アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

出口王仁三郎の生き返り

2023-01-25 17:04:32 | クンダリーニ・ヨーガneo

◎クンダリーニ・ヨーギは六度死ぬ

(2007-03-01)

 

このブログの基本的主張のひとつとして、クンダリーニ・ヨーガの道を選んだ人ならば、死の世界を極めれば、人は絶対に悪いことをしなくなるというものがある。

 

明治から昭和にかけての偉大な古神道家(クンダリーニ・ヨーギ)、出口王仁三郎は、五、六度死の世界に入っていると告白している。そして、生きているうちに死後の世界がわかると何が善で何が悪かわかる(五倫五常)とも言っているので、その主張しているところは同じである。

 

生きながら死の世界に入るという意識の極限状態を経ないと、本当の愛、本当の善などわかるものではないのである。だから宗教教義の教育習得だけで、愛と善に生きることなど決して出来はしないとも言うことができる。

 

『私は五六度死んだことがあるが、生きかへつてから後も二週間くらゐはひどく疲労れたものである。元来生の執着は神様より与へられたものであつて、結構なことである。三十才の生命を神様より与へられてをる人が十五才にして自殺したとすると、十五年の間霊は迷うてゐるのである。

 

しかのみならず霊界へ行けば総てが決まつてしまふから、人は現界にある内に十分働かして貰はねばならぬ。人生の目的は地上に天国をひらくためであるから、魂を汚さんやうにすることが一番大切なことである。刀身がゆがむと元のさやに納まらないごとく、魂が汚れゆがむと元の天国にはをさまらぬ。

 

人間に取つて一番大切なことは何といつても生きてゐるうちに死後の存在を確かめておくことである。死後の世界が分かると五倫五常が自然に行へる。倫常を破るといふことは自分の損になることがハツキリ分かるからである。

 

人間は死後の世界を研究してから仕事をするがよい。私は人生問題になやんであるときは爆弾を抱いて死んでやろうかとさへ思つたことがある。神様の御恵みによつて何もかも知らして頂いて歓喜に満ちた生活に入ることが出来たのであるが、当時の悩み悶へ、苦しみ、幾度か死を考へたことほどそれが痛切であつたのである。』

(水鏡/難き現界/出口王仁三郎から引用)

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吉岡発言

2023-01-25 17:00:21 | 古神道の手振りneo

◎神は(人に)持ちきりにさせない

(2013-01-21)

 

吉岡発言とは昭和20年12月、鳥取県吉岡温泉での出口王仁三郎談話で、重大なエポックとなるものである。

 

『新しい世をひらく

 

自分は支那事変前から第二次世界大戦の終わるまで、囚われの身となり、綾部の本部をはじめ全国四千にのぼった教会を、全部叩き壊されてしまった。しかし信徒は教義を信じつづけて来たので、すでに大本教は、再建せずして再建されている。ただこれまでのような大きな教会は、どこにもたてない考えだ。

 

治安維持法違反は無罪となったが、執行猶予となった不敬罪は実につまらぬことで、「御光は昔も今も変わらぬが、大内山にかかる黒雲」という、浜口内閣時代の暴政をうたったものを持ち出し、「これはお前が天皇になるつもりで、信者を煽動した不敬の歌だ」といい出し、「黒雲とは浜口内閣のことだ」といったが、どうしても通らなかった。

 

自分はただ全宇宙の統一和平を願うばかりだ。日本の今日あることはすでに幾回も予言したが、そのため弾圧をうけた。「火の雨が降るぞよ、火の雨が降るぞよ」のお告げも、実際となって日本は敗けた。

 

これからは神道の考え方が変わってくるだろう。国教としての神道がやかましくいわれているが、これは今までの解釈が間違っていたもので、民主主義でも神に変わりがあるわけはない。ただほんとうの存在を忘れ、自分の都合のよい神社を偶像化して、これを国民に無理に崇拝させたことが、日本を誤らせた。殊に日本の官国幣社の祭神が神様でなく、唯の人間を祀っていることが間違いの根本だった。

 

しかし大和民族は、絶対に亡びるものではない。日本敗戦の苦しみはこれからで、年毎に困難が加わり、寅年の昭和二十五年までは駄目だ。

 

いま日本は軍備はすっかりなくなったが、これは世界平和の先駆者として、尊い使命が含まれている、本当の世界平和は、全世界の軍備が撤廃したときにはじめて実現され、いまその時代が近づきつつある。』

(大阪朝日新聞昭和20年12月30日付)

 

「火の雨が降るぞよ」も、実は型出しに過ぎなかったことは、実は後に明かされている。

 

「官国幣社の祭神が神様でなく唯の人間だったこと」は、いろいろと差し障りがあるせいか、世間できちんと評価されてはいない。私はクンダリーニ・ヨーギではないので、その辺のパワー・バランスのことはよくわからないが、そういう神社が広く国民の崇敬を受けるようなことがあれば、反作用は、ろくなことにならないだろうことは察しがつく。

そういうのは神道だけのことでもないし。

 

何が正しくて何が邪かわからない人ばかりの国を、「神は、(人に)持ちきりにさせない」ということなのだろう。

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聖徳太子未来記と出口王仁三郎-1

2023-01-25 16:56:38 | 時代のおわりneo

◎国を挙げて大祓

(2014-10-05)

 

出口王仁三郎は、あれだけ膨大な文書を残しているわりに聖徳太子への言及は少ない。聖徳太子は聖徳太子で、仏教を日本に入れるために神代文字を廃絶せしめたとか、結局一族皆殺しになったのにはそれ相応の行状があったに違いないとか、ネガティブ・キャンペーンがかまびすしい。

 

私は、中国の禅者南嶽慧思が聖徳太子として日本へ転生してきたという伝説もあり、聖徳太子善玉説である。出口王仁三郎も当然聖徳太子善玉説であり、以下のような出口王仁三郎の文章を見ると、日本国激動の時代に宗教者として出現して、日本の水先案内の大役を務めたという点で、出口王仁三郎と聖徳太子の共通点を感じる

 

この文章は、彼の主著霊界物語全81巻の外に別巻として出された入蒙記の一節である。

出口王仁三郎はこの入蒙で明らかに次代への布石を打とうとしていた。

 

冒頭の「東魚来つて西海を呑む。日西天に没すること三百七十余日、西鳥来りて東魚を喰む。」が聖徳太子未来記の一節で、太平記に表れ、各時代の賢哲がその意味に首をひねってきたもの。日出雄は出口王仁三郎のこと。

 

『第七章 奉天の夕

 

 東魚来つて西海を呑む。日西天に没すること三百七十余日、西鳥来りて東魚を喰む。

 右の言葉は、聖徳太子の当初百王治天の安危を鑒考されて我が日本一州の未来記を書きおかれたのだと称せられ、我国古来聖哲が千古の疑問として此解決に苦みて居たのである。日出雄は右の言葉に対し、我国家の前途に横たはれる或物を認めて、之が対応策を講ぜねばならぬことを深く慮つた。

 

 彼は真澄別と唯二人、二月十三日午前三時二十八分聖地発列車上の人となつた。駅に見送るものは湯浅研三、奥村某の二人のみであつた。いつも彼が旅行には大本の役員信徒数十人或は数百人の送り迎へのあるのを常として居た。然るに此日は唯二人の信徒に送られて行つた事は、此計画の暫時他に漏れむ事を躊躇したからであらう。』

(霊界物語 別巻 入蒙記から)

 

恐らくこの文だけでは、解決の方向性を定めることは難しいが、古事記の以下の部分が関連あるものと思われる。

【古事記仲哀天皇の段には、仲哀天皇が皇后を依代として神託を求めたところ『金銀本位制度の西洋諸国があるが、その国を自分の国にしてしまうべし』と出た。天皇は、その西洋諸国を見てみたが、水没して海しか見えないので、黙ってしばらく何もしないでいた。

 

すると神託の神が怒って『この天下はあなたが統治すべきではないので、一道に向かえ』と命じた。

 

すると武内宿祢が『恐れ多い事です。お琴を弾きなさいませ』と促すと、天皇は、なまなまに琴を弾いていたが、まもなくトランスに入ったのか琴が聞こえなくなった。誰にも知られぬうちに闇の中での天皇崩御となったので、国を挙げて大祓を行い再び神託を求めたところ、『西欧諸国は皇后の腹中の長男が治めることになる。だがそのためには、渡って行く者たちはことごとく神を知っている者たちでなければならない』と。】

 

古事記の時代から西方諸国は金銀以本の国であったことは知られていたと見える。西洋は水で滅ぶとも言われていること。

 

さて一つの見方としては、

太古、仲哀天皇は、西方諸国をその御稜威で、臣服させる実力があった。そこで大神が西方諸国を臣従させよという命令を下したのに、「どうせ最後は海になるような国々を臣従させてもしょうがない」というように考えて、何もしないで放置していた。

 

大神がこのネグレクトを怒り、神事だけはちゃんとやりなさいと命じたので、神事だけはなまなまにやっていたが、気がついたら誰も知らないうちに天皇家は断絶していた。

 

この椿事に国中驚きあわて、『国を挙げて大祓を行った』ところ、天皇家再興のめどがついたが、日本国民はなんだか群船にて西方に大挙渡ることになった。

 

 

さて未来記の「東魚来つて西海を呑む。」は、仲哀天皇は、西方諸国をその御稜威で、臣服させる実力があった時期のこと。

 

「日西天に没すること三百七十余日」は、西方諸国に対して何もしないで放置して神事ばかりやっていた時期のこと。(幕末まで)

 

 

「西鳥来りて東魚を喰む。」とは、西方諸国が日本から金をむしり国力を削ぎ日本を滅ぼすこと。

 

出口王仁三郎は、未来記の解釈は明かしていないが、将来の日本の艱難に対し一石を投じようという意図があったことは見える。

国を挙げて大祓とは、日本が冥想立国、神主主義になれるかどうかということだと思う。

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立替立直しと霊界物語の余白歌

2023-01-25 16:43:31 | 古神道の手振りneo

◎立替の経綸の奥は沢あれど 人に言はれぬ事の多かり

(2021-03-13)

 

肥田春充ばかり読んでいると、パワー系、マッスル系の根源が丹田であるかのように思えるが、出口王仁三郎説では、鎮魂においては、令義解に「離遊の運魂を招きて身体の中府に鎮む」とあるように冥想のrootでもある。更に言霊では、言霊を息吹くのは臍下丹田からであり、神人合一して現界霊界に活躍する根幹でもある。

 

霊界物語の余白歌は、あまりにも分かりやす過ぎるがゆえに、出口王仁三郎が、まとめての出版を嫌っていた。だが、何だか今は余白歌集まで出ている。出口王仁三郎没後は霊界物語があまり読まれぬ時代があったので、余白歌も当然に読まれなかった時代が長かったのだろう。

 

立替立直しを教義の軸に据えるというのは、この世の終わりが明日にでも来るように唱えるということで、イエスの幻視もそういうところがある(世の終わりには云々)。教団への弾圧が予見されていても、立替立直しという広汎な文明破壊が見えていても、それでも自らの行うべきことを行い続けるというのは、誠に丹田ができていなければできないのではないかと思う。

 

余白歌は、その篇の内容を神の立場から評価しているものばかりであって、人間の立場から解釈すると誤解する。

 

逆立ちした人間とは神の立場から見ているということだが、それは必ずしも人間にとって都合のよいことばかりではない。人に言はれぬ事の多かり、なのだ。

 

 

以下霊界物語第七巻の余白歌から

『国所家々(くにところいえいいえ)のみか人草の

    心の内も立替ゆるなり

〈第6章〉

 

月の光昔も今も変らねど

    遙(はろ)の高峰(たかね)にかかる黒雲

〈第7章〉

 

高山の嵐は如何に強くとも

    渓間(たにま)の木草倒されもせず

〈第7章〉

 

世を救ふ神は渓間に現はれて

    深き心の経綸(しぐみ)を遂げつつ

〈第7章〉

 

世の人に普(あまねく)く好かれ世の人に

    またそねまれむ神の宮居は

〈第12章〉

 

海津見(わだつみ)の深きに潜む曲神も

    浮びて神代を讃美なすらむ

〈第14章(校)〉

 

久方の天津空より鳴き渡る

    鳥の叫びに眼を覚ますべし

〈第17章(校)〉

 

世の元の神の心は急ぐらむ

    立替の日も迫り来れば

〈第17章〉

 

神は世に出る道つけて出でませり

    誰も此の道安く歩めよ

〈第17章〉

 

立替の経綸の奥は沢あれど

    人に言はれぬ事の多かり

〈第17章〉

 

身も魂も月日の神の与へたる

    賜物なればおろそかにすな

〈第19章(三)〉

 

この度のふかきしぐみは惟神(かむながら)

    ただ一息も人ごころなし

〈第20章〉

 

天の時今や到りて諸々の

    罪に満ちたるものは亡びむ

〈第20章(校)〉

 

久方の天の鳥船かずの限り

    舞ひつ狂ひつ神代は到らむ

〈第21章(校)〉

 

あら鷲は爪研ぎ澄まし葦原の

    国の御空に世を窺がへり

〈第21章(校)〉

 

常磐木の弥栄えゆく足御代(たるみよ)を

    神の心は松ばかりなり

〈第23章〉

 

神人(かみびと)の夢にも知らぬ立替は

    生ける昔の神の勲功(いさおし)

〈第23章〉

 

この度の世の改めは万世(よろづよ)に

    ただ一度(ひとたび)の経綸(しぐみ)なりけり

〈第23章〉

 

常暗(とこやみ)の世を照らさむと東(ひむがし)の

    空より落つる火弾のかずかず

〈第23章(校)〉

 

驚きて逃げ惑ひつつ諸人は

    神知らざりし愚をかこつらむ

〈第23章(校)〉

 

葦原の瑞穂の国は世界なり

    中津御国は日の本の国

〈第28章〉

 

天地(あめつち)の神の稜威(みいづ)は現はれて

    上下睦(かみしもむつぶ)ぶ神代となるらむ

〈第28章〉

 

日の本の国に幸(さち)はふ言霊(ことたま)の

    稜威に亡ぶ百(もも)の曲神(まがかみ)

〈第31章〉』

 

このように結構な内容な予言歌が続々と並んでいる。

聖徳太子未来記を読んでモンゴル遠征に出発し、ごくわずかな人数しか生還できなかった出口王仁三郎。

終戦後の最晩年に吉岡発言で今後のリアルな見通しを述べた出口王仁三郎。

生涯に六度死に、その都度神人合一を果たしたであろう出口王仁三郎。

27歳、高熊山での1週間の水も飲まない断食での修行で世の終わりと新時代を幻視し、見たビジョンが出口ナオと合致したので、共同戦線を張った出口王仁三郎。

 

この余白歌にあるように、最後まで渓間での活動を強いられる。それでも神人合一が世人(よびと)の目標。

 

最後はまた米軍の火弾ですかね。

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ノアとナオとの方舟(別名目無堅間船)

2023-01-25 16:37:12 | 古神道の手振りneo

◎神様は更に公然と世間の人民に予告は為さらぬ

(2021-05-15)

 

海幸彦、山幸彦で、現代日本をみろくの世に渡してくれるのは、意識の極限状況を無事に通過させてくれる『目無堅間の船』であると知った。

 

パニック映画でよく出てくるように、善人も悪人も取り混ぜて巨大宇宙船兼潜水艦みたいな母船に動物ともども乗り組んで、天変地異をやり過ごす。

そして天変地異が終わったら、方舟に乗り組んだ善人悪人取り混ぜて、今みたいな科学の発達した地獄的時代を再建にかかるというのは、どうも違うのではないか。

 

ヨハネの黙示録21章では、

『第21章

わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。

 

また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。

 

(中略)

 

わたしは、この都の中には聖所を見なかった。(中略) 汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、その中に決してはいれない。はいれる者は、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである。』

宗教のない時代が到来するが、その理由は万人が神を知っているからである。

 

さて全人類を千年王国に渡してくれるノアとナオとの方舟(別名目無堅間船)。最後の審判、立替立直しにおいて、ノアは破壊(修祓)、ナオは再建(復興)なので、ノアとナオとが揃わないと方舟にはならない。

 

ノアだけだと、パンミックやら、飢餓やら、核戦争やらで、地上は荒れ果て人口は激減し、技術文明はほとんど喪失するだけとなる。ナオがあってはじめて、人口が激減し「さびしく」なった新時代の初めに復興の萌芽を残すことができる。万人が神を知ってナオ。

※暑さ凌いで秋吹く風を待てど、世界は淋しくなるぞよ(伊都能売神諭)

 

以下は、『出口王仁三郎全集第5巻随筆(一)ノアの洪水と方舟』から引用。

『ノアの神勅を受けて大なる方舟を造り、世界の大洪水来ることを予言し、万民を救はむとした。然れども其時代の人は一人も信じなかつたのみならず、愚弄軽侮し、其方舟を見て散々に嘲笑したのである。(方舟とは神の誠の救ひの教の意也)

 

段々大洪水の日は近づけども、多くの人民は益々放逸、強情、無頓着、破廉恥漢ばかりで、日増しに罪を重ねるばかりであつた。今日の社会は恰もノアの方舟建造当時と少しも変らぬのである。不信悪行、利己の濁流は、天地に漲つて居るのである。

 

今日は最早山麓まで浸水して居るなれど、ノアとナオとの方舟(一名目無堅間船)に乗る事を知らぬ盲目や聾者ばかりである。

 

 天地の元の御先祖なる生神は、至仁至愛に坐ますが故に、世界の人民を一人でも多く救ひたいと思召し、先にはノアの方舟を造りて世人に警告せられ、今又茲に大神は下津磐根の地の高天原に出現して、明治二十五年の正月から、変性男子の御魂の宿り給ふ神政開祖、出口直日主命の手と口を以て前後二十七年間、懇切に世人に向つて日夜警告を与へ給うたのである。

 

然れど今も古も人の心は同じく、邪悪に充ち頑迷にして天来の福音を聞かず、神の救助船を見て散々に嘲笑する者ばかりで、神様も今の世界の人民には改心の為せ様がないので、誠に困つて居られるのである。

 

どうしても改心が出来ねば、已むを得ず大修祓が執行されるより外に途は無いのである。実に今の人民くらゐ暗愚にして頑固な不正直な、身勝手な者は無いのであるから、吾人は世界の前途を案じて心配するのである。

 

神界から堪忍袋の緒を切らして、弥々最後の日が来るにしても、神様は更に公然と世間の人民に予告は為さらぬ。』

 

マスコミも政府も予告などしない。

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古事記をいつ書くか

2023-01-25 16:29:43 | 古神道の手振りneo

◎今再びの中国の日本占領の企てが見える

(2021-05-13)

 

たまにはSLも走る秩父鉄道に乗ると、和銅黒谷という駅があり、ホーム真ん中に直径2メートルはあろうかと思われる巨大和同開珎のレプリカに驚かされる。このレプリカは最近新しくなった。

 

和同開珎は、708年、古事記は、712年成立。

日本一国の伝統文化が唐様になっていくには、まず中国による軍事占領の如きものがあって何十年か経ってほぼ完成する。

 

621年 日本への中国文化移入を推進した聖徳太子没

645年 乙巳の変(蘇我入鹿暗殺)

646年 大化の改新

660年 百済滅亡

663年 白村江の戦いで大敗し、日本は事実上唐に軍事支配を受ける。 

666年 高句麗滅亡。王族の王若光らが武蔵国に亡命移住?

671年 唐国の使人郭務悰等2千人の唐兵や百済人が日本に上陸。

671年 天智天皇崩御

672年 壬申の乱

673年 天武天皇即位

681年 稗田阿礼に帝皇日継と先代旧辞(帝紀と旧辞)を詠み習わせた。後に筆録されて『古事記』となる

686年 天武天皇崩御

708年 和同開珎

712年 古事記

 

こんな具合で、唐の文化的影響が深刻化する中で、文化遺産としての“古神道”を保持する目的で古事記が編纂されたのであろう。

要するに古神道が滅亡の危機に瀕したので、古事記が編纂されたのだ。

 

同様の流れは、アトランティス滅亡前夜にもあった。一万二千年後の現代に向けて、エジプト、ギリシア、中米、北欧、日本などに向けて、アトランティス文明の精神科学の精華を携えた伝道グループが散って行った。

 

そして彼らが、それぞれの地で、旧約聖書、北欧神話、オリジナル古事記、マヤ神話など、古伝承、神話などの形でアトランティス当時のあるいはそれを上回る精神文明の開花が、フロリダ沖にアトランティス大陸が再浮上することを合図に、現代において起こるだろうことを予言したということ。

 

この文明には神の息吹をダイレクトに感じられる象徴は多くはないが、一般に滅亡と喪失が眼前に迫ると、文明の精華を次代へ残そうとする動きが出る。切羽詰まらないとやる気にならない、非人間的な悪夢が現実化し始めないと改心しないのは、人間の常とは言え、何生も輪廻転生を繰り返してきた人間なら、教訓を学んでいるはずではある。

 

そして今再びの中国の日本占領の企てが見えている聖徳太子未来記。

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森林破壊と社会の崩壊

2023-01-25 15:44:43 | 時代のおわりneo

◎マンガレヴァ島の例

(2007-10-09)

 

一言で地球温暖化と言っても、掘り下げた説明がないと、なかなかその深刻さに思い当たるものではない。

 

南東ポリネシアの孤島マンガレヴァ島は、珊瑚礁に囲まれた直系24キロの潟(ラグーン)からなる豊かな島だった。この島は20余りの死火山と2、3の環礁からなり、陸地の総面積は30平方キロにもなった。

 

樹木に恵まれていたことから、ある程度の降雨量もあり、沿岸の細い帯状の平地に住みながら、サツマイモや。ヤムイモ、タロイモを育てた。更にやや海抜の高い土地にはバナナやパンノキも植えることができた。

 

また潟では、クロチョウ貝という大型の2枚貝がとれた。これは身が食用になり,、長さが20cmにもなる分厚い殻は、釣り針や野菜用の包丁、装身具を作る材料として好適だった。

 

このようにマンガレヴァ島は、石器時代の文明レベルながら自給自足できる文明レベルを保っていた。

 

この島では、農民が畑を拡大するために森林の樹木の伐採を進めた。この結果、畑は拡大したが、樹木がほとんどなくなってしまった。

 

樹木がなくなった結果、カヌーが製造できなくなり、周辺地域との貿易ができなくり、孤島の中だけで、多すぎる人間が少ない食料を奪い合う形勢となった。

 

言い伝えによれば、その結果人肉を食するまでになり、死んだばかりの人間ばかりか、埋葬されたばかりの遺体までむさぼり喰らった。また残された耕作地をめぐって、勝った方が負けた方の土地を奪う争いが絶え間なく続き、その間に世襲の王による統治から、戦士による軍事政権による支配へと、政治形態が変質した。

 

結局マンガレヴァ島は人口が激減したものの、人間の絶滅は避けられた。ところがカヌーがなくなったことで、農産物、石、貝殻などの輸入により社会を維持してきた周辺のピトケアン島とヘンダーソン島は、人が住めなくなり、無人島となった。

 

マンガレヴァ島の森林破壊が、周辺2島の命脈を断ったのである。

 

森林破壊は、耐性がより弱い地域から有無を言わさず、まともに影響を与えることがわかる。

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海幸彦と山幸彦

2023-01-25 15:41:05 | 古神道の手振りneo

◎無間勝間(めなしかたま)の神船

(2021-05-14)

 

海幸彦と山幸彦は古事記に出ていて、いじわるな兄海幸彦を真面目な山幸彦が見返すという物語。

 

ところが出口王仁三郎の講演録によれば、

海幸彦は外国、山幸彦は日本。海幸彦は、針に餌をつけ騙した魚を取るやや卑怯なやり方。山幸彦は弓矢なので心技一体とならねば獲物を取れない大和魂。

山幸彦は、海幸彦から借りた釣り針で釣りをしたが、さっぱりの結果で、釣り針まで落としてしまった。そこで、代わりの針を千個も作ったが、海幸彦はこれは貸した針ではないとして受け取らない。

 

苦悩している山幸彦のところに塩椎(しおつち)翁がやってきて、無間勝間(めなしかたま)の船をつくり、それに山幸彦を乗せて竜宮に送り込んだ。

 

無間勝間(めなしかたま)の船とは、衆生済度のことであり、神様の教えのこと。

 

古事記では、山幸彦は竜宮で妻子を得て、なくした針も見つけて、3年後に地上に戻り、針を海幸彦に返すと同時に呪いによる報復もする。

 

これは、明治維新以来、150年脱亜入欧を行ってきたが、これはつまり『三年間竜宮なる外国留学から帰国』したということで、この頃ようやく日本国にメナシカタマの船なる日本古来の宗教たる皇道が現れてきた。そして最後は、山幸彦が万国を平定されるということ。

 

目無堅間の神船は、大本神諭などにも出てくるが、大悟覚醒した聖者塩椎翁が日本に出現し、目無堅間なる冥想の奥義を招来するということだろう。

 

出口王仁三郎は、古事記上巻は、みろくの世到来前に必ず実現するイベントであり、海幸彦と山幸彦の段もそうだと太鼓判を押している。

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海幸彦山幸彦-1

2023-01-25 07:11:23 | 無限の見方・無限の可能性

◎無間勝間(めなしかたま)の神船に乗り神を知る

 

出口王仁三郎は、古事記の重要部分については、古事記言霊解として特に注釈を施している。

その最後のパートが海幸彦山幸彦。

 

海幸彦は、西洋にして近代西欧文明で、謀略を旨とする。山幸彦は日本であって正直素直の清よ明けき心を旨とする。古事記には、金銀本位制の西洋という言葉も、仲哀天皇の段に登場してきており、飛行機もなく潜水艦もなく外洋船もない古代に、日本と海外の往来、角逐をことさらに問題する古事記があるのは、不思議なことだと言わざるを得ない。

 

海幸彦山幸彦の段には、進退に窮した山幸彦が、

ヨーニムドラーを思わせる無間勝間(めなしかたま)の神船に乗り神を知る件りが出てくる。これにより、神を知った山幸彦が海幸彦に押されっぱなしであった形勢を逆転し、やがてみろくの時代を成就していく。

 

米ロが戦って日本が仲裁に入るとか、世界的武装解除の時期は天皇陛下の役割が大きいとか、東京で仕組みを駿河美濃尾張などといろいろな予言はあるが、基本線は、普通の日本人が冥想により神に目覚めるということで紛れはないと思う。

 

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