アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

OSHOの光明-1

2023-01-15 18:58:12 | 現代冥想の到達点neo

◎光明の始まり

(2006-02-16)

 

OSHOは、一年間の精神の暗夜を過ごした。そして、7日間の神秘体験を経て、1953年3月21日に大悟した。

 

その七日間の始めに、OSHOは自分自身と取りくむのをやめて、探求がやみ、何かを追い求めなくなり、何かが起こるのを期待しなくなった。OSHOは、実に希望のないお手上げ状態で生きていたが、同時に何かが湧き上がってきてもいた。希望が不在だったが、とても平静で、穏やかで、まとまっていて、中心(センター)がすわっていたので、希望も絶望も消え失せていた。

 

希望も絶望もないこの状態は、原始仏教の分類で言えば、無所有処定(なにもかもがないという意識)または、非想非非想処定(なにもかもがないという意識もないという状態)であろう。どちらにしても、窮極のものではなく、一歩前の段階であるように思う。また、これほどまでに細かく心境を描写してもらわないとそうした分析すらできないものだけれど、わざわざわかるように説明してくれたOSHOの親切心が感じられる。

 

『その希望のなさは、絶対的で全面的なものだった。希望が消えて、それといっしょにその片われである絶望もまた消え失せていたのだ。それはまったく新しい経験だった。希望がないという状態---。それは否定的消極的な境地ではなかった。・・・・・・完全に肯定的、積極的だった。それはただの不在ではなかった。ある<現存>が感じられた。わたしの中でなにかがあふれ出していた。氾濫していた。

 

そして、わたしがお手上げだったと言うのも、辞書に出ているような文字どおりの意味ではない。それは単に、わたしが無自己だったということだ。それがわたしのお手上げという意味なのだ。わたしは自分がいないという事実を認識した。

 

だとしたら、自分というものに依って立つことはできない。だとしたら、自分自身の地歩に立つことはできない。・・・・・わたしは・・・・・底なしの奈落に落ちこんでいた。しかし、そこに恐怖はなかった。なにひとつ守るべきものはなかったからだ。そこに恐怖はなかった。だれもこわがる者がいなかったのだから---。』

(反逆のブッダ/ヴァサント・ジョン/メルクマール社P133から引用)

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OSHOの暗夜-2

2023-01-15 18:50:48 | 現代冥想の到達点neo

◎OSHOの暗夜

(2006-02-15)

 

というわけで、OSHOの精神の暗夜です。

 

『どんな小さなことでも、疑いまた疑いの連続でしかなかった。・・・・疑問は解答を得られないままだった。ある意味で、わたしは狂人同然だったと言っていい。自分でもいまにも発狂するのではないかとおそれていた。夜は眠れなった。

 

 夜も昼も・・・・・・わたしは疑問に取り巻かれていた。いうなれば、船もつかまる岸辺もなく、深い海の真っただ中に取り残されていたのだ。そこへ船が通りかかったとしても、自分でそれを沈めるか拒絶してしまっていた。船も航海者も数多くいた。が、わたしの方で・・・・・・ほかのだれの船にも足をかけようとしなかったのだ。

 

 もしこのこと、つまり自分で自分を溺れさせることが、わたしの生の導いてゆくところだとしたら、それも甘んじて受けいれるしかないだろうと感じていた。

 

 わたしの状況はまったくの闇としか言いようがなかった。それはあたかも、暗い深井戸に落ち込んだかのようだった。その当時、わたしは何度も、底なしの井戸のなかへどこまでもどこまでも落ちていく夢を見たものだ。そして何度となく・・・・・・汗びっしょりになって夢からさめる。その落下には終わりがなく、地面も足をのせる場所もないのだから・・・・

 

わたしにとっては、はっきりとした道などなかった。なにからなにまで真っ暗だったのだ。踏み出す一歩一歩が闇に閉ざされていた。目的もなく不確かだった。

 わたしの状況は緊張と不安と危険でいっぱいだった。』

(反逆のブッダ/ヴァサント・ジョン/メルクマール社P112-113から引用)

 

その後のOSHOは、一年のあいだ、何がどうなっているのかほとんどわからない状態だった。食欲も消えうせて、何日たっても、何の空腹も、何のかわきも感じない。自分に無理やり食べさせ、無理やり飲ませなければならなかった。

 

OSHOは、自分自身を感じるため、毎朝毎夕、五マイルから八マイルほど(九~十三km)走ったので、人々はOSHOのことを気ちがいだと思っていた。

 

なにか言ったら、自分が狂っているのがわかるので、OSHOは、だれにも話しかけることができなかったので、自分の部屋に閉じこもっているよりほかになかった。

 

それは一年間続いた。ただ床の上に横たわって天井を見上げ、1から100まで数えては、また逆に100から1まで数える。まだ数を数えられるというだけで、少なくともなにかではあった。何度も何度も、途中で忘れてしまう。ふたたび焦点を取り戻すのに一年かかった。

 

組織宗教のトップが自分の覚醒以前のみっともない状況を自ら公表することは大変勇気のいることだ。覚醒以前は「ただの人」なのだから、ただの人がひどいノイローゼか統合失調症みたいな状態になっていたことを発言するのは、大変珍しいことである。というのは、ピースフルとか、ハッピネスとか、エンライトゥンメントとか言っているくせに、この宗教は、ノイローゼや、統合失調症になるようなことをするのかと世間の人に思われるからである。それは、組織拡大上大きなデメリットになるからである。

 

ところがそういった部分にこそ、我々ただの人が覚醒に至るプロセスやヒントが示唆されているのである。OSHOのこのエピソードに限らず、絶対光明の前に、精神の暗夜、自我の死というのは避けて通れないことを、シャーマンになるためのイニシエーションでも、世界各国の神話でも、暗示している。

 

このように暗夜とは、ほとんど精神病のことなので、こんな状態では、社会生活を営むのは非常にむずかしい。しかしそういった状態を通過していかないと、宇宙意識、ニルヴァーナ、神、仏といったものに、最終段階のアプローチができないのもまた現実なのである。

 

社会全体の視点から見れば、こうした状態の人を、無条件に社会から排斥、隔離するのが現代社会の実態である。もちろん精神病の患者の中にもそうした人は数少ないだろうが、高い精神性をはらんでいるかもしれない人をも社会に受け入れず、分離してしまう。この大きなジレンマが、現代社会全体に突きつけられた、次の時代の精神性を迎えられるかどうかの一つの鍵になっている。

 

まずそうした状態があるということについて理解してもらうことから始めるのだろう。

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OSHOの誕生日

2023-01-15 16:33:08 | 冥想アヴァンギャルドneo

 ◎あなたはブラフマンの夢 そしてあなたは私自身

(2010-12-11)

 

12月11日は、OSHOの誕生日である。またこの日がダンテス・ダイジの命日でもあることは、知る人ぞ知る。

これによって、この二人が全く無関係ではないことに、薄々気がついている人もいるだろう。

誕生が、子宮を選定し、そこにダイブするという、バンジー・ジャンプばりのイベントであるように、逝去も肉体の頭頂ないし他の部位から脱出するという偉大なパフォーマンスであり、占星学的にわざわざ射手座のこのポイントを使って来るのは、それぞれ、誕生と逝去という違いはあっても無視できないファクターであると思う。

京都に一条戻り橋の伝説があるが、ゾディアック(十二宮)上にある、聖者専用の、あるいは転生が終りに近づいた人間のための、あるいはまたアトランティス以来のさる使命を持った人間が往還するための、一条戻り橋みたいなポイントがこの日なのだろう。天球上の愛のポイント。


ダンテス・ダイジの詩。
『そしてあなたは私自身

幾度も幾度も繰り返される夢
夢見つづけるブラフマン
無数の意識の流れ
輪廻し 上昇しあるいは再び下降し
そして帰り着こうとする流れ

眠り続けるブラフマン
一人の人間の中にある無限の宇宙
あらゆる生類達の多様多元の宇宙
一人の人間の中に接弦する多元宇宙 
夢見つづける宇宙

久遠の時の中の遠い遠い夢
うつし世の胸高鳴る甘美な悦び
そして苦しみ 深い深い嘆き
夢見つづけるブラフマン
目覚めることのない久遠の夢
すべてを秘めて眠るアガシャの夢の海

全智全能を内包した一つぶの砂
アガシャの想念の海を泳ぐ無数の生命達
あらゆる想念を具現しまた破壊する
ブラフマンの化身シヴァ
破壊と殺戮の神シヴァ
そして私自身なるシヴァ
私の手は無限の宇宙を握りつぶし
私の足は永遠の歴史を踏み倒す

シヴァなる私は踊り狂う
眠り続けるブラフマンに気使うことなく
夢の宇宙に私は踊る
モンゴルの平原にさまよう旅人も
私の酒くさい一息が
その全身に吹きかかれば思い出す
すべてを旅人は思い出す
あなたはブラフマンの夢
あなたはシヴァの化身
時には あなたはブラフマンそのもの
そしてあなたは私自身 』
(絶対無の戯れ/ダンテス・ダイジ/森北出版社P72-74から引用)

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OSHOとクリシュナムルティ

2023-01-15 16:28:07 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎入国拒否など

(2009-07-07)

 

OSHOとクリシュナムルティ。どちらも欧米を舞台に活躍したインド人の覚者。クリシュナムルティは、早くから欧米のハイソサエティを中心に受け入れられたが、OSHOは多くの信者はいたものの、最後は、イギリス、アメリカ、ギリシアなど多くの国の官憲から入国拒否、滞在不許可を受け続けるようなひどいことになってしまった。

 

その違いはどこにあったのだろうか。

 

それはクリシュナムルティは、教団という組織を作らなかったのに対して、OSHOは教団を組織して、オレゴンにコミューンまで作ったところにあるように思う。

 

クリシュナムルティは、周辺に世話をしてくれる人はいたが、信者の組織みたいなものはなかったようだ。それが彼のスタイルだった。

 

OSHOは、それに対して、信者を集めて、組織を作って、プチ独立国家みたいなものまで作った。それがコミューン。それが彼の選んだスタイル。

 

どこの民主国家でも法と秩序をモットーにやっているので、国家主権エリア内で、コミューンのような治外法権のようなことをやられると、為政者からみると甚だまずいことになるので取り締まられたというのは理解できる。しかし、コミューンがあったわけではないアメリカ以外の国までが、入国拒否のオンパレードをやったのは、いささか神経質に過ぎたように思う。

 

OSHOは、アメリカでは毒まで呑まされたと自分で語っていたと記憶しているので、随分ひどい目にあったものだ。

 

クリシュナムルティはクンダリーニ・ヨーガ関係の発言はまずしないが、OSHOはよくそれを語るという違いはあるものの、「それ」(ニルヴァーナ)についてはほとんど同じようなこと語っている。

 

社会が冥想についてほとんど無理解である以上は、そろそろと細々と進めていかざるを得ないと思うのは、自分が悟っていないせいなのかも、とも思う。

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OSHOの悟後

2023-01-15 16:24:06 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎長き沈黙
(2009-07-06)

OSHOが悟りを開いた直後は、「それ」を見守ることしかできず、誰も破ることのできない沈黙が2年間続いた。だがその2年間、彼の内面には大きな喜びが存在し続けた。

家族も友人もそんな彼を見て発狂したと思い込んでいたが、一人だけ彼のそんな状態についての理解者がいた。それがマグカップしか持ち物を持っていない乞食、マッガ・ババだった。

マッガ・ババは、他人が食べ物やものを恵む時はそのマグ・カップに入れてもらい、その金やものを不心得者が持っていこうとうしても、とがめず、むしろ喜んでいる風でもあったという。

マッガ・ババもずっと沈黙していたが、時に意味のない言葉を話すことがあったという。

マッガ・ババはOSHOに出会った時に、OSHOに起こったことを肯定してみせた。それがきっかけで、OSHOは再び他人と話すことを始めるようになった。

悟る前も修行に専念できる環境づくりが必要になるが、悟った後も悟後の修行に打ち込める環境が必要になる。環境が用意されていなければ、単なる発狂者として、精神病院送りになったり、面倒なことになる。さもなければ大燈国師のように鴨の川原で乞食を何年もやらなければならないはめになる。

既成の宗教組織に依って修行を進めれば、その組織の傘の中で、悟る前も悟った後も生活の面倒を見てくれるのだろうが、組織の外の社会では、そういった理解を示してくれて世話をしてくれる人がそうおいそれといるわけではない。

これも現代社会の、邪境性みたいな部分である。

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OSHOの中有

2023-01-15 10:18:50 | クンダリーニ・ヨーガneo

◎中有と夢

(2007-06-09)

 

前世と今生の間に中有(バルド)がある。前の肉体を失って、次の肉体をまだ得ていないという肉体のない状態を中有(バルド)と呼ぶ。そうした肉体の感覚がない中で、いろいろ体験するのだから、中有は夢に似ている。

 

中有の人と生きている人のコンタクトがとれて証言がとれないと、死後の世界の科学は進展しないので、中有の研究は、キュブラー・ロス以後の死の研究における大きなテーマである。

 

というわけで、OSHOの中有の見方。

まず中有の現実は、生の現実よりもありありと現実的であること。

『夢を見ているとき、私たちはそれが現実であることを疑わない。これは非常に面白いことだ。いくらか時間が経った後では、私たちはその現実性を疑うようになるが、夢を見ている間は決してそれを疑わない。夢は現実のように見える。

 

時には、現実であるものが、目に見えるものが、本物であるかどうかについて疑わしくなることがある。だが夢の中ではそのような疑いは決して起こらない。どうしてだろう。?それは夢がほんの少しの疑いも許さないからだ。さもなければ夢はたちまち破れてしまう。』

(神秘の次元/OSHO/日本ヴォーグ社P213-214から引用)

 

そして中有は夢のようなものであること。肉体そのものがないのに体験していることだから、再び肉体を得た時の中有体験の現実感はそれを肉体の感覚で感じられるかどうかにかかっている。だから肉体の感覚に感じられないから夢のようなものなのである。

 

OSHOは、誕生直後の6カ月と死の直前の6カ月は非常に暗示にかかりやすい時期であると指摘する。今は一つの文明の最後の6カ月に間違いなく居るから、この時代の人々は間違いなく暗示にかかりやすいと言える。それを利用してテレビを中心に役に立たない暗示を送り続ける人もいれば、その滅びゆく文明の危機感をばねにして正しいやり方で冥想する人もいる。

 

ここで正しいやり方で冥想をすることができれば、次の中有の準備を的確にすませて、次の誕生に備えることができる。

 

ただしこのように次の誕生に価値があるとする考え方はクンダリーニ・ヨーガであり、只管打坐にはそのような漸進的な発想の余地はない。「いまここ」しかないからである。

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OSHOの前世と今生

2023-01-15 10:03:53 | 冥想アヴァンギャルドneo

 ◎いきなりニヒルな人生展開

(2007-06-08)

 

OSHOは7百年前に前世があった。前世の最後、106歳のこと、OSHOは、21日間の断食に取り組んでいた。残り3日になった時、OSHOは、殺されて、結局21日間の断食行を完成することはできなかった。

 

この3日間で、断食が完成していれば、OSHOは再び転生することはなかったという。そしてこの3日間で達成するはずであったことをOSHOは21年かけて達成することができた。

 

時節を逸すると、その時にやっておけば一日で済むことが何年もかかることがあるものだ。

 

今生では、生れ落ちてから、事情があって母方の祖父母に7歳の時まで育てられた。7歳の時に祖父が話をすることができなくなって、医者やアユールヴェーダの治療師もいない村だったので、牛車に載せて24時間かけて32マイル離れた街に運んで行った。OSHOは、牛車に同乗して、言葉を失い、次に聴覚が失われ、目を閉じてと、緩慢に進む死の姿を真近にみた。

 

街に着いた時は、祖父は呼吸をしているだけで、3日を生きて、そして死んだ。

 

これ以後他人に対する愛着はなくなり、OSHOは一人でいることが彼の本質になったと述懐している。七歳にして、既にネガティブな世界観、諸業無常の人生を生きることになったのだ。

 

覚者、聖者は、往々にして、こうした露骨なニヒルな人生を選ぶ。この人生の展開も自分自身で選んで生きてきたものだろうが、あらゆる転生、あらゆる人生の実感を経験した者でないとこのような生き方を選び採ることはないだろう。

 

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OSHOの死の見方

2023-01-15 06:31:08 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎肉体の死と自我の死

(2007-06-06)

 

『戦場では死ぬ者もいるが、一方助かる者もいるために、生き残る可能性もわずかだがある。そのためにある恐怖が残る。

 

だが死の領域では、その僅かの可能性すら存在しない。死の瞬間には「私は肉体だ」という幻想は突然消える。

 

死の恐怖が消えるのは、そこに逃げ場がないからだ。その時肉体が死んでいくという事実は確かなもの、逃れられない運命になる。それこそが肉体の宿命だ。それを救う道はない。』

(神秘の次元/OSHO/日本ヴォーグ社p97から引用)

 

死には肉体の死と自我の死があって、覚者、聖者たちの説明は、まず肉体死が自我の死ではないことを認識させることを第一に置く。

 

その次に生きながら自我の死を目指すべきことを説く。

 

現実の問題として、自分の財産、人権、家族、友人、社会的な名声・信用などほとんどのものが肉体の生存にくっついているのであるから、肉体の死は、日常の生活感覚からすれば別格、別次元の奇怪な存在として立ちはだかる。

 

バラエティ番組で心霊は扱うことはあっても自分の死を扱うことはまずない(自殺防止はある)。今の社会では、他人の死はイベントとしてあっても、自分の死があるのは知っていてもなきが如くして生きるのが今風なのである。

 

こうやって自分の死が近づくと周章狼狽、あたふたとしたり、がっくりきたりすることになるのである。死も自分の人生の一部。あなたは、この人生を何をするために生れてきたのだろうか、そして死んでいくのだろうか。

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OSHOも木から落ちる

2023-01-15 06:25:35 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎霊魂は肉体と別にあり

(2006-02-11)

 

OSHOがいつものように木の上で冥想していると、冥想に入れ込みすぎて、自分の肉体が、木から落ちたのにすぐには気づかず、突然自分の肉体が地面に横たわっているのを発見した。明るい一本の線、銀色に光り輝くひも状のものが、横たわっている肉体のへその部分から出て、木にとまっているOSHOにつながっていた。銀色に光り輝くひも状のものとは、クンダリーニのことで霊線とか、玉の緒とも呼ばれる。木の上にいる自分はアストラル体のことだろう。

 

自分の肉体を外側から見る体験というのは、臨死体験ではよく語られる事象である。これは、OSHOにとっても初めての体験だったので、当惑しているうちに、人間の肉体と魂は別の存在であることを悟り、肉体の死が自分の死であるという恐怖はなくなったと言う。

 

肉体とアストラル体が分離したまま、夜明けを迎えた。近くの村からミルクの缶を頭にのせた女の人がふたり通りかかり、そこに横たわっているOSHOの肉体を見つけた。OSHOは、冥想していた木のてっぺんから、彼女らが落ちている肉体を見ているのを見ていた。彼女らはその肉体に近寄ると、かたわらにしゃがみこんだ。彼女らの手がOSHOの額に触れたとたん、まったく磁石に引きつけられたかのようにして、OSHOは自分のからだに戻り、そして目を開いた。

 

その後6カ月の間に、このような体験は6回起こった。起こった事象としては、クンダリーニのエネルギー・コードに乗ってサハスラーラ・チャクラから肉体次元を脱出する本格的なものでなく、『へそ』経由で肉体とつながったいわゆるアストラル・トリップ(体外離脱)と考えられる。OSHOはこの六回の体験で寿命が10年縮まったような気がしたと言っているので、最近見聞きする体外離脱体験ファンには心する点ではあるまいか。

 

OSHOは、深い冥想性トランス(サマディー)の中で、男性の肉体が霊魂と分離してしまうと女性の手助けなくしては肉体に戻れない。また逆に 女性の肉体が霊魂と分離してしまうと男性の手助けなくしては肉体に戻れない。男性と女性のからだが接触するやいなや、そこに電流が流れ、電気回路が閉じて、その瞬間、肉体に離れていた霊魂が戻る。だから、インドの精神世界の先達は、深い冥想性トランスや死の修行では、女性と一緒に修行していたのだと述べている。

 

ラーマクリシュナは、肉体をよく離れていたようだが、ラーマクリシュナは、女性が近づくのが嫌いだったようだ。だからこのOSHOの説が一般に妥当なのかどうか、もうひとつわからないところはある。

(参考:反逆のブッダ/ヴァサント・ジョン/メルクマール社)

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マンションの高層階に暮らす

2023-01-15 06:19:00 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎OSHOが木の上で冥想

(2006-02-10)

 

OSHOも修行時代は、高い木に登って冥想をした。京都栂尾の明恵も木の上で冥想した。大本教の出口王仁三郎は、マンション高層階などの大厦高楼に暮らして然るべきである人は、人間の中では貴顕のみであると考えており、一般庶民は、高い建物で生活すべきではないと述べている。

 

昨今は住宅事情が許さないので、高層階に住んでいる人も多い。人間は、天地の間に生きており、肉体は地に属し、霊魂は天に属しているので、天地のバランスをとって暮らすとは、1階に住むことである。これが本来の庶民の暮らしの場というべきものだろう。

 

OSHOは、冥想修行者が山で冥想することを、木の上で冥想することと同列に捉えている。マンションの高層階に暮らすのは、より精神的な力が自ずと強化されることになることになる。高層階住民は、無意識にそういう生活を選んでいるということになり、時代的なテーマである肉体だけの世界観の超越ということに、生活の場所からまず取り組んでいるとでも言おうか。

 

但し、それは冥想の場としての地上から離れたポジションということであり、冥想の習慣のないまま、単に地上から離れた高層階に住むというのは、むしろ肉体と精神のバランスという点で害があることを出口王仁三郎は指摘しているように思う。

 

以下OSHOの説明。

『わたしはよく木のてっぺんにすわって、夜中に瞑想していた。地面にすわって瞑想すると、からだの方が強くなりすぎて優勢になってしまうと感じることが何度もあった。おそらく、肉体は大地からできているからだろう。ヨギたちが山頂やヒマラヤの高峰に行くという話はけっして根拠のないものではなく、明らかに科学的な原理にもとづいている。肉体と大地との距離が大きければ大きいほど、肉体の物理的な力、あるいは圧力は減少し・・・・・内なる諸力が増大するのだ。わたしが高い木に登って、毎晩瞑想にふけったのはそんな理由からだった。』

(反逆のブッダ/ヴァサント・ジョン/メルクマール社P120から引用)

 

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和尚バグワンの高弟

2023-01-15 06:12:35 | 究極というものの可能性neo

◎群衆に誤解され続けた二十五年

(2011-07-02)

 

和尚バグワンは高弟がいることを自ら認めている。

 

『これはなんと美しい・・・・なんと祈りに満ち礼拝に溢れていることか。

わたしが美しいと言う時には、

わたしは、それが言いようがないと言っている。

 

わたしは月を指さしているが、わたしの指は月ではない。

ときに、沈黙していられない瞬間がある。

 

多くは言えないが、それでもそれを分かち合いたい、表現したい・・・・・

今に至るまで、それが何であるかを言いえた者は一人もない。

また言おうとすることに抵抗できた者も一人としてない。

 

わたしはこの二十五年間絶え間なく語りつづけ、ただ誤解されただけだ。

そのゆえにわたしは群衆から離れたが、選ばれた数人には常に手のとどくところにいる。』

(狂人ノート/和尚/和尚エンタープライズジャパンP79-80から引用)

 

クリシュナムルティの周辺には高弟がいたようには見えないが、和尚バグワンにはいた。彼らは今どうしているのだろうか。

 

そして今、終わりの始まった時に、和尚バグワンの言葉やパフォーマンスが群衆に誤解されないほどに人々の成熟は進んだのだろうか。

 

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瞑想とはなにか

2023-01-15 06:09:41 | 究極というものの可能性neo

◎バグワン(OSHO)の見解

(2007-08-03)

 

バグワン(OSHO)の答え

『瞑想とは冒険、未知なるものへの冒険-人間の心がなしうる最大の冒険だ。そして冒険という言葉で私が言いたいのは、その中で人格を陶冶することはできないということだ。

 

まず第一に前もってそれを知ることは一切できない。実際に体験しない限り、それを知ることはできない。

 

語ることができることはみな、しょせんとるに足らないことばかりだ。真理は語られずに残る。多くのことが語られてきた---取るに足らないことについては多くのことが語られてきたが、真の言葉はただの一語も発せられてはいない。

 

実際に体験しない限り、それを知ることはできない。だが、それに関する事柄を指し示すことはできる。それが要点をつくことは決してない。それはありえない。

 

ものごとの本性からしてそれは不可能だ。これが瞑想だということはできない。言えるのは、これは瞑想ではない、あれは瞑想ではないということだけだ。

 

言われずに残るものがある-がそれは指し示されないまま残される』

(未知への扉/バグワン/メルクマール社p205-206から引用)

 

OSHOの瞑想といえばダイナミック瞑想が有名だが、ここでは、もっと本質的なものを語っている。

 

ここでは、神・仏・宇宙意識との出会い、合一だけを瞑想と呼んでいる。その意味での瞑想はごくまれに起こることはあるが、黙っていても兎が切り株に蹴つまずいてころぶようなことは起こらないものだ。

 

このような厳しい意味での『瞑想』が起こるためには、常識的には日々の冥想訓練が要るだろう。

 

冥想って何って訊かれて、それは言葉ではいえないし、どんな効果もあるとも言えるし、ないともいえる、というような合理的でないことを信じるのは只のお人よしだが、それを信じる直観がなければ何も始まらないだろう。

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狂人ノート-2=和尚バグワン

2023-01-15 05:57:51 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎転生の終焉

(2011-06-27)

 

和尚バグワンは、先年亡くなったが、それが最後の人生であることを、生前から予告していた。

この文の<実存>とは神のことだが、二度とこの世に生まれてこない人間とは、十牛図で言えば第三図程度の“ちらと見た”だけの人なのか、それとも第八図まで行った人なのかという疑問がある。

“ちらと見た”だけでは、菩薩であり、この世にやり残したことは少なくはないだろう。

 

肉体を持って感じ取れる数知れぬ実感により、人は熟成を重ねていく。あらゆる実感を味わい尽くしたところにたどり着かないと<実存>はないだろう。

 

『怖れからは何もしてはならない。

わたしの体の心配はしないこと。大丈夫だ。

わたしの体の言うことを聴くのではなく、私に耳傾けなさい。

わたしの体はいつもちょっとおかしい。おかしくならざるをえない・・・・

 

ひとたび目覚めたら、体は意識をつかまえておくことができなくなる。

ひとたび目覚めたら、人はもはやこの世のものではなくなる。

 

<覚醒者>が死んだらふたたび生まれこないのはこのためだ。

彼には生まれくることができない。それは不可能だ。

 

彼には肉体をもつことはできない。

これは、わたしの最後の肉体だ・・・・・

 

おまえたちは最後の肉体のなかにいる人間とともにあって幸運だ。

わたしはふたたび在ることはない。私は<実存>だからだ。

ひとたび<実存>であったら、人間は二度と生まれてくることはできない。

 

大事なもの、それは<実存>だ。

永遠なるもの、それは<実存>だ。

肉体は来てはまた去る。<実存>はとどまる。

肉体は生まれてはまた死ぬ。<実存>は生まれることも死ぬこともない。』

(狂人ノート/和尚/和尚エンタープライズジャパンP7-8から引用)

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狂人ノート=和尚バグワン

2023-01-15 05:53:50 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎何百万ものブッダ

(2011-06-26)

 

バグワンの狂人ノートは、初期のセッションのものだろうが、聴衆のレベルの高いことが見てとれ、ちょっとした詩集のような仕上がりとなっている。

 

『わたし以外は誰でも狂うことができる。

なぜならわたしはすでに狂っているからだ。

 

私はほぼ一世紀の四分の一狂ってきている。

もし、おまえたちが助けてくれるなら、わたしは一世紀は頑張れる。

頑張れるが・・・・・自分一人でではない。

自分一人でとなったら、私は卵の殻でできた人形でしかない。

 

しかし、もしおまえたち皆が助けてくれるなら、

わたしは、一世紀くらい楽に頑張れる。

 

私の父は七五まで生きた。

私の父親は八十まで、父の父親の父親は九十まで生きた。

このレースで、私にだって彼らを負かすことができる。

 

 

もしおまえたち皆がエネルギーを合わせたら、

おまえたちは、ひとりのブッダが世界中に何百万のブッダを創るのを助けることができる。

私は狂っている

 

さもなければ、ひとりのブッダのことを考えるだけで充分だ、

が、わたしは常に、何百万ものブッダについて考える。

それ以下では充分ではない。

 

わたしは常に、大きく考える。

わたしたちは、何百万ものブッダを創造しなければならない。

そうしてこそ初めて、新しい人間が誕生できる。

その時に初めて、キリスト教徒を消え去らせ、キリストたちを出現させることができる。』

(狂人ノート/和尚/和尚エンタープライズジャパンP162-163から引用)

 

和尚バグワンは、教団組織での布教を目指したから、布教目標として何百万人のブッダを掲げざるを得なかった。そのこともアメリカでカルト扱いされて、猛毒タリウムを飲まされる遠因となる。

 

現代社会に適応して生きていくのは、ちょっとノイローゼでないといけない。自分が狂わないと、この狂った現代社会に適応して生きてはいけないのだ。狂った社会が自らのことを正気と思い込んで、和尚バグワンのことを見れば、狂人に見える。そのことを和尚バクワンは、私は既に四分の一世紀狂っていると自嘲する。

 

世界人口60億人の3%ならば、1億8千万人で、とてもではないが何百万人でも追いつかない。

その勢いはあるのだろうか。

 

そのことについて、和尚バグワンひとりでではできないと主張している。それがアクアリアン・エイジ。

 

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OSHOの暗夜-1

2023-01-15 05:46:48 | 現代冥想の到達点neo

◎OSHOをしのぶ

(2006-02-14)

 

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)はもう、故人となったが、20世紀末インドとアメリカで活躍した聖人である。アメリカでは、カルトとみなされ、本人も当局に収監されたり、ひどい目にもあったようだ。

 

日本には一度も来日しなかった。アメリカに渡った理由は、アメリカの方がOSHOを率直に理解してくれる人が多いという目算があったのだろうと想像する。日本に来なかったのは、日本ではまともに理解してくれる人が、ほとんどいないと見ていたのだろうと思う。つまりOSHOの目から見ても、日本人の精神世界音痴度は、ひどいものなのだと思う。

 

日本人は、文化遺産が国土の津々浦々に多数散在し、それだけで、精神世界に造詣が深い国民だなどと思い込んでいる。ところが、覚者の目は厳しく、住んでいる国はそうかもしれないが、人は全然であることを見抜かれているのだと思う。ブランドには価値があると思うのは普通。しかし、精神的なものに価値があるなどと思っている人は変な奴だという考え方が根強くあるではありませんか。

 

OSHOは、どちらかというと真面目な聖者ではなく、いたずら好きの茶目っ気のある聖者であったようだ。行状をみると、晩年は、あまり布教活動的なことは行わず、読書三昧であったようなところがうかがえ、布教に飽きてしまったような印象を受ける。

 

そうは言っても、その悟境は、充分なものであるので、彼の大悟に至るまでの過程は傾聴に値する。

 

OSHOも大悟直前の一年ほどは、暗夜に落ち込んだという。

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