◎十字架で殉教せず
(2012-11-11)
死海文書が発見されてから、義の教師という聖なる修行者が当時いて、義の教師は十字架にかけられて殉教し、彼の弟子らは、義の教師がメシアとして復活するだろうと考えたということが定説の一つとして流布している。
これに対して、「イエスと死海文書/ジェームズ.H.チャールズウァース編著/三交社」では、次のような結論を下している。
『(1)義の教師が殉教したとか、十字架刑を受けたという証拠は何もない。
(2)彼は確かにある点ではイエスの先駆者であったが彼は十字架につけられはしなかった。そして確実に彼は、十字架につけられたメシアとして崇敬されはしなかった』
(イエスと死海文書/ジェームズ.H.チャールズウァース編著/三交社P403から引用)
要するに義の教師とイエスは別人だという説である。
なんでもユダヤ戦記によれば、紀元66年から70年までのユダヤのローマに対する反乱の時期には多くの捕虜になったユダヤ人が十字架にかけられ、あまりにも多かったので十字架の木材が足りないほどだったという。
この「イエスと死海文書」では、イェホハナンという名の紀元1世紀前半に十字架につけられた男の遺骸が、エルサレム北部で見つかったことを重く見ているが、それがイエス本人かどうかはあまり問題ではないように思う。
神人が横死すれば、その周辺にはいろいろなことが起きる。その一部始終を霊眼で見ていた人たちからは、様々な解説が記録として伝承され、またその原因となった人々にもいろいろなことが起き続けている。
イエスはこの2千年成功して、マラキ予言のように、その成果を刈り取れるかどうかという時期に立ち到ったのだ。