アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

ドルネウスの脱身の次第-1

2024-09-23 03:00:40 | 浅い霊感から神人合一まで

◎ニルヴァーナ突入後に肉体に生還する機序周辺

 

心理学者C.G.ユングの弟子の本は浩瀚な錬金術書の知識がほとばしり、人格統合などという言葉がなければ、土くれから黄金を作りたいのか、精神病を治療したいのかわからなくなるほどである。

そこで16世紀の錬金術ドルネウスを読んでみる。

 

『読者が、混乱してしまい、事態全体に疑いを抱きはじめないように、ここで、ある種の区別を施すように注意を促さねばならない。私が魂なきものという場合、植物界、鉱物界のことを指している。つまり、草木や石や金属等の大地世界である。しかし、それらのものにも植物や鉱物の魂が存在する。それが故に、私の話題が生命なき物体(コルプス)であるとしても、自然界のすべてのものに、霊魂(スピーリトウス)、肉体(コルプス)が備わると信じる錬金術師達に反対する意図はないと考えていただきたい。』

(ユング思想と錬金術 錬金術における能動的想像 M‐L.フォン・フランツ/人文書院P162から引用)

 

『前に、私が説明した事を理解しなければならない。つまり、理性の二様の分離(a double rational separation)が存在する。一つは、先に説明した自発的分離であり、もう一つは自然の分離である。後者は、錬金術とは関わりがない。』

(上掲書M‐L.フォン・フランツ/人文書院P163-164から引用)

※「自然の分離」:自然に存在する死のこと。

※「自発的分離」:霊と肉の自発的分離。大悟覚醒のことか。

※自発的分離では、火を用いるとあるが、火とはクンダリーニのことだろう。P157

 

『死においても、同様の事態が生じるが、これは錬金術には属さない。単なる出来事であるが故にである。しかし、知覚する魂といわゆる生命なきコルプスとの分離もまた二様である。この場合も、同様に、自然的と人為的があり、後者のみが錬金術に属するからである。自発的分離は、あらゆる部分が保存されている状態で生じる。これは、自然の分離では起こらない。死において、肉体(コルプス)は破壊される。されど、ここで、錬金術というこの方法で行っているように、私が死の経験を前もって考慮するならば、肉体は保存される。肉体は、分離され、取っておかれ、保存され、後に再び取り上げることが可能となる。しかし、同様の分離が肉体を通じて生じるならば、私は二度と肉体を取り上げることはできず、肉体は破壊される。

(中略)

自発的分離の器具は霊と生命の息である。自然に生じる分離の器具は死である。人為的分離の器 具は火である。されど、 rationalia の錬金術を、作用する感覚と、さらにいわゆる生命なきコルプスと一つとなすならば、私は異を唱えない。』

(上掲書P164から引用)

 

自発的分離は、霊と生命の息により(クンダリーニ・ヨーガの極み)、肉体への生還可能であるということか。

また人為的分離は、火によるが、肉体が破壊されるから肉体への生還不可能ということか。

人為的分離は、尸解で肉体破壊後チベット密教でいう虹の身体とか道教でいう出神という体外での微細身でもって生存し冥想修行を続けるというようなことを言っているのだろうか。

人為的分離とは、錬金術書でいうフラスコ内実験のことか。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 秋分のバランスと歩行改善と... | トップ | ドルネウスの脱身の次第-2 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

浅い霊感から神人合一まで」カテゴリの最新記事