◎人間における反対の一致
神の反対の一致から、人間の反対の一致の展開が一般的であることを見た。
アレクサンドリアのフィロンは、イエス・キリストと同時代のユダヤ人哲学者。フィロンが地上の人間と呼んだアダムは創造によって創られたが、天の人間アダム・カドモンは世界の創造に先立って存在した。つまり、いわゆる父母未生の人間がアダム・カドモンであって、一方アダムは神による世界の創造以後に作られたという見方をする。
『アダム・カドモン説のアウトラインを素描してみよう。
アダム・カドモン (Adam Kadomon) は一般に "原始の人"と訳されているが、アダムはヘブライ語で人間の意味であり、カドモンまたはカドモニ(Kadomoni)は「第一」または「原初」の意味である。アダム・カドモン説にはグノーシス思想の立場からの解釈とユダヤ教神学からの影響が混合した形で認められ、さらにその背景にはオリエント神学やギリシャ哲学からの影響も認められる。
アダム・カドモンについて最初に記述した人物はアレキサンドリアのフィロンである。天の人間であるアダム・カドモンは神のイメージのなかで生みだされた存在であり、腐敗しやすい地上的なものはなんら関与していないとされた。フィロンの見解によれば、アダム・カドモンはロゴス (Logos)が完全に具象化されたもので男性でも女性でもなく、純粋な知的イデアと結合した存在であった。
フィロンのアダム・カドモン概念には、プラトンの思想とユダヤ教神学の二つの傾向が認められる。
“神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された" (創世記1.27)
“主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった"(創世記2.7)
この章句の内容とプラトン哲学のイデア説が結合したのである。つまり、原始のアダムはイデアと対比され、肉体と血液の創造はイメージと対比された。フィロンの抱いた男性でも女性でもない天の人間の概念はさらに発展していくことになる。
前述の章句は、古代ユダヤの思想家集団パリサイ派が注目したところでもある。
"主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた"
(創世記2.22)
パリサイ派では女性エバの創造に関してアダムははじめ男性・女性結合体として創られていたと思考した。
"男と女とに創造された"(創世記1.27) の部分は "男性と女性とを創造した"と理解し、『創世記』 2・22で記述された時点において、はじめて男性と女性は分離されたと解釈した。パリサイ派の解釈はフィロンにも影響を及ぼしており、天の人間が両性具有の存在であると規定した背景にはこのパリサイ派の思想がひそんでいると推定される。
“あなたは後から、前からわたしを囲み、わたしの上にみ手をおかれます"(詩篇139.5)
この章句はユダヤ教の聖書註解(ミドラッシュ)では、人間の前面は創造の第一日に創られ、人間の背面は創造の最終日に創られたと解釈された。
フィロンが地上の人間と呼んだアダムは創造によって創られたが、天の人間アダム・カドモンは世界の創造に先立って存在し、この天の人間が救世主(メシア)、ロゴスなどとして理解された。』
(カバラ ユダヤ神秘思想の系譜 箱崎 総一/著 青土社P391-393から引用)
この文章は、やや晦渋だが、神の創造以前の人間というニュアンスはわかりにくい。一方両性具有については、まぎれはなくはっきりしていて、アダムは最初は両性具有で後分離(イブ、エバ)したのだから、アダム以前のアダムカドモンは当然に両性具有ということになる。
なお両性具有の意味は、男女という極く限定的な意味ではなく、光と闇、天国と地獄、善と悪、天と地、太陽と月、陰と陽、快楽と苦悩、欲求と嫌悪、快と不快、寒と暑、貴と賤、聖と俗というようなあらゆる反対物の一致という意味である。
次にアダムカドモンの人と神との間の位置づけについて述べる。