アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

意識が無意識に転ずる瞬間に悟りあり

2022-12-07 10:29:27 | 究極というものの可能性neo
◎隙間が主、前後が従

OSHOバグワンは、隙間が主であって、その前後が従だと語る。
換言すると、隙間の方が中心で、前後の方が周辺。そうなれば、隙間の方が悟りであって、前後の方が迷いであると気づく。

彼は、ここで、前後から隙間に進むことには連続性がなく、爆発だと表現する。彼の口ぶりでは、爆発とは、個から全体に連続性なく一足飛びに進むことをいう。

前後の方が夢であって、隙間の方が現実。現実とは、永遠不壊であるという意味。

隙間を知るにはとにかく醒めているしかない。
隙間に入る技法として彼はとりあえず実例を挙げる。
1. 息が出て、隙間、息が入る、のを見つめる。これを繰り返す。ヴィパッサナー、呼吸覚醒。
2. 眠ろうとする時に、眠ろうとする自分に醒めている。眠ってもおらず醒めてもいない自分がある。
また眠りから目を覚ましていない状態にも同じチャンスがある。(心理学者のユングもこれをやっていた。)
3. 意識が無意識に変化する瞬間に気づいている。麻薬を投与して、意識をまさに失おうとする瞬間に気づいている。禅の師匠が弟子を殴って縁側の下に蹴り落とす瞬間(正受が白隠を蹴り落とすなど)に気づいている、など。
(参照:未知への扉/第六章 精神的な爆発)

普通の人は、意識や思いや記憶は連続したものと何の疑いもなく、思い込んでいる。実際はそうではないと示唆のみできる。証明などはできない。

こうした言説は、探検者を宝の山に導く地図のようなものだ。宝の噂を聞かなければ、その重い腰を上げないというのも真実なのだ。
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