◎感情が優勢で思考は効かなくなるブリザードでの冥想
現象という動画は、無数の静止画と隙間によってできている。隙間が無(ニルヴァーナ)であって、静止画が有(アートマン)。
よって人間は静止画は認識できていると思い込んでいるから、冥想とは、隙間を認識しようとすること。
2千年前は人間の中心は肚だったが、次第に胸に移り、今人間の中心は頭に移った。これを頭人間と云う。
標高8千メートル以上の高山では、感情が優勢となり、思考は効かなくなる。感情とは無意識の側であり、思考とは意識の側。無意識の側にも静止画の側と隙間の側の両方がある。人間は無意識の側が完全に優勢になれば、これを発狂と呼ぶ。
冥想修行とは、無意識を操作することだが、コントロールしづらくなる無意識のブリザードの中で、神仏のサポートを受けつつ、素直で冷静に最終段階まで自分を失わず、持っていくのが、大変なところ。なお最終段階では、自分を棄てて飛び込まないと、先へは行かない。
想念の消し方については、いくつか例を挙げてみた。それ以外にヴィパッサナー(呼吸覚醒:アナパーナサティ)というのもある。
ヴィパッサナーは、釈迦がこれで覚醒したという技法。ヴィパッサナーといっても単発の冥想テクニックではなく、複数技法の複合。アーサナとプラーナヤーマで身体の質を変え、ヴィパッサナーで入息出息を見つめ心の質を変えると、自分が体でも心でもない一つになった瞬間が来る。ここで気づいている自分のない、“気づき”そのものになった時が、爆発、ジャンプアウトのチャンス。
なおヴィパッサナーは、発狂しやすいということをダンテス・ダイジはコメントしている。終始入息出息を見つめるという行は頭人間である現代人には難しいのだろうか。
ボクシング世界チャンピオン井上尚弥は、人間は3分間集中し続けるのはむずかしいと言っていたわけだが、なんと2024年5月6日のルイス・ネリとのタイトルマッチで生涯初のダウンを喫した。この試合は、井上尚弥の勝利となったが、井上尚弥ですら3分間集中し続けるのは難しいということなのだろう。
その点で、釈迦は集中を継続し得たのだろうからすごい。その状況は、おそらく標高8千メートル級の死の地帯で、感情が優勢となり、思考は効かなくなるブリザード状態でのヴィパッサナー。そこを突破し得た者だけが、窮極ニルヴァーナに至る。だから釈迦は英雄と呼ばれる。