◎有相三昧=ウィリアム・ブレイク
(2014-12-25)
ダンテス・ダイジのアートマンとは「この一なるもの」であり、
「一切万象、多様次元自身が目覚めている」ことであり、
彼はそれを未公刊の詩集『老子狂言』のウィリアム・ブレイクという詩で表現している。
『ウィリアム・ブレイク
そうなってゆく
そのままでよいのだ。
人は喜び悲しむために産まれて来たのだ。
だが、この絶対者は違う。
絶対者は
喜怒哀楽から離れて、
喜怒哀楽を戯れ、
そしてまったく同時に
喜怒哀楽を超越して
絶対の流れを流れ続ける
そして絶対者は、
すべてのすべてで久遠にいませり!
存在と非存在とに何のかかわることもなく。
私が絶対者なのだ。
ほんの卵だけれどもね・・・』
(ダンテス・ダイジ/老子狂言から引用)
人の視点と絶対者の視点は違うものだ。個人の感傷や倦怠やこだわりなど意に介することもなく、久遠に流れ下る大河の如く、永遠不滅の絶対者は、在る。
逝くものはかくの如きか。
個は、永遠不壊の絶対者から出るのだが、個であるときは、ちっぽけで卵だと、謙譲こそが基本姿勢であることを忘れない。