◎これからの日本のモデル
(2006-09-20)
戦前の大超能力者出口王仁三郎は、「第一次大本事件として、大本教に型となって現れたことが、大東亜戦争(第二次世界大戦)となって、そのまま日本に現出した。しかし第二次大本事件が日本に現出するのはこれからである」として、昭和23年世を去った。
従ってどのように日本にそれが現出するかを予想するためには、第二次大本事件の特徴を知る必要がある。
第二次大本事件(昭和10年12月)は、出口王仁三郎など大本幹部信者の大量逮捕、本部建物の徹底した爆破による破壊、書類の焼却など徹底的にやられ、あたかも歴史の上から大本をなくしてしまおうとする意図の感じられるものであった。
そこまで徹底的にやられる主たる原因の一つが、昭和神聖会と呼ばれる信者による似非軍隊組織の構築であったように感じる。治安維持法の嫌疑の中には、出口王仁三郎が自ら天皇になることを狙ったという荒唐無稽のものもあったが、より現実味のある嫌疑としては、昭和神聖会によるクーデターだったのではないだろうか。昭和神聖会という何万人も加入している似非軍隊組織が、出口王仁三郎に対し絶対服従であり、軍隊型の行動訓練を受けているということは、官憲にとって2.26事件や5.15事件などのようなクーデーターの可能性を想像させる材料としては十分だったのではないか。
昭和6年に信者有志の輪読会である昭和青年会ができ、折しも満州事変の頃であり、これを出口王仁三郎の命により、組織を軍隊式として、15歳以上の信者全員を会員として、団体運動の訓練をして、王仁三郎の命令に絶対服従すべきものとして、統制がとれるようになることを狙って、公式な昭和青年会として再組織した。
後にこれから婦人部を独立させ、昭和坤生会とした。更に昭和9年7月6日昭和青年会を中心に大本を支持する大衆団体である昭和神聖会を発足させた。