アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

何人残るか-2

2023-01-17 17:26:58 | 時代のおわりneo

◎誰も冥想が必要だなどと思わない

(2007-03-04)

 

次に日本以外の外国が3%しか残らないことについて

 

これは、出口王仁三郎が、終戦後に「聖師様、お筆先どおりになりました。」と面会に来た信者に諭した話。大本教は昭和10年の第二次大本事件で全国何千個所の寺院の破壊、有力幹部の逮捕など徹底的に弾圧された。それを前提とした、終戦後の信者への出口王仁三郎の談話である。

 

『世の中がこんなになったのに、お筆先(大本神諭)通り出てきたと喜ぶようではいかぬ。こんなにならぬように神様が叫ばれたのであるから、世の中のために祈る心にならねばならぬ。憐れまねばならぬ。

 

大本をひどい目に会わせたのであるから、よい気味だと言ったり、思ったりする信者があるが、そんな信者はせっかく助けてもらっても、それが悪魔の精神であるから、今度は助からない。

 

世界は三分。三割じゃない。百の三になる。日本は二分もめんどいと書いてあるから、世の中を見て回心しておらぬと、いい気味だと思うようでは、それが悪魔の精神であるから滅びてしまう。

 

王仁がラジオを据えて聞いているのは何のためか知っているのか。ニュースを聞いてはこれくらいで済んだかと喜んでいるのである。(以下略)

昭和二十年三月二十八日』

 (新月の光(下巻)/木庭次守編/八幡書店P274-275から引用)

※お筆先(大本神諭):大本教の予言書

 

この生存確率の妥当性について検証する手段などない。また検証する意味もない。自分が、大災害、大変動の中で野たれ死にするかどうかだけが問題だと大概の人は感じるはずだからである。

 

したがって何%残るかどうかが最も重要なポイントではない。自分自身が神に目覚めるかどうかが大事であると気がついて冥想修行に打ち込むことしかない。

 

それではと一大決心して、まず自分が神に目覚めるように冥想修行に打ち込む。ところが大変動や大災害の時代を首尾よく生き延びれますようになどという邪心があって修行しているならば、いいところまで行くかも知れないが、肝心のところで神に叩たき落とされるのがオチであると思う。

 

結局、自分が助かろうなどという欲を捨て、無心無欲で冥想を続けているものだけが助かるという皮肉なことになってしまう。それが神々の現実であり、本音だろう。

 

これらのロジックをまとめると、

1.次の時代に生き残るためには、自分だけ生き残りたいという利己的な願望を残してはならない。

 

2.冥想修行により神に出会ったり、神に覚醒することが必要である。しかしながら、神に出会ったり、神に覚醒したとしても、大変動・大災害の時代を生き抜くことについて何も保証となるものではない。

 

3.つまり冥想しても大三災(大変動・大災害)を生き延びられるわけではない。

 

4.だから冥想なんかする必要を感じない。

 

というような具合になることに気がついてしまうことになる。理性的なあなたの下す結論は、このように自分が生き延びることと関係のない冥想などしないというものになってしまう。

 

このように冥想の必要性は、「客観的」には、全く論理的性がなく、説得力がない説である。そしてほとんどの人が冥想しない時代とは、今この時代のことである。

 

でもこのまま冥想しない人々がほとんどである状態は、必ずや文明全体の破壊につながって行くことをあなたの本心が知っている。

 

「自分がまず冥想をして神に出会うことが文明の破壊、大量死というものを最小限に食い止めること」であると直観する人が、雨後の竹の子のように何万人も出てくるかどうかが、文明がいくらかでも残るキーポイントでもあり、自分が生き残るかどうかのベンチマークとなる。

 

冥想の必要性は感じるものであり、論理的に考えれば考えるほど必要だということにはならない。でも知性が極めて発達した人類にとって、その論理的ジレンマを超えて冥想できるかどうかが、この近代西欧文明の最後にして最大の試金石となっている。

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渓山行旅図(范寛)

2023-01-17 17:08:13 | 現代冥想の到達点neo

◎迷いと悟り

(2010-10-04)

 

北宋初期の范寛の山水画。

 

中央の圧倒的な存在感は、悟りであるニルヴァーナが峨々たる山稜として現れている。そして手前には、迷いのシンボルたる旅人がいるはずだが、それは道の右端に数頭の馬を引く隊商として現れている。

 

この構図では、神の圧倒的な威力に対して、ひれ伏しおろがむことしかできない、あまりにもちっぽけな人間の存在感の小ささが一目瞭然である。

 

この絵を見る人は、神の視点に居て、山を山頂上空から眺め、そして人の視点から隊商を斜め上から見る。その二種の視点の混在は、巨大山塊の手前の雲霧により峻別される。

 

雲霧が晴れさえすれば、山と渓谷の道を同時にはっきりと見ることができるのだろうか。雲霧が晴れても山と渓谷の道を同時に見ることができないのであれば、そこに意識というものの深遠な秘密がありそうに思う。

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山水画とスピリチュアル

2023-01-17 16:57:59 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎迷いと悟りを一枚の絵に

(2010-10-20)

 

ノーベル文学賞はあるが、ノーベル絵画賞はない。文学とくらべて絵画への評価は、見る方の美意識そのものがより問われるというほどでもないのだろうが、不思議なことである。

 

水墨画には三遠という手法がある。これは遠景(高遠)、中景(平遠)、近景(深遠)を、それぞれ異なる眼の位置から見たもので、三つの情景のつなぎ部分には、雲や霞のようなものが描かれる。

 

高遠とは、山の下から頂上を見上げる仰角視点、平遠とは前山より後の山を眺める水平視点、深遠とは山の前からその背後をのぞき込むような鳥瞰視点のこと。

 

悟っていれば、あるいは悟りに近ければ、明つまりニルヴァーナを表現することはできる。しかし、悟りに遠ければ、明・ニルヴァーナを描くことはできず、無明・マーヤの混乱、騒擾に落ちる。よって後者のケースでは、世界そのものを一幅の絵に表現するという格調は感じられない。 

 

迷いと悟りを一枚の絵に仕立てる。それこそが画期的なのであって、これぞ真のスピリチュアル絵画なのだと思う。そのために、三遠という視点が複数存在するのは、唐代に開発され、宋代に完成された天与のテクニックというべきものだと思う。

 

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雪中庵蓼太の蛙とびこむ水の音

2023-01-17 16:51:45 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎自ら飛び込む

(2016-03-25)

 

俳人の雪中庵蓼太が、白隠を沼津市の原の松蔭寺に訪ねたところ、

古池や蛙とびこむ水の音

の句の水の音をどう聞くと迫られた。

 

雪中庵蓼太は、坐禅冥想を何年も誠心誠意続けたが、ついに白隠は遷化してしまった。

彼はやむなく白隠の後継者である東嶺和尚を龍澤寺に訪問し、教えを乞うた。

 

東嶺和尚は、彼があと一歩まで近づいているのを看取して、一句を与えた。

 

飛び込んだ 力で浮かぶ 蛙かな

 

雪中庵蓼太は、これを見て、忽然と悟るところがあった。

 

 

例によってどうやって悟ったのか、何を悟ったのかは詳述されていない。だが、その真贋を見抜く師家がいる。悟りの何たるかが判らない弟子にそれを説示して理屈でわかるものではない。悟りマニュアルなどあったらそれは嘘っぱちである。だからといって冥想指導なき「今ここ」は、クリシュナムルティが一生をかけてチャレンジしたが、成功したとは言えない。「今ここ」は最後は飛び込むのだが、それには機が熟している人を飛び込ませて初めて成功するのであって、誰でもむやみに飛び込ませることはできない。

 

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かわず飛び込む水の音

2023-01-17 16:46:24 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎古池真伝

(2006-06-18)

 

松尾芭蕉は37歳の時、深川芭蕉庵で出家して、仏頂和尚に印可(悟りの証明)を受けた。俳句を詠むというのは、容赦のない現実に直面するという禅の現実認識の姿勢とは、一見相容れないところがあるように見える。そうした心境において、一種の歌心というべき心の余裕がないと俳句は詠めるものではないと思う。

 

さて仏頂和尚が、字は読めないが禅機鋭い六祖五兵衛居士を伴って、深川の芭蕉庵を訪れた。

 

六祖五兵衛は門をくぐって、芭蕉の顔を見るなり、

「庭の草木の中に仏法はありますか。」と問いかけた。

芭蕉は即座に「葉々は、大なるものは大であり、小なるものは小である。」と答えた。

 

今度は仏頂和尚が、

「この頃の調子は、どうだい」と問うと

芭蕉は、

「雨が過ぎて、青苔を流している」と答えた。

 

更に仏頂和尚が「青苔がまだ生えないで、春雨がまだやって来ない時はどうする」と畳みかけると

 

その時ちょうど一匹の蛙が庭の古池に飛び込んだ。

芭蕉は、

「蛙飛び込む水の音」と答えた。

 

仏頂和尚は、これを聞くと、にっこりと微笑み、持っていた如意を与え、芭蕉の悟境を認める偈を与えた。

 

本分無相(本来の自己に相はない)

我是什麼者(私は、言葉では語れないそのものズバリである)

若未会為汝等諸人下一句子(もしあなたがたが、もう一句に出会っていなければ)

看看、一心法界法界居一心 (ちょと見てみなさい。一心は法界(真理・実相のこと)であり、法界は一心である)

 

その様子をつぶさに見ていた門人たちから、お祝いを述べるとともに、嵐雪が「これでは、冠の句がありません。どうぞ五文字をつけて下さい。」と申し出ると、

芭蕉は、「それでは貴方がたの意見を聞いてから決めよう。ためしに上の句を行って見てください」

 

杉風は 「宵闇や」、

嵐雪は 「寂しさや」、

其角は「山吹や」、と出したが、いずれも平生の句より出来がよいが、どれも芭蕉の気にいらなかったので、自ら

 

古池や 蛙飛び込む 水のおと

 

に決めた。

(参考:禅門逸話選/禅文化研究所)

 

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春風や麦の中行く水の音

2023-01-17 07:22:13 | 冥想いろいろ

◎不易流行(ふえきりゅうこう)

 

去来抄によれば、俳句には2種あって、不易の句と流行の句。不易は千年変わらぬ根本であって、流行は現代に一時的にはやるもの。句によって不易の比率が高いものもあれば流行の比率が高いものもある。

 

芭蕉の門下では、時代が下るにつれて不易の比重が高いものを評価するようになり、芭蕉晩年の弟子木導は、不易の極みである三句を挙げている。

 

1.小松生ひなでしこ咲(さけ)るいわほ哉(かな)  (荒木田守武)

(大意:には小さな松が生えているのに加え、撫子も咲いている。)

 

2.古池やかはず飛込水の音

(芭蕉)

 

3.春風や麦の中行く水の音

(木導)

(大意:春風が吹き、麦はそよぐ。その中を、小川のせせらぎが行く。)

 

芭蕉は、この木導の句を風景描写(景)と新しさ(曲)を兼ね備えた句として激賞した。

 

さて不易流行とは、不易が悟りの側であって、流行が迷いの側。山水画を見ると大方、背景のぼんやりしたのが悟りの側で、手前の山水人物具象が迷いの側。

悟りなくして迷いはなく、迷いなくして悟りなし

よって不易だけではだめで、流行もないと不完全。よって、この木導の句では、春風と麦が迷いにして、小川が悟りとみることができる。

 

同様に守武の句では、小松となでしこが迷い。巌が悟り。石は真理のシンボル。

古池句では、古池とかえるが迷いであって、水の音が悟り。

 

この消息をわかっている芭蕉は、木導を評価した。

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