から引用)

 

更に吉蔵の三論玄義に

『小乗はただ空を究明するだけで、いまだ不空を知らず、大乗は空を究明するとともに不空を心得ている。それで『涅槃経』にいう、<仏弟子たちはただ空を知って不空を知らぬ、智者は空と不空をともに語っている。空とは、あらゆる生死についていい、不空とは涅槃についていう>』

(達磨の語録/柳田聖山/筑摩書房P256から引用)

 

世の中のできごとの変遷、諸行無常なることは、空である。空まで達するとは、不条理を目の当たりにし思い知って、第六身体アートマンなる宇宙全体と一体となることである。ここで個人は全体となったのだから、救いと言えば救いである。

 

そこで不空がある。不空とは第七身体ニルヴァーナだが、それは第六身体と同様に人間の立場ではない。人間という立場には、救いがないことが明らかになっているので、その救いとは、人間である自分に都合のよい救いではないだろう。だから不空が救いであるという立場は、とても説明がむずかしい。

 

ボサツは、少なくとも見性した人だが、ボサツは空も不空をはっきり承知しているとあるので、ニルヴァーナを見た人ということになる。そうすると『空まで行ける人』というのは、見性、見神は通過し、宇宙と合一することでこの世の仕組みを見切ることはできるが、そこをまだ超えてはいない立場ということになる。

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パーフォーマー利休

2023-01-11 20:02:22 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎花入れに水だけ入れて飾る

 

永禄10年、利休は、東大寺大仏炎上といった乱を避けて堺にあった蜂屋紹左、大和屋正通、松屋久政の三名を自室に招待し、紫銅無紋の「ノハシ」花入れに水ばかり入れて飾った。

 

師匠北向道陳の勧めで、利休は武野紹鴎に入門しようとし、庭の掃除を命ぜられた。利休は庭をきれいに掃き清めた後、わざわざ葉を落としてみせた。この様を見て武野紹鴎は入門を許した。

 

堺に火事があって、利休宅が類焼した。武野紹鴎がこれを見舞ってみると、焼けた地面の灰をかき払い、破れ瓦など取り集め飛び石にしつらえて、早茶の湯の心がけがあったという。

 

これらパフォーマンスは禅機というようなもので、禅特有の一対一の一瞬の油断も許さない機鋒が見て取れる。要するに師匠武野紹鴎や招待客と弟子千利休の間で真剣な禅問答を交わしているようなものである。

 

こうしたパフォーマンスは、即興芸術としては一流のものだと思う。しかしながら武野紹鴎も千利休も悟ってなかったみたいので、芸術作品としては一流だが、求道者としては完成を見なかったというコメントになろう。

 

茶の湯という芸道者トップが、名物への目利きに執着して見せるなどは、真相を知らない者に物欲を掻き立てるだけであって、涅槃を求める者にとっては邪魔であるはず。当時は領地などの恩賞のかわりに名物を出していたという事情もあり、邪道ながら食うためにはやむを得なかったかもしれない。

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冷え、凍み、寂び、侘び

2023-01-11 19:55:05 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎恋、秘すれば花

 

日本の芸道は、その一片の恋心なくしては始まらなかった。その恋心を秘すれば花に変ずる。

 

室町時代のポップ・カルチャーである能・連歌・茶の湯のでは、定家の言う「情」(恋心)を秘する道具立てとして、「冷え」「凍(し)み」「寂(さ)び」「侘び」を盛んに用いた。

 

情(恋心)を引き立たせる背景として、あるいは補色として「冷え」「凍み」「寂(さ)び」「侘び」を盛んに用いたのである。

 

冷え、凍み、寂び、侘びと言えば、この情緒を端的に示しているようなのは、中国の禅僧趙州十二時の歌である。

 

趙州十二時の歌の生活は、世間的にはワーキング・プアやノン・ワーキングプアとしか言いようがないが、そこに花たる正念・リアリティを見なければならないのである。枯木寒巌に倚る三冬暖気なしの風情にあって、陽光を感じとらねばならないのである。

 

またこの辺の消息は、ダンテス・ダイジの石ころの心から暖かいものが流れだす風情からも感得することができる。冷え、凍み、寂び、侘びが石ころの心の風景なのである。

 

これを世阿弥は花鏡の中で「さびさびとしたる中に、何とやらん感心のある所あり」と解説する。世阿弥が、石ころの心に出会ったのか、あるいは一体となったかはわからないが、世阿弥は、それを直観したのである。

 

こうした室町芸能の源流が夢窓国師から出ていることに、夢窓国師の見かけ以上の偉大さに改めて感じ入る。

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村田珠光の印可のあかし

2023-01-11 19:50:59 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎圜悟禅師の墨跡

 

茶道の山上宗二記に、『円悟禅師の墨蹟 堺、いせや道和所持。右一軸は、昔、珠光、一休和尚より申し請けられ、墨蹟の懸け始めなり。』とあり、村田珠光の印可(悟りの証明)の証拠として一休より村田珠光に与えられたという。

 

円悟禅師とは、臨済宗の圜悟克勤禅師(1063~1135)のことで、碧巌録の編者。

 

室町時代の茶道では、唐絵を茶席に掛けるのが多かったが、村田珠光が茶室に圜悟の墨跡を掛けて茶会を催したのが墨跡を茶席に掛ける始まりとなって、以後武野紹鴎も古筆を掛けたなどとされる。

 

村田珠光の文書は、彼の高弟であった古市播磨宛の手紙である『心の文』くらいしか残っていないので大方は伝承である。

 

それにしても自分宛の印可状を焼いた一休が印可を出すのは良いとして、その一休に印可されたほどの男、村田珠光が、いわばこれみよがしに我が印可状たる圜悟禅師の墨蹟を茶室に掛けて茶をいただくというようなことができるものだろうか。そもそも客に見せるようなものなのだろうか。

 

師一休からの大恩の証ではあるだろうが、そういう印可の証は秘するのがゆかしい作法であり、かたや自分では墨跡一枚に何の価値もないことをもよく承知している。そんな村田珠光の心中を推し量れば、その仕方はおよそ侘び、寂び、凍み、枯れなどからは遠いように思える。

 

なお圜悟禅師の墨跡は、村田珠光のそれではないが、東京国立博物館にある由。

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十牛図-12

2023-01-11 03:01:42 | 十牛図

◎第十入鄽垂手(にってんすいしゅ)

【大意】
『序

ひっそりと柴の戸を閉ざしていて、どんな聖者も、その庵の内を知ることはできぬ。自己の風光を隠すとともに、昔の祖師 (達磨大師など)の歩いた道をゆくことをも拒んでいる。徳利をぶらさげて町に行き、杖をついて家に還るだけだが、それだけでもって酒屋や魚屋たちを感化して成仏させる。


彼は胸をはだけ、裸足で町にやって来る。砂土にまみれ、泥をかぶりながら、顔じゅうを口のようにして笑う。
神仙の超能力(真の秘訣)を用いず、ただ枯れ木に花を咲かせる。』
※ただ枯れ木に花を咲かせる:枯れ木に花を咲かせれば、成道する(達磨が西から中国にやって来る)。枯れ木に花を咲かせるのは超能力だが、枯れ木は枯れ木のままで何も問題などない。

牛飼いは、第八人牛倶忘で、即身成仏した。そのまま亡くなってもよかったが、敢えて復活して生きる道を選んだ。だが、彼は密教者のように超能力・霊能力は用いない。

ただ存在しているだけで、町をよくする聖者の姿がここにある。彼は、酒屋や魚屋たちが仏であることを知っているのだ。彼の聖なるバイブレーションが枯れ木に花を咲かせるように、かつて不可能であったことを可能にする不可思議な流れを作り出す。

人間は悟りを開いて、仏(空、神、絶対無)を知らなければ、真の意味で、生きている価値を見いだすことはない。また悟りを開いて、衆善奉行諸悪莫作(善いことをする悪いことをしない)を生きる人も、外形は単なる社会的不適応者が一人いるだけに見えるかもしれないが、その人がいるだけで周辺にも世界全体にも好影響を与えることができる。

そして冥想により、あらゆる因縁を見切って解脱した覚者にとっても、自分のことは二の次で、他の人々のためになることばかりする生き方しかできないことは、人間の感情としては、とても苦しいシーンがあるものだと思う。覚者は当然感受性がオープンになっているし、社会の矛盾からくるあらゆる問題とその痛みが良くわかるので、なおさらである。

ただ、人間は本当はその境遇のみじめさだけではないという実感、つまり神がその人を生きているという実感があるからこそ、その苦しさを堪えられるものだと思う。
そこに第十入鄽垂手の覚者から見たむずかしさがあるように思えてならない。その二重の世界観は、人間として正視すべきものだと思う。

それはまた、いつまでもそんな社会であっていいのかという疑問や、そんな社会がいつまでも続くのかという疑問になっていく。弥勒菩薩出現の前夜。

【訓読】
『第十 入鄽垂手
(鄽(まち)に入って手を垂る)
 序の十

柴門独り掩(おお)って、千聖も知らず、
自己の風光を埋(うず)めて、前賢の途轍(とてつ)に負(そむ)く。
瓢(ひさご)を提げて市(まち)に入り、杖を策(ひ)いて家に還る、
酒肆(しゅし)魚行、化して成仏せしむ。


胸を露(あら)わし足を跣(はだし)にして鄽(まち)に入り来たる、
土を抹(な)で灰を塗り、笑い腮(あぎと)に満つ。
神仙の真の秘訣を用いず、直(た)だ枯木をして花を放って開かしむ。』

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